理学部紹介冊子
進化研究に活躍する深海生物の採集

表紙写真:カイロウドウケツモドキの骨格標本を持つ熊さん。深海に生息するカイロウドウケツモドキは最も原始的な多細胞動物のカイメンに属す。骨格はガラスであり,透明度は光ファイバーに匹敵する。現在,生物が体内で高純度のガラスをつくる分子機構の研究が進められている。

図1:降り注ぐマリンスノー(左)とテズルモズル(中:クモヒトデの仲間),ガラスカイメンの仲間(右)。いずれも動物。

裏表紙写真:オキナエビス。中生代の生きている化石。
現代の生命科学で用いられる実験生物は,飼育しやすく市販もされているモデル生物が多いが,非モデル生物が必要な分野も多い。単純な共通祖先から複雑で高度な生物が進化してきた仕組みを理解するには,多様な生物を研究対象とする必要がある。特に,生きている化石が多い深海生物は貴重な情報源である。ゲノムや,卵から成体になる発生とよばれる過程には進化の道筋が刻み込まれているからである。深い暗黒の世界にいる深海生物を発見するのは容易ではない。ましてや,生物を健全な状態で採集するのは,現代の海底探査ロボットを用いたとしても至難の業である。
明治時代,エンジンや,ウィンチもない時代に,新種の深海生物を次々と採集して世界を驚かせた匠がいた。伝説の採集人(現技術職員)の青木熊吉(愛称:熊さん,1864 - 1940)である(表紙)。創設されたばかりの東京大学は,動物学を発展させるために神奈川県三浦半島の先端の三崎に臨海実験所を設立し(1886年),漁師だった熊さんを採用した。当時は,ダーウィンの進化論が発表されて間もなく,進化論を検証するための調査が精力的に行われていた頃である。
熊さんが深海生物を次々と採集できた理由のひとつには,三崎周辺海域の世界的に稀な特性がある。暗黒の深海では光合成をする生物が育たない。有機物の供給源はマリンスノー(図1)とよばれる海面から降ってくるプランクトンの死骸であるが,大部分は海底に届く前に細菌により食べ尽くされる。有機物のない深海は,生物のいない海の砂漠が広がる。三崎臨海実験所が面する海は岸からほどなく急に深くなり,そのまま深海につながっている。広大な関東平野から東京湾を経由して流れ込む栄養塩類は,プランクトンの大増殖をもたらし,深海に降り積もるほどのマリンスノーとなる。十分な栄養が供給されるため,多くの種類の深海生物が繁栄し,生きている化石の採集を可能にする。
熊さんは,木造和船を海に漕ぎ出し,延縄(はえなわ)を海底に降ろした。延縄とは一本の幹縄に多数の枝縄がついた漁具である。普通,枝縄の先に釣り針を付けてマグロ漁などに使う。熊さんは重りをつけた底延縄を海底に沈め,潮の流れで船が動かされる力を利用して引きずり,生物を絡め取っていた。水深200メートルにも及ぶ深海に縄を沈め,たった一人の人力で引き上げるとは,想像に絶する体力である。
目的の生物はどこにでもいるわけではない。採集された位置を特定し,記録しなければ再び採集することはできない。海上には目印がなく,海図があるわけでもなく,ソナーも,GPSもない時代である。採集場所は「山立て」という方法で熊さんの頭に正確に記憶されていた。遠くに見える複数の山の位置関係をもとに自分のいる位置を知る方法である。熊さんの活躍に支えられた初代所長の箕作教授や2代目所長の飯島教授らの深海生物の研究は世界を驚かせ続けた。欧米からの標本採集の依頼も多く,大英博物館からは懸賞付きで中生代の生きている化石,巻貝のオキナエビス(裏表紙)の採集の依頼があった。熊さんが見事に採集し,家が建つほどの報奨金を受け取り,オキナエビスを「長者貝」と命名したことは有名な伝説になっている。
海の野生生物の採集は,大量に捕獲しやすい魚を獲る漁業とは異なる。研究に有用な生物は海底の岩穴の奥に生息するなど,採集が困難な場合が多い。研究者自身で入手することはほぼ不可能に近い。現代でも海の特定の生物種を,研究者のニーズに合わせて必要な量を提供できるのは,理学系研究科附属臨海実験所に,匠の技をもつ技術職員がいるからに他ならない。