《証言1》試作室の流浪10年

語り手:大塚 茂巳(技術職員)
聞き手:広報誌編集委員 牧島 一夫(物理学専攻 教授)

1号館の建て替えを通じ,移転につぐ移転で大きな影響を受けたのが,理学部試作室であろう。流浪十余年を耐えてこられた,大塚さんに話をうかがった。
図1

図2:試作室の遍歴

Q:大塚さんが理学部技官として,民間企業から試作室(当時は物理金工室)に着任されたのは?

A:1985年(昭和60年)4月でした。試作室のあった旧1号館はうす暗く,使われなくなっていたスチーム配管が剥き出しで,お化け屋敷みたいでしたね。

Q:試作室は,地下1階の南側でしたね。

A:そう,図2の黄色い部分の7部屋を使っていて,隣には平野光康さんのガラス工作室もありました。

Q:新1号館の1期工事が始まったときは?

A:取り壊し部分からの「避難民」(蓑輪研究室と坪野研究室)を収容するため, 17号室と25号室を明け渡し,代わりに中庭にプレハブをつくってもらい,そこに工作機械を移したんです。

Q:この時期の試作室は,図2の赤いハッチ部分ですね。新1号館西棟ができた1998年には?

A:それがねえ,当初は地下1階に入れるはずだったのが,いざ完成してみると色々な事情で新館には入居できず,旧館に残らざるをえなかったのですよ。

Q:そ,そうでしたっけ。それで2期工事では?

A:立ち退きが始まると,旧造幣局から払い下げてもらった古い旋盤(図4)などを捨てて身軽になり,図2の青い部分に避難しましたよ。

Q:2005年に中央棟の地下1階に入居して,ようやく10年を越える流浪が終わったのですね。お疲れ様でした。

A:疲れたよ。いま部屋は良いし最新の工作機械も揃っているけれど,私は技術専門職員を2013年3月に定年退職し,今は再雇用の身。後継者が居ないのが一番の心配だな。

Q:そうですね。この間,大塚さんの作られた最高傑作は?

A:坪野研のために作った,重力波のねじれ型アンテナ(図5)かなあ。

Q:今日は,ありがとうございました。
図4

図4:旧造幣局からもらい受けた,試作室の古い旋盤

図5

図5:大塚さんの手による重力波アンテナ