分子モーター

平岡 秀一(化学専攻 准教授)

多くの機械にモーターが組み込まれているように,われわれの体を自在に動かし,また生命活動を維持するために,分子レベルのモーターが備わっている。これらを生体分子モーターとよぶ。回転運動を行うバクテリア鞭毛モーターや直進運動を行うミオシンやキネシンなど,多くの生体分子モーターはタンパク質からなり, 10 nm程の大きさで,常に水の粘性抵抗にさらされて運動している。また, DNA合成酵素やDNA二重らせんをほどくDNAヘリカーゼ, RNA合成酵素などの遺伝情報に関わる酵素もDNA上を進むリニアモーターである。生体分子モーターのエネルギー源の多くはアデノシン3リン酸(ATP)の加水分解により得られる自由エネルギーであり,これが熱エネルギーの約20倍しかないことから,熱揺らぎを巧みに利用して運動する点が生体分子モーターと通常のモーターとの大きな違いである。

生体分子モーターの研究の歴史は生化学的な解析から始まり,その後光学顕微鏡や高感度カメラの開発により生体分子モーター1分子を直接観察する方法が主流となった。これにより生体分子モーターの研究は飛躍的に発展し,さまざまな生体分子モーターのメカニズムが明らかになりつつある。

生体分子モーターの研究がその機構解明にあるのに対して,人工的に分子レベルの機械を構築しようとする挑戦がなされている。これら人工分子モーターの開発は,さまざまな化学結合の結合,解裂,変換とそれに伴う原子の相対位置変化を利用し,機械のような動きを行う分子を化学合成する試みである。これらの分子は生体分子モーターとは異なる独自の運動メカニズムにより駆動することから, ゼロからの開発である。本学では,工学系研究科の相田卓三教授や筆者らが機械的な動きを行う人工超分子の研究開発を行っている。

生体分子モーターは数十億年という長い進化により高い機能性を獲得した。いっぽう,人工分子モーターの研究はたった十数年が経過したばかりである。現在,人工分子モーターの開発における問題はエネルギーをいかに効率よく運動に変換するかである。生体分子モーターではATP合成酵素がその重要な役割を担っている。このため,見方を変えると人工分子機械の開発は高度な触媒開発のひとつであるといえる。