不安と期待の中で〜ドイツとアメリカから〜

不安と期待の中で〜ドイツとアメリカから〜

白岩 学(マックスプランク化学研究所 グループリーダー)

図1

カリフォルニアにて

図2

駈け出した白岩グループ。異文化交流も楽しみのひとつ

日本を飛び出し5年が経った。ドイツでの学位取得,アメリカでのポスドク生活,さらにドイツに戻っての研究室の立ち上げ,そして私生活では結婚,娘の誕生と,多くのことが瞬く間に起こった。

5年前,私は不安と期待の入り交じる中,マインツのマックスプランク化学研究所 (Max Planck Institut für Chemie) で学生として新生活をスタートさせた。博士課程の指導教官との出会いは修士課程在学中に行った中国での大気汚染の観測サイトだった。彼らの有機物や花粉といった大気エアロゾル粒子の化学反応の研究にとても興味をもった。また,100年以上の歴史をもち,約200人と小さな研究所でありながらノーベル化学賞を3人も輩出した伝統ある研究所に憧れた。留学生活が始まり,真新しい環境と研究についていけるよう必死だった。ドイツ内外の研究室との共同研究にも恵まれ,少しずつ自分の研究の手応えを感じてきた。とりわけ意識的に取り組んだのが国際学術誌への論文発表だ。修士時代に指導教員の近藤豊先生から頂戴した「論文を書かないのは仕事をしていないのと同じだ」との言葉は常に心の中にあった。3年後には学位を取得し,光栄にも国際賞注1もいただくことができた。

研究者としての次への大きなステップとなった,アメリカのカリフォルニア工科大学(カルテック California Institute of Technology) でのポスドク生活の1年間もとても充実したものだった。国際学会で出会った指導教官には,自分の給料は自分でもってくるように申し渡された。幸いにも海外学振に採用されドイツからアメリカに渡った時も,必ず成功してみせるという強い気持ちと同時に,できるだろうかという不安を感じた。カルテックの教員は然ることながら学生,ポスドクの研究への能力とモチベーションの高さに圧倒され,それがいい意味で自分へのプレッシャーとなり,毎日が刺激的だった。新しい研究テーマのもとにここでも必死に研究をした。

そしてここでは日本人の学生や研究者が多く,たくさんの同志とのいい出会いがあった。美味しいカリフォルニアワインをもち寄り,週末自宅に集まって彼らと過ごした日々は,ハードなポスドク生活の最高の楽しみだった。気候もよく,大学構内も公園のように美しい研究環境の中で研究に没頭できたおかげで,ここでの仕事は国際学会から招待講演の依頼を受けるなど,国際的にも徐々に研究者として認知されてきたように感じられた。

ドイツの母校からグループリーダーの話が来たのは,カルテックに来てから半年あたりである。はじめはすぐに独立する自信がなく,海外学振の2年をきちんと消化してからドイツに移ろうと思っていた。しかし,世界的に活躍されているカルテックの物理学の大栗博司教授との出会いと対話をきっかけに,現状に満足することなく次のステップに進むことにした。研究者としてリスクを恐れず常に挑戦心をもつべきだと,気持ちに踏ん切りがついたのだ。

そしてこの春,再び同じ地に戻ってきたのだ,5年前には想像もできなかった 立場で。今まで感じていた不安という気持ちは,国際舞台で一人前の独立した研究者になれるか,ということだった。今後もそのための努力は怠らないと常に戒めている。駆け出し研究者として,地に足をつけ,目の前のことに着実に取り組んでいくことが重要だろう。そして何より,学生とポスドクたちとサイエンスを思いっきり楽しみたい。

PROFILE

白岩 学(しらいわ まなぶ)

2008年 東京大学大学院理学系研究科 地球惑星科学専攻修士課程修了
2011年 マックスプランク化学研究所 博士課程修了(Ph.D)
(東京大学 文部科学省 長期海外留学支援制度 奨学生)
2012年 カリフォルニア工科大学 日本学術振興会 海外特別研究員
2013年 マックスプランク化学研究所 グループリーダー
注1:
2011年オットー・ハーン・メダル(マックスプランク協会), 2012年ポール・クルッツェン賞(ドイツ化学会)