《証言3》理学部旧1号館三階の迷宮

蓑輪 眞(物理学専攻 教授)

旧1号館に初めて入ったのは昭和54年春。当時私は京都大学の博士課程4回生で,理学部附属素粒子物理国際施設(現・素粒子物理国際センター)の助手採用の面接を受けに来た時だった。素粒子施設は三階にあると聞いていたので,南西隅の階段を登って三階まで行ったが,なんとそこは鉄扉が閉まっていて行き止まりだった。何の表札もないその扉を開ける勇気もなく,いったん階段を降りて建物の外に出た。

ここは正面から堂々と入ろうと弥生門側(北側)の正面入口から入り直して近くの階段を三階まで登って真っ直ぐ行くと,今度は「物理図書室」と書いてある扉で行き止まり。少々焦りだした私は,廊下を逆の方向に小走りで急いだ。廊下をほぼ一周して,ようやく反対側の突き当りに目的地を発見し,無事に面接を受けることができた。

旧1号館は中庭をぐるっと取り囲む形をしていて,地階から二階までの廊下は一周できるようになっていたが,三階はそうではなく,素粒子施設と物理図書室が背中合わせになって,人が一周することを阻んでいたわけである。

ここからは多少記憶が曖昧になるが,三階にあるこの素粒子施設の最奥部の部屋は上下二階に分割した構造になっており,それぞれの階に開かずの扉があった。その先が物理図書室だろうと見当をつけて,後に物理図書室に探検に行った。ところが,その一番奥にある書庫は二階建てにはなっておらず,その壁には扉が上下に2枚ついていて,上の扉は床のない中空に残されていた。何とも超現実的光景であった。素粒子施設側の開かずの扉を無理やり開けるとたいへんなことになるところであった。

また,私が最初に遭遇した階段の先の三階の行き止まりの鉄扉は,素粒子施設の裏口の扉であった。もし,あの時そこから入って面接を受けていれば,東京大学で裏口から採用されたおそらく最初の助手になっていたはずなのに,惜しいことをしたものだ。