未来の科学を創る新規分光計測

井手口 拓郎(物理学専攻 講師)

 


私たちの身の回りは分子であふれている。たとえば,空気は窒素や酸素,二酸化炭素などの気体分子で構成されており,私たちの身体を構成する細胞の中にはさまざまな種類の生体分子がひしめき合っている。つまり,身の回りの自然を科学するにあたり,分子を計測することは本質的な重要性を持つ。光を分子に当てると分子の振動を誘発し,光が吸収される。各分子は固有の周期で振動するため,広い波長領域にわたる吸収スペクトル注)を計測すればその種類を同定できる。分子がそれぞれ異なる分子振動スペクトルを持つことを人間の持つ指紋になぞらえて分子指紋ともよぶ。

光で分子振動スペクトルを計測する手法を分子分光法と呼び,標準的な手法としてフーリエ変換分光法が広く利用されている。この手法では計測試料に含まれる分子による吸収を受けた光を,干渉を用いた手法によって周波数分解(波長分解)してスペクトルを計測する。光の干渉を用いて周波数分解をするには,時間と周波数の間にあるフーリエ変換の関係を利用する。具体的には図左のような二つのアームを持つマイケルソン干渉計に光を導入し,いっぽうのアームの鏡を一定速度で平行移動させて得られる光の干渉時間波形をフーリエ変換することで周波数分解された光のスペクトルを得る。広い分子振動スペクトルを簡便に得ることができるこの手法は過去50年にわたり使われ続けてきたが,その計測速度は鏡の機械的な移動速度で制限されており, 1秒間にせいぜい10回計測するのが限界であった。物理学の先端技術の知見を利用して,この計測速度の限界を突破し高速化することはできるだろうか?

   
図:(左)従来型のフーリエ変換分光法 
(右)開発したフーリエ変換分光法

ここで視点を変えて,少し分野の異なる超短パルスレーザーを用いた先端光技術に目を向けてみよう。この分野で良く知られている技術として,光の波形を自在に制御するパルス波形制御とよばれる技術がある。われわれは,一見関係のなさそうに思えるこの波形制御技術とフーリエ変換分光法との間に親和性を見出し,上記の計測速度の限界を突破する新手法を開発した。具体的には,図右に示すように,鏡を平行移動する部分を波形制御の光学系に置き換え,そこに高速に角度変化する鏡を導入することで干渉波形の取得レートを高めることに成功した。このわずかな工夫により,計測速度は1000倍向上し, 1秒間に1万回計測することが可能となった。 

本研究のように最先端技術の知見をもって従来の計測法を再考すると,劇的な性能向上を達成で きることがある。最先端技術と計測法の背景にあ 新しい計測法はそれまで観測が困難であった現象の計測を可能とし, 新しい科学に取り組む機会を私たちに与えてくれる。 新しい計測法が新しい科学を生み出してきたことは歴史が証明してきた事実であり, これは実験による実証に立脚する自然科学において本質的である。 物理学の知識と経験を駆使すれば, 未来の科学を支える新しい計測手法を開拓することができる。 未来の科学を創る新規分光計測る物理を深く理解し,考えを巡らせることで洞察が生まれ,このような結果が得られる。こうして開発された高性能計測法はこれまでに観測されたことのない現象の計測を可能とし,新しい科学に挑戦するきっかけを与えてくれるであろう。

本研究は,K. Hashimoto et al ., Nature Communications, 9, 4448(2018)に掲載された。

注)スペクトルとは光の波長分布のこと

(2018年10月25日プレスリリース)

理学部ニュース2018年10月25日号掲載

 

 

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