基本再生産数

稲葉 寿(数学科 准教授)

1人の女性が生まれてから各歳まで生き延びる確率(生残率)とその年齢における年齢別女児出生率の積を全年齢について総和したものが人口の「基本再生産数」(basic reproduction number)である。これは1人の女性が生涯にもつ女児数の期待値であり,人口学や疫学ではR0と表される。これを約2.08倍すると男女込みの平均出生児数が得られるが,それが少子高齢化の議論で紙上に頻出する合計特殊出生率(TFR)である。

与えられた出生率と死亡率のもとでは,基本再生産数は母親世代とその娘世代の総数比に等しく,R0が1より大きければ,人口は世代単位でみて拡大再生産されるが,1より小さければ縮小再生産される。人口は異なる年に生まれた多数の世代の集合であるから,世代単位でみた再生産の動きとただちに同じように運動するわけではないが,長期的にみれば,R0>1であれば,人口は増加するし,R0<1であれば人口減少がおきる。すなわち,基本再生産数が1となる出生と死亡の水準が,人口の長期的な増減をきめる臨界的な条件になっている。少子化が心配される日本人口の2005年のR0は0.61で,これは母親世代の人口の6割程度の数の娘しか生まれてこないことを意味している。等比級数の公式を用いればすぐにわかるように,このような縮小再生産が将来も続くとすると,未来永劫までに生まれてくる女性子孫の総数は,初期の女性人口の総娘数の1/(1-0.61)=2.56倍でしかない。

基本再生産数は人口学でうまれた概念であるが,感染症疫学でもキーとなる基本的概念である。ちょうど子供の再生産と同じように,感染症では,1人の感染者が感受性人口に侵入したときに,その全感染性期間において再生産する2次感染者の平均数を基本再生産数と定義している。このときもR0>1なら流行の拡大がおこるが,R0<1ならば流行は自然消滅する。そこで感染症根絶のためには,R0<1となるようにワクチン接種や隔離をおこなわなければならないことがわかる。たとえば麻疹などのようにR0が10をこえる感染症では,90パーセント以上の人口にワクチンを接種して免疫化しないと根絶できないことが示される。R0は感染症の侵入の条件を与えるが,ある感染症が風土病化して定着するかどうか,というような長期的な動態をもしばしば決定している。感染症のダイナミクスを数理モデルを使って理解して予測や予防・制圧に役立てることが,数理疫学の役割である。

数理科学研究科の稲葉研究室では,人口学や疫学の数理モデルの研究をおこなうとともに,理学部学部教育特別プログラムのひとつであるアクチュアリー・統計プログラムにおいて,人口学の講義を開講している。