生物時計のメカニズムを分子レベルで究明
生物時計のメカニズムを分子レベルで究明
リセット可能な生物と時間の関係を探る

「サーカディアンクロック」という言葉をご存知だろうか。これは別名「生物時計」と呼ばれ、地球上のすべての生物は約1日周期の生物時計を体内に持っているのだ。つまり、時計を見なくても、身体の中におおよその時間が分かる時計をもともと持っているというわけだ。しかし、生物がどのようにして時を刻んでいるのか。その詳細なメカニズムは明らかになっていなかった。そうした生命現象を分子レベルで解明しようと研究を重ねているのが生物化学科の深田吉孝教授である。
深田は、生物が刻む時計について次のように説明する。「サーカディアンのサーカはアバウト(約)、ディアンはデイ(日)を意味します。つまり約1日という意味です。地球の1日は24時間ですが、生物が持つサーカディアンリズム(以下、リズム)は種によって異なり、24時間プラスマイナス3時間と言われています。なかでも人間の生物時計は25時間周期であることが実験で確認されています」。
リズムの存在が初めて明らかになったのは18世紀初めのこと。フランスのドウメランが植物を地下室に入れておいたところ、1日中光も当たらず温度も湿度も一定の環境であるにもかかわらず、その植物が朝になると葉を広げ、夜になると閉じることを発見したのだ。それまで植物は日中、光合成を行うため太陽光に反応して葉を広げ、夜は閉じていると思われていた。
しかし、この葉の運動に注目したドイツの植物学者であるビュニングは1937年に生物時計仮説を提唱した。その後のビュニングの研究により、植物が葉を開閉するのは、光に反応しているのではなく植物自身にもともと備わったリズムという機能によるものであるということが分かった。さらにビュニングは研究を続け、リズムが遺伝するということを突き止めている。その後、コノプカとベンザーという2人の生物学者によって、ショウジョウバエのリズムが狂うピリオドという時計変異体が71年に発見されている。
深田が駒場にある東京大学の教養学部基礎科学科の助教授になり、初めて研究室を持った93年当初の研究テーマは、生物が色をどうやって見分けているかというメカニズムを分子レベルで解明することだった。色を見分けるセンサーとなるタンパク質を精製し、その機能を調べていたのだ。
そして、リズムの研究にシフトする大きな転機となったのが、94年に当時深田の研究室に在籍していた、岡野俊行助手(現在は早稲田大学の助教授)と一緒にピノプシンという光を感知するタンパク質を目以外の細胞の中から発見したことだった。
体細胞が光を感知
それまで、色や明暗など光からの情報を感知するタンパク質は目の細胞の中にしかないと思われていた。つまり、色や明暗を認識できるのは目だけであると考えられていたのだ。しかし、実際には、目が退化していても光に反応する動物がいたり、目を摘出しても周囲の環境に合わせて体色を変幻自在に変化させる動物が知られており、目以外の場所にも光を感じることができる器官があるのではないかと思われるような事例が数多く確認されていた。そのため、研究者の間では「一体、目以外のどの器官で光を感じているのだろうか」といった議論が長年にわたって行われていたのである。
そうした議論のさなか、ニワトリの松果体という、目以外の細胞の中から光を感知するタンパク質を初めて発見したのが深田と岡野だったのである。この発見から10年以上が経ち、現在は動物の多くの細胞の中に互いによく似た構造を持つタンパク質が存在することが確認されている。
「松果体は進化の過程で間脳の一部が頭の上方に突き出したもので、目と同じ起源を持っています。ニワトリの松果体はトサカのすぐ下の頭頂部にあり、光を感じることができるということはすでに知られていました。そこで目と同じタンパク質が松果体に存在するのではないかと推論したのです」。深田は、自身の推論通り、目の中にある光を感知するタンパク質と構造が似ているタンパク質を発見し、それが光を感知することを突き止めた。
深田らはこのタンパク質をピノプシンと名付け、さらに「ピノプシンはニワトリのリズムを調整するセンサータンパク質としての役割を担っているのではないか」と推測した。そして、松果体で受けた光が情報としてどのように処理されているかが分かれば、リズムのメカニズムの解明にも結びつくのではないかと考えたのである。これが深田をリズムの研究へとシフトさせるきっかけとなったのである。
「私はもともと、生物が光をどのように利用しているかということに興味がありました。現在、取り組んでいるリズムに関する研究が、光を出発点にしているのもそのためです」
光は生物にエネルギーと情報を提供している。植物は光合成をすることで、光をエネルギーとして定着させているが、動物は光をどのように取り込み、情報として利用しているのか。深田はそれをタンパク質という分子のレベルで解明しようと研究を重ねていく中で、リズムに辿り着いたという。
時をリセットする機能
深田は、光を感知するタンパク質とリズムの関係について説明する。
「これは、サーカディアンリズムがおおよそであるという事実と関連しています。長い地球の歴史では1日が24時間でなかった時期もあり、24時間という数値には絶対的、物理的な意味があるわけではありません。地球上で生きている限り、その時々の地球の周期に適応させる方が生物にとっては意味があることです。そのためおおよそのリズムなのです」
人間のリズムが25時間周期であるとすると、毎日1時間ずつリズムがずれていってしまうことになる。それに対し生物時計のメカニズムの非常に素晴らしいところは、「外界から刺激を得ることによって1日の周期をリセットし、地球の周期に合わせることができること」なのだと深田は語る。
そのリセットの役割を果たす重要な外的刺激のひとつが光なのだという。
「リズムを生みだすメカニズムには重要なファクターが2つあります。1つは遺伝するということ、もう1つは細胞自律性を有しているということです。すなわち、我々が生きている間に獲得する機能ではなく、生まれた時から細胞一つひとつに備わっている機能だということです」。現在、光を感知するタンパク質とリズムを司るタンパク質は別々に存在しており、役割分担を行っていると考えられている。
「しかし、生命が誕生し進化する過程で生物が光を情報として取り込む機能を獲得したこととリズムとは無縁ではないはずです」
例えば、人間など哺乳類のリズムの中枢的役割を担うタンパク質は視床下部の視交叉上核という部位にある。この部位は光を感じる機能は有していないため、目の網膜から入った光の情報を、神経を経由して視交叉上核に取り込み、リズムのリセットを行っている。この視交叉上核で生まれた時刻の情報に基づいて、やはり脳の中にある松果体でメラトニンという時計ホルモンが睡眠中に合成され、血流にのって全身の細胞の時計に時刻の情報が行き渡るという。
これは高度に進化した生物のシステムであり、リズムに関するメカニズムの基本機能は、(1)光を感じる、(2)リズムをリセットする、(3)体内のほぼすべての細胞内に存在するリズムタンパク質に伝えて同調させる、の3つである。
しかし、光を感知するタンパク質とリズムタンパク質同士が実際にどういったメカニズムで互いに関係し合っているか、そのメカニズムについては解明されていない。
「光とリズムは非常に密接な関係にあります。しかしながら、長年リズムに関する研究があまり進められてこなかったのには理由があります。我々の身体の中には大きなリズムがあるのですが、それが外部環境のリズムと非常によく同調しているため、普段、我々はリズムの存在をほとんど意識することがないからなのです」。我々が生きている地球上では、朝や昼、夕方によって太陽光の波長も異なり、気温、湿度なども1日を通して刻々と、しかもダイナミックに変化している。我々はそういった外部環境に同調することで、恒常性を保とうとしているのである。
「徹夜や海外旅行で体調を崩すことによって初めてリズムの存在を意識するようになる」と言う深田は、「日常生活の裏側に潜みながらあまり意識にのぼらず実は我々に非常に大きな影響を与えているリズムというものに、惹かれている」と語った。
食事をとることが重要
リズムをリセットする外的な刺激は光だけではないという。
「食事も重要な役割を担っています。次のような実験が行われました。夜行性のマウスは昼間は寝て、夜中に起き出し食事し活動します。しかし夜中に餌を与えず、昼間の数時間のみ餌を与えたとします。するとマウスは昼間に起きて食事をするようになり、その後、昼間に餌を与えるのを止めたところ、お腹のリズムタンパク質は昼間のタイミングに合ってしまっている一方で、視床下部にあるリズムタンパク質は夜行性のままであることが分かったのです」
この実験から非常に重大な概念が分かったという。「動物の生体ではサーカディアンリズムというシステムによってヒエラルキーが形成されている」ということである。要するにリズムは眼の網膜から入る光によってのみリセットされるのではなく、例えば、食事によって肝臓で生成されるグルコースなどによってもリセットされること、さらにリセットシグナルが臓器内にあるリズムタンパク質に直接働きかけるということである。そういった臓器には、肝臓のほか腎臓、心臓、血管などがあることが確認されており各臓器はそれぞれに特化したリズムの入力装置を持っているというわけである。「そのため、最近はこれらの臓器を末梢時計と呼んでいます」
視床下部の視交叉上核にありリズムの中枢的役割を担うタンパク質が機能しなくなればリズム全体がバランスを崩してしまう。しかし、仮に末梢時計が一時的に狂っても、全体としてのバランスは視交叉上核のリズムタンパク質によって保たれ、全体として強いリズムを確保しているのである。
システムを解明したい
「これら特定の機能を持つタンパク質を見つけるには、遺伝子によるアプローチとタンパク質そのものからのアプローチの2通りの方法があります」
遺伝子によるアプローチとは、例えば、元々24時間のリズムを持っている生物の中からリズムの狂った変異体が出現したとする。変異体からほかの個体と異なる遺伝子を見つけ出し、単離し解析する。そしてリズム遺伝子と断定されれば、その遺伝子からつくり出されるタンパク質を精製し、実際に生物時計の中でどのように働いているかを確かめるという方法である。ショウジョウバエのピリオドという時計遺伝子はこの方法によって発見された。
一方、タンパク質そのものからのアプローチとは、例えば、光を感知するタンパク質の場合、タンパク質に色が付いていることが分かっている。そのため、取り出したいタンパク質が含まれている細胞をすりつぶし、遠心分離機などにかけて目的の機能を持つ(例えば色が付いている)タンパク質を分離していくという方法である。
「これまでは遺伝子からのアプローチが主流でしたが、最近、タンパク質の研究が再び活発化しています。私自身は長年タンパク質によるアプローチを中心に研究を進めてきましたので、今後もタンパク質をベースに研究を行っていきたいと考えています。これは私の研究室の大きな特徴でもあります」
現在、リズムタンパク質やリズム遺伝子は見つかっているものの、光を感知するタンパク質との関係や、それを制御するタンパク質との関係など、各タンパク質同士が実際にどういったメカニズムで相互に作用し合っているかについては解明されていない。
「各タンパク質の存在が確認できても、全体的なメカニズムが解明されない限り、何も分かったことにはなりません。登場人物を知っても劇を知ったことにならないのと同じです。私は、登場人物の台詞を聞き出し、劇の全ストーリーを見届けたいと考えています。それが私の研究における今後の大きな課題であり夢なのです」と語る深田は、多くのタンパク質の果たしている役割を一つひとつ解明しながら、生物時計のシステム全体を解き明かすことを目指している。
(文章:山田久美/写真:佐藤久)