キスペプチン

岡 良隆(生物科学専攻 教授)

キスペプチンとは,脊椎動物脳内のおもに視床下部とよばれるところにあるニューロンがつくる,ペプチドである。KISS1 遺伝子の産物で約54個のアミノ酸よりなるこのペプチドは,武田製薬の大瀧徹也ら日本人研究者がガンの転移(metastasis)抑制因子として2001年に発見したことから,メタスチン(metastin)とよばれていた。その後メタスチンが脳下垂体からの生殖腺刺激ホルモンの強力な分泌促進作用をもち,思春期の開始に重要であることが報告され,生殖神経内分泌分野でにわかに注目を浴び始めた。これに伴い,KISS1 がfirst kissを連想させること,KISS1 遺伝子がハーシーチョコレート(キス・チョコレートという製品で有名)工場のあるペンシルバニア州の大学で発見されたこと,などの理由から,キスペプチン(kisspeptin)とよばれることが多くなった。

脊椎動物においては,視床下部から生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)が分泌され,GnRHの作用により脳下垂体から生殖腺刺激ホルモンが,そして生殖腺刺激ホルモンにより生殖腺から性ステロイドホルモンが分泌される。この性ステロイドホルモンが脳に達してGnRH分泌量を調節することにより,生殖腺機能の恒常性が神経・内分泌的に保たれる。この脳内生殖制御回路において,キスペプチン産生ニューロンは,血中の性ステロイド濃度情報をGnRHニューロンに伝える大事な働きをするらしい。

生物科学専攻生体情報学研究室では,生物学の多方面でモデル動物として有用でゲノムデータベースも完備したメダカを中心に,キスペプチンニューロンの研究を進めており,ノーベル賞受賞で有名になったGFP蛍光タンパク質などでGnRHニューロンやキスペプチンニューロンを標識した遺伝子改変メダカを用いて,上記脳内回路の解明を目指している。また,KISS1 遺伝子に相当する非哺乳類kiss1遺伝子のみならず,遺伝子重複により進化の過程で生じたkiss2遺伝子をメダカで発見し,さらに両遺伝子が脊椎動物に広く存在することを示した。今後それらの機能を細胞から個体の生殖や行動レベルで解明するとともに,こうした遺伝子機能の多様性が神経・内分泌系で生じる仕組みを解明していく。