アメリカでポスドクをしていた頃,友人が「電球ジョーク」を教えてくれた−− 電球をひとつ取替えるのに〇〇 になら何人必要か?−− いろいろな〇〇 に,ウィットに富んだ答えを工夫するのである。ある日彼が,理論物理学者なら何人必要か?と言う。唸る私に彼が教えてくれた答えは−− 1人あるいは無限大。なるほどネ,思わず膝を叩いた。理論物理学者は,極限的な状況を考えて物事を単純化することが大好きなのだ。

いわゆる素粒子のダークマター等を別にすれば,この世界の物質の質量はほとんど原子核が担っている。原子核は「強い相互作用」する素粒子であるクォークとグルーオンの束縛状態だから,質量の起源はこれら構成粒子にあると思うだろうが,面白いことにそうでない。ヒッグス粒子が与えるクォーク質量は陽子や中性子の質量の1パーセント未満だし,グルーオンは光子と同じく質量をもたない。普通に考えたら束縛状態というのは構成粒子の質量より束縛エネルギーぶんだけ軽くなるのに,質量がほとんどゼロの粒子がなぜか束縛状態を作り,その束縛状態がなぜか構成粒子の百倍以上の質量を獲得するわけである。この摩訶不思議な束縛状態や質量獲得のメカニズムを解明するにはどうしたらよいか?ここで物理学者は極限的な状況を考えるのである。

典型的エネルギーを上げていくと,クォークとグルーオンの結合が弱くなっていくことが知られている。ということは高エネルギー(たとえば高温の)環境下では,束縛が融けたり質量がほぼゼロに戻ったりして,物事が単純になるのではないか?このようなアイデアに導かれて80年代から相対論的重イオン衝突実験と呼ばれるプロジェクトが進められた。実験で確認された到達温度は実に4兆度であり,クォークとグルーオンがばらばらに融けた新しい物質形態の性質について多くの驚くべき知見がもたらされた。

  約1.5兆Kの高温でクォークとグルーオンの融けた状態に転移する。中性子星中心部の密度は原子核内部の密度の5倍以上に達し,そのとき質量密度は1cm3あたり1兆kgを超える。クォーク・グルーオン物質の相構造に関してさまざまな理論予想がなされているが,実験的検証は今後の挑戦的課題である。  

高温のつぎは高密度極限といきたいところだが,これが全く容易でない。衝突実験で密度を上げるのは難しく,宇宙で最も密度の高い環境である中性子星の観測データがほぼ唯一の手掛かりなのだが,現状で得られるデータは質も量も限られている。また理論面の困難も大きい。高温極限では温度という典型的エネルギーによってすべての粒子が弱結合化して,クォークとグルーオンがばらばらに融ける。同様に高密度極限でもクォークが融けた状態,すなわちクォーク物質への転化が半世紀前から理論予想されているのだが,密度はクォークだけが担うから必ずしもグルーオンまで含めた全ての粒子が弱結合化するとは限らない。最近では,クォーク物質とは何なのか,という根本を見直す研究が脚光を浴び,半世紀を経て私たちは,クォーク物質についてあまりに何も知らなかったということを再認識するに至った。クォーク物質と中性子物質が双対関係で連続的につながっているという可能性も盛んに議論されており,もしそうであれば,そもそもクォーク物質を理論的に定義することさえ難しい。

重力波も含めた中性子星観測データが蓄積されることで,段々と中性子星の内部構造の解明 が進むと期待されている。その高密度の果てに,クォーク物質が存在するのか?近い将来,きっと答えが与えられるはずである。そしてそのとき,新たな研究の地平線が開けるに違いない。

理学部ニュース2020年9月号掲載



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