理学部紹介冊子
《証言4》旧1ペントハウス

表紙:旧1号館を南西から撮影
(写真 フォワードストローク)
旧1号館の4階ペントハウス(最上階特別室)には記憶によると1978‐ 1999年くらいと20年以上住んだ。この間に私はD論を書き,幸いにも助手に拾われ,海外滞在を経験し,助教授になった。いわば人生の急カーブどころを過ごしたことになる。当時の地球物理研究施設(後に地球物理学科と合流して地球惑星物理学科となった)は地球大気上層(中下層は気象の縄張り)から太陽系の果てあたりまでを扱う部門で,11名の教員がいた結構な大組織だった。源は永田武先生で,つまり南極帰りがゴロゴロいた(当時は5名)。今の理学部には気象の佐藤薫さんと私の2人しかおらず,寂しい限りだ。
印象に残っているのはその4階の建物が当初の3階建ての上に,後から継ぎ足して建てられたものだったことである(表紙の写真を参照)。この4階ペントハウス部分は戦後の安普請という感じだったが,3階までは関東大震災後に建てられたとかで,実に頑丈にできていた。思い起こすに外壁の厚みは80cmくらいあったと思う。この記事を書くにあたって,裏を取るべく巻尺をもって旧1にいったのだが測定できる場所が見つけられなかった。80年代にオックスフォード大学 (University of Oxford) のクラレンドン図書館 (Clarendon Lab) を訪ねたおり,屋上にまさに同類の小屋が建てられているのを発見し,思わず笑ってしまったことがある。どこでも考えることは同じらしい。これを「Space Research」と呼ぶのも国際標準らしい。
このペントハウスは旧1の東側のみにあり,西側は砂利引きの庭になっていて野草も生え,夏はビヤパーティなんぞをやるのにちょうどよかった。ペントハウスの屋根の上は平らで何も無かったが,庭から梯子がついていたので,飲み会のおりなど登って夜景を眺めたり,あるいは墨田川の花火大会を楽しんだりしていた。しかし,これは今から思うと冷や汗ものである。なにせ柵なんて無いまっ平らだったから,ウッカリ踏み外したらそれまでだった。