小柴先生の思い出
駒宮 幸男(早稲田大学 研究院教授/東京大学名誉教授)

我が国の基礎科学の巨星であられた小柴昌俊先生が2020年11月12日にご逝去されました。享年94歳でした。先生は1926年に愛知県豊橋市でお生まれになり,第一高等学校を経て1951年に本学・物理学科を卒業されました。1963年には本学物理学教室の助教授になられ,宇宙線μ粒子の束を故・戸塚洋二氏らと神岡鉱山で観測し,神岡との付き合いが始まりました。神岡関係は梶田隆章さん(東京大学特別栄誉教授)にお任せして,私はe+e-衝突実験などに関して書きます。

マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)のサミュエル・ティン(Samuel Ting)教授(J/ψの発見で米国SLAC国立加速器研究所のバードン・リヒター(B. Richter)教授とともにノーベル物理学賞)が東大に講演に来たときの写真。いちばん左が筆者。

先生は,1970年代初めから高エネルギーe+e-衝突実験の重要性を認識され,この道の先駆者であるノボシビルスクのゲルシュ・ブトケル(Gersh Budker)教授との協同研究を始めましたが,まもなくブトケル教授が倒れて計画が頓挫してしまいました。そこで,ヨーロッパを回ってドイツのDESY研究所(ドイツ電子シンクロトロン:Deutsches Elektronen-Synchrotron) で始まるe+e-衝突蓄積リングDORISでのDASP実験に参加することを企画されました。この実験が始まってすぐ1974年には現在の素粒子標準理論への方向をきめるJ/ψ粒子がアメリカで発見され,DASP実験はJ/ψ粒子こそ逃しましたが,関連した粒子Pcを折戸周治氏らが発見しました。これらの成果を踏まえて,DESYは次のe+e-コライダーPETRAの建設に着手し,先生はそこでの国際共同実験JADEのために理学部附属素粒子物理国際協力施設を設立され ました。PETRAでは強い相互作用を媒介するグルーオンを発見しました。1980年代始めにはヨーロッパは素粒子物理のメッカであるCERNにより大きなe+e-コライダーLEPの建設を計画していましたが,小柴先生はこの情報をいち早く掴み東大が参加する道を作りました。LEPは標準理論の確立に大きく貢献しました。現在,LEPの次のe+e-コライダーとして国際リニアコライダー(ILC)を日本の北上山地に建設する計画を進めていますが,与謝野馨議員らは2006年にILC計画のための議員連盟を設立し小柴先生もそれを助け, 2008年には先生はILCの産学連携組織の立ち上げにも屈力されまし た。2012年にLHCでヒッグス粒子が発見されて,ILCの重要性が 高まりILCの建設が国際的なコンセンサスになっています。

眼光鋭い小柴先生。ドイツのPETRA 加速器立ち上げのためのフラスカティ研究所(The INFN National Laboratory of Frascati)での集会にて,ボン大学(Universität Bonn)のヴォルフガング・パウル(Wolfgang Paul)教授と。

2002年にノーベル物理学賞を受賞されてすぐに,その賞金などを基に平成基礎科学財団を立ち上げられ,広い分野の著名な科学者を講師に呼んでおもに高校生のための「楽しむ科学教室」などを開催して基礎科学の振興にも尽くされました。先生は,「研究者は常に将来の研究の種となる卵を幾つか温めておき,それらが孵化して大きく成長できるかをときおり見極めなさい」と仰っておられました。小柴研究室の同窓会である「クォーク会」の初期の頃には,第一高等学校での学友だった大蔵省主計局長から共産党幹部まで来賓としてお招きになり,先生は「どんな政権になっても,俺は大丈夫だ」と豪語されていたのを思い出します。 2019年11 月のクォーク会で先生とお会いしたのが最後になりました。先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

理学部ニュース2021年1月号掲載



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