うま味の発見と池田菊苗教授

池田菊苗教授(60歳,1923年撮影)
現在,「味の素」などの商品名で一般家庭に広く普及しているうま味調味料(成分:L-グルタミン酸ナトリウム)は,東京帝国大学理学部化学科(現在の東京大学理学部化学科)の池田菊苗(きくなえ)教授により,1907年に発見されたものです。今年はグルタミン酸ナトリウム製造法特許成立100周年に当たるため,数多くの祝賀行事が企画されており,テレビや雑誌などでも報じられています。池田教授が,昆布から抽出したグルタミン酸ナトリウム(表紙)は,うま味発見の歴史的な資料として本専攻で受け継がれています。本稿では,うま味発見の経緯について化学者池田菊苗教授の足跡を辿りながら紹介します。
池田教授は,1864(元治元)年,薩摩藩京都留守居役の次男として京都に生まれ,1885年に,帝国大学理科大学化学科(現在の東京大学理学部化学科)に進学,義兄でもある櫻井錠二教授から化学を学びました。1889年に卒業し,1896年東京帝国大学理科大学化学科の助教授となり,1899年から,物理化学研究の中心であったドイツ・ライプツィヒ大学のオスワルド教授(1909年ノーベル化学賞)の研究室に2年間留学しました。留学後,ロンドンに一時滞在した際には,夏目漱石と同じ下宿に住み,漱石の文学論に大きな影響を与えたと漱石の手記に残されています。帰国後,1901年に東京帝国大学理科大学化学科教授に就任した池田教授は物理化学という分野を日本に導入し,その基礎を築きました。
池田教授は多くの基礎化学的な研究を行う一方で,実学的な研究にも広く興味をもっていました。京都生まれの池田教授は,幼少の頃より料理に使われる昆布のだしに関心をもっていました。だしの起源は何なのかを知るため,湯豆腐のだし汁昆布を対象とした研究に着手しました。1907年に約38 kgの昆布から煮汁をとり,ついにうま味の素であるL-グルタミン酸ナトリウム約30 gを得ることに成功しました(注1)。このとき昆布を煮詰めるために用いられた英国製の大蒸発皿は,当時の貴重な資料として,池田教授-鮫島教授-赤松教授-黒田教授-太田教授-当研究室へと受け継がれています(裏表紙a)。池田教授は,1908年4月24日,「グルタミン酸を主要成分とせる調味料製造法」に関する特許を出願し,同年7月25日に特許登録されました。この発明は,「日本の十大発明」の一つとして現在位置づけられています。池田教授から事業経営を請け負った鈴木三郎助氏(当時鈴木製薬所代表)は,L-グルタミン酸ナトリウムに「味の素」という商品名をつけ,製造販売事業を展開し,現在の味の素株式会社へと発展しています。
甘味,酸味,塩味,苦味に次ぐ第五の味,池田教授が提案した,うま味という味覚の存在に関しては,長らく学界で議論が続けられてきましたが,舌の味蕾にある感覚細胞にグルタミン酸受容体が発見され,今日ではUMAMIという用語で国際的に認知されています。また,最近では,消化器官にも受容体が存在し,胃の中にうま味が入ると,消化を促す効果があるという生理学的学説も提案されており,今後,医学・生理学分野での学問的普及も期待されています。
池田教授が退官時に使用していた教授室は,現在も教授室として使用されています(裏表紙b)。化学東館とよばれている本郷キャンパスでもっとも古い赤レンガ風の外壁(朱色の化粧タイル製)の建物(1913年起工,1916年竣工)は,池田教授の基本構想に基づいて設計されたものです(裏表紙c)。池田教授の発案で葺いた鉛屋根のお陰で,1923年の関東大震災の折りの大火にも耐え抜くことができ,現在もその威容を誇っています。今回,ご紹介した宝物が現在まで受け継がれているのも,この建物が長年にわたり健在であったことが一因しています。晩年,池田教授は,自宅の庭に実験室を建て,いろいろな課題の研究に取り組みました。常に,森羅万象に好奇心をもち,その本質は何であるかということを解き明かそうとした池田教授の理学的精神が,結果としてうま味の発見につながったのだと思います。
7月25日に「池田菊苗先生のうま味 発明百周年を祝う会」(理学部化学教室 雑誌会主催)が開催される予定です。
- 注1
- L-グルタミン酸(2-アミノペンタン二酸,HOOC(CH2)2CH(NH2)OOH)は,アミノ酸の一種。グルタミン酸そのものは酸味をもちますが,ナトリウム塩になると,うま味を呈するようになります。↑