シンプレクティック幾何学

今野 宏(数理科学研究科 准教授)

19世紀の数学者ハミルトンは,古典力学の運動方程式を位置と運動量を座標とする空間(相空間)上の方程式として定式化した。この相空間のもつ構造を抽象化したものがシンプレクティック構造である。長い間シンプレクティック幾何は純粋な幾何の問題というよりはむしろ微分方程式の問題と関連して発展してきた。ところが最近の30年ほど,物理学と幾何学との結びつきが深くなるとともに大きな変貌をとげた。

古典力学における運動量保存則などの枠組みは,シンプレクティック幾何において運動量写像として抽象化されて,シンプレクティック構造をもつ空間(シンプレクティック多様体)の対称性を調べる手段を与えている。シンプレクティック多様体が対称性をもつとき,シンプレクティック商とよばれる別のシンプレクティック多様体が構成される。一方,代数幾何においても対称性をもつ空間から別の空間が構成される。この2種類の構成法は全く異なっているが,幾何において重要な空間はしばしばこの2通りの方法で構成される。その結果,ひとつの空間をシンプレクティック幾何と代数幾何という全く異なる側面から調べることが可能になり,深い結果が得られる。また,ハミルトンの運動方程式が正準量子化と関わるように,シンプレクティック幾何学において幾何学的量子化,変形量子化など量子化の幾何学的側面が研究されている。

また,M.グロモフ(Mikhael Gromov),A.フレアー(Andreas Floer)により擬正則曲線の手法が導入されて,シンプレクティック幾何学は一変した。擬正則曲線とは,曲面からシンプレクティック多様体へのある写像のことで,この手法によりシンプレクティック多様体の大域的な性質が次第に明らかになってきた。近年この方法を組織的に用いることにより,シンプレクティック多様体に対して,深谷圏とよばれるある代数系が構成された。これは素粒子物理学の弦理論の数学版とでもいうべきものである。20年ほど前に弦理論においてミラー対称性という現象が発見されたが,その後数学においてM.コンツェビッチ(Maxim Kontsevich)によりホモロジー的ミラー対称性予想として定式化された。これは,ある多様体のシンプレクティック幾何(深谷圏)と別の多様体の複素幾何から構成されるある代数系が等価であるという,という驚くべき壮大な予想で,次第にその様子が解明されつつある。

本研究科では,細野忍准教授はミラー対称性を,筆者はシンプレクティック商を研究している。古田幹雄教授の最近の研究は幾何学的量子化に関連したものであるなど,シンプレクティック幾何学に関わる研究が数多くなされている。