理学部紹介冊子
カタツムリの多彩な世界
カタツムリはその愛嬌のある姿から,私たちにとって身近な生物の一つであろう。私たちが思い浮かべるカタツムリは丸くて渦を巻いた貝殻を持つだけの,一見ぱっとしない生物かも知れない。しかし,世界にはそんな私たちの想像を見事に裏切ってくれるカタツムリ達がいる。殻だけに注目しても,美術品のような美しい形状をもつもの,一度見たら忘れられないほど鮮やかな色彩をもつものさえいる。その生態や形態,著しい種分化など,カタツムリの織り成す世界は実に多彩である。今回の研究室訪問では,国内では数少ないカタツムリ専門家の一人である生物科学専攻の上島先生に,カタツムリの魅力について話を伺った。
カタツムリとナメクジ

カタツムリは陸に生息する巻貝の一般的呼称である(注1)。巻貝は一般に水中でえら呼吸をするが,カタツムリは肺を持つため陸上で肺呼吸をする。背中に大きな貝殻を持つものをカタツムリ,殻が退化して消失したものをナメクジと呼ぶ。なお,ナメクジは多様なグループを含んでおり,起源の異なるカタツムリから独立に殻を失い収斂進化(注2)した結果,同じような形をしているものをまとめてナメクジと総称している。カタツムリは外套膜から炭酸カルシウムを分泌することによって貝殻を形成する。殻を持つことのメリットとしては,外敵に対する物理的防御,体からの水分の蒸発を防ぐなどがあるが,自分の体が隠れるような大きな殻を作ることは,物質とエネルギーの双方で大きな負担となる。
いっぽう殻をもたないナメクジは,殻に投資するエネルギーをすべて自分の体の成長に投資できるので成長がひじょうに早く,殻が無いことによって狭い場所にも入って行けるため,新しい生活環境に進出できるといったメリットがあるが,殻を持たないため,捕食や乾燥に対してはカタツムリよりも弱くなるというデメリットもある。カタツムリとナメクジのどちらが生存にとって有利であるかは,一概には言い切れず,環境要因にも大きく依存する。
カタツムリは一般に湿度の高い地域に広く分布しているが,中には例外的に砂漠で生活することに特化した種もある。殻の大きさも1mm以下のものから30cm近いものまで分布している。基本的に雌雄同体であり,その生殖は2個体が互いに精子を交換するスタイルが一般的である。
カタツムリは乾燥に弱く,基本的には這って移動することしかできないため,長距離の移動が不可能である。したがって,カタツムリは狭い地域内でしか遺伝的交流ができず,集団間の遺伝的分化が起こりやすい。その結果,カタツムリは地域ごとに種分化が進み,日本だけでも800種のカタツムリに分化している。このようにカタツムリは地理的隔離による種分化を研究する上で理想的なモデルケースとなっている。
殻の巻きの左右

図1:右巻きと左巻きのカタツムリ

図2:鎧のような形状をした殻をもつカタツムリ

図3:パプアミドリマイマイ

図4:サオトメイトヒキマイマイ

図5:キューバで採集したカタツムリ

図6:樹上性のナメクジ
カタツムリは螺旋状に巻いた貝殻を持つ。その巻き方には上から見て,渦の中心からどちら回りに殻が成長するかによって,右巻き(Dextral)と左巻き(Sinistal)がある(図1a)。右巻きと左巻きのカタツムリでは,貝殻の巻き方だけでなく,体の左右がすべて反対になっている。殻の巻き方は一つの遺伝子座によって決定されており,その遺伝子の突然変異により左右が逆転することが知られている。最近の上島先生らの研究によって,逆巻きの突然変異が固定することで新しい種が分化していく過程が明らかになった(Nature, Vol. 425, 16 Oct 2003, 679)。カタツムリは,2個体が向かい合い生殖口を対面させて交尾を行うため,巻き方の同じ個体どうしでは正常に交尾ができるのに対し(図1b),逆巻き個体どうしでは生殖口の位置も逆であるため交尾ができない(図1c)。従って,カタツムリは巻き方が同じ者同士としか交尾ができず,逆巻きの突然変異が小集団に固定すると,別の種に分化しうる。これは,たった1個の遺伝子の突然変異によって種分化が起こりうることを示した最初の報告である。
ユニークな形状の殻を持ったカタツムリ
特徴的な殻を持ったカタツムリもいる。殻の形態といってもさまざまなものがあり,私たちが想像するような円形で平たく渦を巻いているおなじみのスタイルの他に,細長い貝殻を持つ種もある。海で見られる貝には形態にさまざまなヴァリエーションがあって,捕食者に食べられないようにするために棘や突起を持つものが知られている。カタツムリでは殻にこのような突起を持つのは稀であるが,最近,パラオで採集された小型のカタツムリは顕著な棘やひれ状の突起を持ち,そのほとんどが新種のカタツムリであった。その中の一つを見ると(図2),殻は鎧のような形状をしており海の貝のようであるが,れっきとしたカタツムリである。私たちの知っているカタツムリの既成概念を超えた,実にユニークな種である。
カラフルなカタツムリ
カタツムリの殻の色もさまざまである。南方のカタツムリには鮮やかな色彩を持つものが知られているが,そんなカタツムリの一部を見せていただいた。パプアニューギニアで見られるパプアミドリマイマイ(学名Papuina pulcherrima)は,その名の通り鮮やかな黄緑色の殻に,巻きに沿って黄色のラインを持つカタツムリである(図3)。このカタツムリは,殻の表面の殻皮と呼ばれる外側の組織に色がついているため,殻の内側は白い。なお,このカタツムリはワシントン条約(注3)によってパプアニューギニア国外への輸出は禁止されている。また,中米に生息するサオトメイトヒキマイマイ(学名Liguus virgineus)は,白地の殻の上にさまざまな色のラインが巻きに沿って走っており,実に美しい模様を描いている(図4)。
これらのカタツムリは,色や模様を後から描いたように見えるかもしれないが,れっきとした天然モノである。またキューバで採集されたカタツムリの場合,近接した地域に生息しているにもかかわらず赤,黄,白という原色の殻の上に渦巻き状の模様をもっており,実に鮮やかである(図5)。私たちが知っている日本のカタツムリは茶色っぽい地味な色彩で,殻の模様が種によって微妙に違う程度であり,どちらかというと侘び寂びを感じさせるものである。それに対し,キューバのカタツムリはその色彩や存在感からしてラテン系民族の陽気さを想起せずにはいられないものがある。これらのカタツムリが一体どういった理由でこのような色彩を獲得したのか気になるところであるが,共通点があるとすればいずれも南方の国々で見られるカタツムリということである。
葉の上に隠れるナメクジ
外敵からの攻撃に対して,カタツムリは殻を持つことで物理的防御が可能である。殻の色彩もうまく隠蔽色として機能しており,殻の模様や色が周囲に溶け込んで見つかりにくくなっているものが多いいっぽうで,ナメクジの場合は殻をもっていないので,捕食者に対してきわめて無防備な状態にある。そのためナメクジは,攻撃を受けたときにネバネバした粘液を大量に分泌したり,すばやく逃げるなどの防御行動をとるものが多い。
世界にはさらに一枚上手を行く見事な防御術を持ったナメクジがいる(図6)。それはプエルトリコに生息する樹上性のナメクジ(学名Gaeotis)で,体の大部分が半透明であるため,葉の上にいると透けて見える。さらに不透明な内臓には緑色に色がついており,葉脈のような模様もあるため,葉っぱに巧妙に擬態しており,葉の上にいるとナメクジがいることすら分からない。コノハムシのナメクジ版といったところであるが,私たちが想像するような地味なナメクジのイメージを覆す極めて特殊な擬態の例である。
カタツムリ研究の醍醐味
日本でカタツムリの研究に携わる人々は,貝殻のコレクターを中心とするアマチュア研究家が比較的多く,プロの研究者は少ないようである。生物学の一部の分野(分類学や生態学など)ではアマチュア研究家が活躍するケースが少なくない。プロとアマチュアの違いについて伺ったところ,「見かけの違いは,プロは高価な実験機器や設備を使えることであるが,プロとアマチュアの研究で本質的に違うことは,プロは学問に対する責任を負っていることである」とのことであった。研究を進める際には,楽しいことをやるだけでなく,楽しくなくても研究に必要なことも進めていく能力が,プロの研究者には必須である。また,プロとして研究をしていく上で何が大切かという質問には,「自分が一番面白いと思うことを研究することが大切だと思う。研究を進めて行く際にさまざまな壁にぶつかる時が必ず来る。そういう時に自分が本当に興味を持っている研究をやっているという自覚があれば,たいていの問題は解決しながら研究を続けていられる。僕の場合は自分の好きなことの延長線上に今の研究があるから,今の研究環境はすごく恵まれていると思う」と答えられた。上島先生は貝の収集という趣味が現在の研究の原点となっている。
カタツムリ研究の醍醐味について質問したところ,「カタツムリは移動能力が低くて地理的隔離による遺伝的分化が進みやすく,種分化が激しい。このことは進化を研究する上で絶好の研究材料である。またカタツムリの分類には,細かい特徴や形の微妙な違いを識別できる目が必要で,誰にでもできるわけではないという職人芸のような所も魅力の一つ」とのことであった。確かに,遺伝情報を基に系統樹を作ることはほとんどルーチン化されているが,どの生物種を対象にして何を調べれば良いのかという最も重要な着眼点を得るには,生物を実際に見て問題を感じ取る能力が必須である。
上島先生の研究はいわば「カタツムリとの対話」のようなものであり,カタツムリの世界が,形態においても種数においても驚くほど多様であるように,その研究の世界も深く,広がりを持つものであった。