ヒッグス粒子

駒宮 幸男(物理学専攻 教授)

素粒子の多くは質量をもっている。その質量の起源となるのがヒッグス粒子だ。光子などの質量ゼロの素粒子は光速度で走る。宇宙初期の高温状態では,恐らくすべて素粒子の質量はゼロで,光速度で飛び回っていた。宇宙が膨張して冷えてきたある時点で,ヒッグス粒子の場が空間(「真空」)に凝縮した。宇宙が,水蒸気が冷えて水になるような相転位を起こしたと考えられる。素粒子は,この凝縮したヒッグス場と相互作用するようになり,いわば抵抗を受けて光速度で走れなくなった。これは質量を持ったということだ。素粒子の質量はヒッグス粒子との相互作用の強さに比例する。光子などはヒッグス粒子と相互作用しないため,いまでも質量がゼロのままであり,トップクォークなどは,ヒッグス粒子と強く相互作用するため,大きな質量をもつようになった。つまり,真空に充満したヒッグス粒子の場は素粒子を動きにくくして質量を与える役目をする。あえて例えれば,百メートル12秒で走れる人でもプールの中では水の抵抗を受けてゆっくりしか走れない。この水の役割をするのがヒッグス粒子だ。1960年代に英国のヒッグス(P. W. Higgs)博士が, 質量のない素粒子が質量を獲得する「ヒッグス機構」を提唱した。この理論にはシカゴ大学の南部陽一郎博士も大きな貢献をした。

ヒッグス粒子はまだ発見されていない。したがって上に書いた理論は,まだ実験的に検証されていない。30年以上も前から実験家はこの素粒子を発見しようと,さまざまな加速器を用いた実験で血眼になって探索してきた。ヒッグス粒子自身の質量は, CERN(ジュネーブにある素粒子物理研究所)で2000年まで稼働していた電子・陽電子の衝突加速器(コライダー)LEPでの実験によって, 114GeVから約200GeV の間の狭い範囲に絞り込まれている(1GeV は 109電子ボルトでエネルギー=質量の単位,陽子の質量は約1GeV)。

2008年から衝突エネルギー14,000GeVで本格的に実験が始まるCERNの世界最高エネルギーの陽子・陽子コライダーLHC(Large Hadron Collider)では,ヒッグス粒子の発見が期待されている。LHCでのATLAS実験には素粒子センターと物理学専攻の研究者や大学院生も参加している。LHCでヒッグス粒子は恐らく発見されると考えられているが,次世代の電子・陽電子コライダー(国際リニアコライダーILC)のクリーンな環境での精密測定によって,その背後の物理法則を解きほぐすことになるだろう。