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理学部ニュース

自分の論文と同じタイトルの発表を見たとき

諏訪 秀麿(物理学専攻 助教)

 

出版前の自分の論文と同じタイトルの研究発表を目の当たりにするのは,どの研究者にとっても悪夢だろう。まだ誰も研究していないだろうと思っていた内容ならなおさらだ。そんな衝撃を自分が初めて書いた論文で体験するなんて想像もしていなかった。それは博士課程の学生だったときの話だ。 当時モンテカルロ法という確率を使ったコンピュータシミュレーションの研究をしていて,どうにか効率良く計算できないかといろいろ試行錯誤していた。そんなとき1970年代に考案されたあるアルゴリズムを知り,似たようなアイデアで何かできないかと試していたところ,おもしろい発見をした。 詳細は割愛するが,数式の代わりに図にあるような絵を使って確率を最適化できるということだった。まるでゲームのテトリスのように遊びながら最適化できてしまう。さらにおもしろいことに,モンテカルロ法で通常使われる「詳細つりあい」と呼ばれる条件を満たさなくてもうまく計算できるものだった。当時この条件をはずして計算する方法はほとんど知られていなかったので,これは良い発見をしたと思った。

そこからがまた大変だった。これは本当に新しい発見なのか——その疑問を解消するため様々な分野のモンテカルロ法の教科書や論文をあさった。ひじょうに広い分野で使われている手法であるため,教科書は文字通り山のように存在した。そのように膨大な先行研究を調べ,ようやく自信をもつことができた。自分がした発見は新しい研究の方向性で,まだほとんど誰も取り組んでいない研究テーマだ。これは良い論文が書けるに違いない。じっくり時間をかけて丁寧に論文を仕上げた注)。

そのちょうど同じ年,オーストラリアで統計力学分野の大きな国際学会が開かれた。新しい研究結果を発表しようと出版前の論文をたずさえ意気揚々と参加した。初めての論文に,初めての海外での学会発表。初めてづくしの経験に少し興奮気味に学会会場へ向かった。が,そこで待っていたのは,冒頭で述べた悪夢だった。なんと,今手にしている自分の論文とほぼ同じタイトルの発表があるではないか。うそだろ?まだ誰も取り組んでいない研究だったはず……。こんなはずでは……。握り締めている自分の論文が突然何の価値もない紙切れであるかのように感じて,一瞬目の前が真っ暗になった。 とりあえず,内容をちゃんと確認しなくては。気を取り直して発表内容を確認すると,研究の目指すゴールは自分の研究と全く同じだが,どうやらアプローチは違うようだった。内容が同じでないことがわかりほっと胸を撫で下ろしたのも束の間,まさか,同じ研究テーマで発表している人がもう一人いるではないか。何十年も取り組まれてこなかった研究テーマを突如として3グループが独立に始めていたのだ。この奇妙な偶然にはとても驚いた。

  モンテカルロ法で使われるアルゴリズムの比較。それぞれの色の面積が確率を表しており,色の配置換えの仕方で計算効率が決まる。筆者のアルゴリズム(右)ではすべての色が別の箱に配置され確率がうまく最適化される。

自分が取り組み始めた研究テーマに他の研究者も加わることは,実は良いことである。その後,この研究テーマは大きな広がりをみせ,数学・統計・物理・化学・情報等の様々な分野の研究者が取り組むようになった。今では国際的な研究会も頻繁に開かれている。悪夢に感じた体験から覚めた後は,以前より明るい空が広がっていた。

注) Hidemaro Suwa and Synge Todo, Markov Chain Monte Carlo Method without Detailed Balance, Phys. Rev. Lett . 105, 120603 (2010).

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理学部ニュース2021年11月号掲載



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