佐野雅己 教授(物理学科)

佐野雅己 教授 (物理学科)

非平衡を理解することは、「今」を見つめること。
教授インタビュー

PROFILE

理学系研究科 物理学専攻 佐野雅己 教授
佐野雅己 教授
1979年東北大学大学院修士課程修了。 日本電信電話公社(現NTT)、運輸省、東北大学電気通信研究所助手、同助教授などを経て2000年より現職。 1987年から2年間シカゴ大学客員研究員を兼任。 研究分野は、非線形・非平衡系の物理学。

情報をエネルギーへ変換する—。「最近、研究室で盛り上がっているテーマに"マックスウェルの悪魔"があります。一昨年の秋、思考実験で終わっていたこの理論を実現できたんですね。その過程で、情報と熱力学のあいだに具体的な関係があることを示すことができました」

マックスウェルの悪魔とは、物理学ではよく知られたパラドックスのひとつだ。もし分子の動きを操作できれば、何もないところに温度差をつくり出し、エネルギーを取り出すことができてしまう。150年のあいだ物理学者を悩ませてきた、熱力学第二法則の根本を問うパラドックスだった。

「実験では、その悪魔に相当するものは、カメラやコンピュータです。粒子の動きを測定し、その情報をもとに電場を制御する。粒子のゆらぎを利用するので、粒子自体に力を加えることなく、そのポテンシャルエネルギーを高めていきます。それがつまり、"情報から粒子の動きを制御しエネルギーに変えていく"ということになります。現実には、情報を記録したり消去するのにエネルギーが使われるので、全体で熱力学の法則は破られていません」

そこから佐野教授は、このマックスウェルの悪魔を一般的な力学系に応用できれば、人の情報処理や生命現象の理解にも繋がるのではないかと考えている。

「例えば、筋肉を形成するタンパク質分子は、絶えず無数の水分子の衝突を受け、ブラウン運動しながら力を生み出しています。筋肉を動かすこれらの分子は分子モーターと呼ばれますが、同様の分子が細胞の中で物質の輸送やエネルギーの変換を行っています。マックスウェルの悪魔は、こういった分子モーターが動く仕組みと関係しているかもしれないんですね。ミクロな非平衡系で成り立つ法則の一つとして、生命現象を細胞内部のレベルから数式で書き表せる可能性が出てきたのです。研究室では1ミクロン程の粒子を使い、本当にバクテリアが動いているようなものを作ることにも成功しています」

佐野教授が非平衡物理という分野を選んだのは大学院進学の頃。物理には、物質の根源を探る縦糸の物理と、異なる現象に共通の法則を探る横糸の物理がある。外からエネルギーを取り込み、循環させ、再び外部への排出を繰り返す地球や生命体は非平衡な状態だ。横糸の物理に可能性を感じた。

砂丘に立ち現れる風紋、雪の結晶や雲のパターン、電圧を加えられた液晶に浮かび上がる蜂の巣状の構造など、自然界のあらゆる物事には、エネルギーが注ぎ込まれることで、自ら秩序ある構造を作り出す「自己組織化」という現象が潜んでいる。

「砂丘にできる風紋と液晶中の繰り返し構造、動物の体表模様に見られる縞々構造など、一見異なる現象も力学系としては同じ方程式で表わすことができます。物質を縦糸として、自己組織化の秩序と、熱ゆらぎ、量子ゆらぎ、カオスなどの乱れを横糸として織りなすことで、複雑な自然現象が生まれていると言えます。縦糸だけがわかっても、私たちの身体を作っている物質(ソフトマター)や脳の思考回路はおろか、身の周りの自然現象さえ理解できません。要素がたくさん集まって初めて起こる複雑な現象(統計な現象)に目を向ける必要があるんですね」

自然環境も生命も、高度な自己組織化の結果と考えることができる。この自発的な秩序はなぜできるのか? ミクロとマクロの境界領域で漂い、ゆらぐ世界の構造はどのように記述できるのか? 未知な領域に光をあてるべく、佐野教授は前進する。

マックスウェルの悪魔の概念図。熱ゆらぎを制御し粒子のポテンシャルエネルギーを高めている。

photo/稲田 平 text/松井真平