日英学術交流150周年に思う

日英学術交流150周年に思う

佃 達哉(化学専攻 教授)

図1

ブルックウッド墓地に埋葬された4人の日本人留学生を讃える記念碑

のちに「長州ファイブ」として有名になった,伊藤博文,山尾庸三,遠藤謹助,井上勝,井上馨 — 5人の長州藩士が,日本の改革へのつよい想いを胸に横浜から英国に向けて秘密裏に出航したのは,幕末の1863年のことであった。彼らを迎え入れたのは,当時エーテル合成や原子論で名を馳せていたユニバーシティ・カレッジ・ロンドン (University College London, UCL) の化学者,アレクサンダー・ウィリアム・ウィリアムソン教授 (Alexander William Williamson) であった。ウィリアムソン教授は,5人のいわば不法滞在外国人をUCLに入学させるために奔走し,3名を自宅に下宿させて面倒をみた。UCLが当時の英国で唯一,人種・宗教・身分・思想のいかにかかわらず,教育と研究の門戸をあらゆる人に開いていたとは言え,なかなかできることではない。松田龍平さんの主演で映画(「長州ファイブ」,2007年公開)にもなっているのでご存知の方も多いかと想うが,この5人が帰国後に日本の近代化に対して果たした功績はきわめて大きい。伊藤博文は,新政府で初代の内閣総理大臣となり,明治憲法の立案の中心的役割を担った。井上馨は大蔵大輔(次官)から外務卿(大臣)を務め,井上勝は鉄道庁を創始し初代長官を務めた。山尾庸三は工部卿など工学関連の重職に就き,後の東京大学工学部の前身である工学寮を設立した。遠藤謹助は,明治維新後に大阪の造幣局長となった。

この日本の近代化への転換期とも言える長州ファイブの訪英から150年目にあたる2013年の7月に,ウィリアムソン教授夫妻の顕彰碑除幕と記念式典がロンドンで開催された。化学専攻に対してもご招待があり,専攻長として参加させていただくこととなった。私が専攻長になって一番変わったことは,歴史を勉強する機会が増えたことだ。今回ご招待いただいた理由も,ウィリアムソン教授と化学教室との深いつながりによる。ここで勉強の成果の一端を披瀝することを,お許しいただきたい。東京開成学校(東京大学の前身)の初代の化学部主任教授として1874年にロバート・ウィリアム・アトキンソン (Robert William Atkinson) を迎えたが,これはウィリアムソン教授の紹介によるものであった。アトキンソンのあとを継いだのが櫻井錠二で,ウィリアムソンに師事し,UCLから帰国した翌年の1882年には24歳の若さで化学科の教授となっている(今回の訪英の際に,櫻井の英語スピーチの録音を聞く機会を得たが,格調高く堂々たるものであり,たいへん感銘を受けると同時に格の違いを痛感した)。その後,櫻井は帝国学士院や東京化学会会長などの要職を歴任し,日本の学術振興に大きな貢献をした。本学においても,13年間に渡って理学部長の職にあり,総長事務取扱いを務めた時期もある。

ウィリアムソン教授夫妻の顕彰碑除幕式典は,7月2日にロンドン郊外のブルックウッド墓地で小雨模様のなか執り行われた。雅楽の演奏とともに厳かにはじまった式典では,安倍晋三内閣総理大臣からウィリアムソン教授ご夫妻に感謝状が贈られた。もっとも印象的だったのは,ウィリアムソン教授夫妻の顕彰碑が,想い半ばにして異国の地で結核のため命を散らした4名の留学生の墓標に寄り添う形で建っていたことである。4名の留学生のうちの山崎小三郎は,訪英後一年を待たずして結核に倒れたが,息を引き取るまでキャサリン夫人が看病したという。しかも山崎の墓は,英国ではじめての日本人の墓と記録されている。この心温まるエピソードに垣間見える英国民の博愛精神と度量の広さに対して,最大級の敬意を表したい。翌7月3日には,日英学術交流150周年の記念セレモニーとレセプションが,UCLの主催で開催された。150年を節目として,日英交流をさらに発展・深化させようというUCLの「熱」を感じたことを,この場をお借りしてお伝えしたい。もはや留学は150年前のように命を賭した冒険ではなくなったが,日本からの留学生が減少していることを嘆く声をUCLの多くの関係者から聞いた。少なくとも東大の学生さんには,国内と海外に垣根を設けることなく,もっと淡々と自由闊達に活躍して欲しいと思う。いっぽう,留学生を預かる身としては,彼ら彼女らは各国の宝なのだということを改めて認識した。今回の訪英は,国籍にかかわらず人材育成に貢献したいという気持ちを新たにするよい機会となった。ちなみに,この式典は,テニスのウィンブルドン選手権の真っ最中に開催された。おかげで,ヒースロー空港のラウンジで,達成感に包まれたクルム伊達公子さんが隣のソファーに座るという嬉しいオマケがついて,今回の訪問を終えることができた。今回の訪英でたいへんお世話になった大沼信一教授 (UCL) と鈴木龍之様(東大工学部卒)に,この場をお借りして厚くお礼を申し上げたい。