正規化行列式

吉川 謙一(数理科学研究科 准教授)

無限個の数を掛け合わせるとその値はしばしば発散する。たとえば,すべての自然数の積1・2・3・…は普通に考えると無限大である。しかし,このような発散量から何らかの有限値を取り出したい事がある。正規化行列式とはそのための手段のひとつである。正則行列Mの行列式の対数log(det(M))は,複素変数sの関数F(s) = -[Tr(M)- s]の原点における微分F(0)に等しい。Mが無限次元であってもこの関係式が成り立つように正規化行列式を定義する。つまり,行列Mのサイズが無限大であっても,解析接続の結果F(0)が存在する場合にはMの正規化行列式をexpF(0))で定義する。たとえば,Mとして{1,2,3,…}を成分とする対角行列を考えれば,正規化行列式1・2・3・…は2πの平方根に等しい。正規化行列式は通常の行列式が充たす多くの性質を充たす。

正規化行列式の正確な起源を筆者はよく知らないが,現在の幾何学的な研究に大きな影響を与えたのは1970年代のレイ(D. B. Ray)とシンガー(I. M. Singer)による解析的捩率の導入である。彼等は位相幾何学におけるライデマイスター捩率の解析的類似を考え,その過程で上に述べた正規化行列式を考えた。解析的捩率とは,ラプラシアンとよばれる線形微分作用素の正規化行列式を適当な重み付きで掛け合わせて得られる数のことである。解析的捩率の理論は1980年代の後半以降に急速な発展を遂げ,現在では数理物理学やアラケロフ幾何学において用いられるなど,重要な概念となっている。

正規化行列式が明示的に計算できることは一般にきわめて稀であるが,可能な場合もある。複素平面上の二重周期関数全体の成すベクトル空間には,ラプラシアン -(∂xx +∂yy)が線形変換として作用する。この時,ラプラシアンの非零固有値全体の正規化行列式は,デデキントのエータ関数とよばれる美しい関数と周期を用いて記述される。弦理論におけるミラー対称性の研究から,この事実を拡張する驚くべき予想が1990年代初期に大栗博教授(カリフォルニア工科大,東大数物連携宇宙研究機構)を含む4人の物理学者により提出され,数学において正規化行列式や解析的捩率が研究される重要な動機のひとつとなっている。