エルニーニョ

山形 俊男(地球惑星科学専攻 教授)

海の上で風が何日も吹き続けたとしよう。表層の海水は風下側に吹き寄せられるだろうか? 答えは否である。北(南)半球ならば風を背にして右(左)方向に海水は吹き寄せられるのである。これは地球自転のなせるわざである。

南半球にあるペルーの沿岸では南風が卓越しているので,表層海水は西方沖合いに吹き払われ,これを補うために下層から冷たい海水が湧いている。下層の海水は栄養塩に富み,これが太陽光の届く表層(有光層)に運ばれると,まず植物性プランクトンが繁茂し,ついで動物性プランクトンが,さらにはアンチョビー(カタクチイワシ)などの小魚が集まって来る。夏(12月頃)になると風の収束帯が赤道付近にまで南下して南風は弱まり,付随して冷水の湧昇現象も弱まる。アンチョビー等はより南のチリの方に移動してしまうが,代わりに熱帯系の大型魚が獲れるようになる。海面水温の上昇で大気の対流活動が活発になり,雨が降りやすくなるので,砂漠地帯では植物が一斉に開花期を迎えることになる。16世紀にこの地域を征服したスペイン人達は,クリスマスの時に砂漠を花園に変える,この素晴らしい現象を「エルニーニョ」(El Nino)と呼んだ。エルニーニョとはスペイン語で男の子の意味であり,イエスキリストのことである。

5,6年に一度,ペルー沖から東太平洋に至る広い範囲で冷水の湧昇が弱まる時がある。この場合には赤道に沿う貿易風が弱まり,西太平洋熱帯域に蓄積している暖水が東太平洋に押し寄せてくる。この巨大な海洋現象が起きると,その影響は世界中に及んで,各地に異常気象を引き起こす。これが「エルニーニョ現象」(El Nino Event)である。この現象は大気側にも「南方振動」(Southern Oscillation)という巨大な気圧の東西振動を伴っている。海の「エルニーニョ現象」と大気の「南方振動」は一つの現象なのである。これを強調して最近では「エンソ現象」(ENSO Event)と呼ぶことも多い。1531年にピサロはインカ帝国を滅ぼしたが,高地のクスコまで騎馬隊で行けたのは,たまたま「エルニーニョ現象」が起きていて植物が繁茂し水と食料を得られたためと言われている。

「エンソ現象」に代表されるような気候変動要素現象(インド洋に起きる類似の現象が1999年に筆者らが命名した「ダイポールモード現象」である)の研究は1982〜83年の巨大エルニーニョ現象を契機に各国の研究教育機関で盛んに行なわれるようになった。地球惑星科学専攻では升本順夫助教授が熱帯海洋のモデル研究に加えて,インド洋の観測空白域を埋めるために精力的な活動を展開し,中村尚助教授は時空スケールの違った現象間の関係や「エンソ現象」の長期変調について活発なデータ解析研究を行なっている。東塚知己特任助手は大気海洋結合モデルを開発して現象の再現シミュレーションに力を注ぎ,茅根創助教授は太平洋やインド洋のサンゴのデータ分析から気候変動要素現象の解明に取り組んでいる。