第7回 科学英語の書き言葉と話し言葉

トム・ガリー (Tom Gally)

私は東京大学で化学専攻の博士1年生に化学英語演習(Academic English for Chemistry)というコースを教えて,3年目に入った。その間に,授業での会話や宿題の添削を通して大学院生たちの英語能力がだいたい分かってきたと思う。専門分野や大学によって多少の違いがあるかも知れないが,私が教えてきた人たちの英語のレベルは日本全国の若手科学者のレベルと大差はないだろう。それから言えることの一つは,書き言葉はほとんどの若い研究者がよくできるが,話し言葉には大幅な個人差がある,ということだ。

博士課程に入ったら最先端で研究することになる。英語が科学の国際語になってしまっているので,英語で書かれている科学論文をたくさん読まなければならない。ほぼ毎日たくさんの英文を読むと,英語の読解力がずいぶん上がるし,自分の論文作成に応用できる言い回しや専門用語もたくさん習得する。冠詞など難題の文法や文章の組み立てでは改良できるところがまだあるとしても,少なくとも,私の生徒のなかには英語の論文を読めない人,または自分の研究について意味が通じる論文を書けない人はまずいない。

しかし,会話力,口頭発表力,聞き取り力の面ではかなりの差がある。一部の大学院生は日常会話だけでなく高等なレベルでのディスカッションも流暢にできるし,外国人の早口なしゃべりも問題なく聞き取れる。一方,少数ながら簡単な挨拶や自己紹介すらできない人もいる。レベルはこのようにいろいろなのだが実は,全員が共通の課題を抱えている。それは,英語の書き言葉と話し言葉の違いにもっと敏感になるということだ。

例えば,次のような文を大学院生の論文にたまに見かける。

  • A lot of examples of organic semiconductors are known.
  • 有機半導体の例がたくさん知られている。

ここでの問題は,「a lot of 」だ。

「a lot of 」 は主に会話やくだけた文章でしか使わないので,科学論文には相応しくない表現だ。論文では 「 Many examples of... 」 にすべきだ。

次のような文もときどき見かける。

  • You need a high temperature to synthesize beryllium chloride.
  • 塩化ベリリウムを合成するには高温度が必要だ。

文頭の「 you 」 は「あなたは」ではなく「人は」または「だれでも」の意味を持っていて,ふつう日本語に訳さない代名詞だ。この「 you 」 は会話ではよく使うが,公式的な文章にはそぐわない。その代わりに,総称の意味を持つ「 one (One needs a high temperature...)」が使えなくはないが,

  • A high temperature is needed to synthesize beryllium chloride.

  • The synthesis of beryllium chloride requires a high temperature.

など,代名詞を使わない構文にしたほうが良いと思う。

もう一つの例。

  • This analysis method can't be applied to proteins.
  • この分析方法はたんぱく質に応用できない。

ここでの問題は 「can't 」だ。現在は 「can't」, 「 aren't」, 「could've」, 「we'd 」などの短縮形は新聞や雑誌の文章でも使うようになったが,科学論文にはまだインフォーマルすぎるとされている。「cannot」, 「are not」, 「could have」, 「we would (または we had)」のように,フルスペルにするのが好ましい。

上のような,論文に適していない口語表現は確かに良くないが,その逆の,口頭発表での,文章的な表現の使用のほうが深刻だ。話す英語に能力が弱い若手研究者は,国際会議などで口頭発表をするときに,どうしても,論文で見慣れた文章的表現を使いがちだ。もちろん,国際会議は公式な場面なので,俗語やくだけた会話的表現は相応しくないが,それでも論文で使う表現をそのまま口頭発表で使えるわけではない。

典型的な例は略語だ。どの科学分野でも略語が多用されていて,コミュニケーションに不可欠になっている。もし DNA という覚えやすい略語の使用が許されなくて「 deoxyribonucleic acid (デオキシリボ核酸)」という言いづらい表現が義務づけられていたとしたら,遺伝子の知識が現在のように一般人の間に広まっていなかったかも知れない。 DNA という略語は英語でも日本語でも市民権を完全に得ているので,それを口頭発表で使っても全く構わない。問題なのは, DNA より専門的な略語や聞き取りにくい略語だ。

次の文が口頭発表で読み上げられたらどうなるだろう。

  • We added 500 ml of crude terephthalic acid (CTA) and heated the sample to 80℃.
  • 500ミリリットルの粗テレフタル酸(CTA)を入れて,試料を80℃に加熱した。

そのまま読み上げると, 「 ml 」が「エム・エル」, CTA が「スィー・ティー・エー」, 80℃が「エイティー・デグリーズ・スィー」となる。なお,括弧が口で言えないから, 「 crude terephthalic acid (CTA) 」 は続けて読まれる。

ここで何が問題かというと,これらの略語が短いから,発表者の発音が少し聞き取りにくい場合,また部屋に雑音がある場合,その意味が分かりにくくなることだ。例えば,「エム・エル」が「エヌ・エル」と聞こえたら,それだけで意味が「 nl (ナノリットル)」となってしまう。 CTA と℃ の C を「スィー」ではなくて「シー」と発音したら,日本人の発音に慣れていない人は,これを文字の名前ではなく「 she 」という代名詞として聞き取れてしまう。「 crude terephthalic acid (CTA) 」を続けて読むと, CTA がその前の言葉の略語ではなく,「粗テレフタル酸のCTA」と,「crude terephthalic acid」に修飾されている名詞として理解されてしまう。

略語が短いと,聞き手の耳に入る音の数も少ない。その音の数が少ないと,一つでも正しく聞き取れないと,全体の意味が変わってしまう可能性が高くなる。誤解を避けるには,口頭発表を準備するときに論文で使う略語や括弧を極力避けて,その代わりに耳で聞いてすぐ分かる話し言葉を使うとよい。

発表台本用に書き直すなら,上の例は次のようにしたい。

  • We added five hundred milliliters of crude terephthalic acid, or CTA, and heated the sample to eighty degrees Celsius.

500などの数字も言葉として書いているのは,発表者にとっては読みやすくなるからだ。

この「略語や数字を言葉に書き直す」というルールは,口頭発表の台本を準備するための第一歩にすぎない。次回は,文全体の書き直しなど,効果的な口頭発表の作り方についてもっと深く考えたい。