理解と感覚―科学ジャーナリスト大賞を受賞して

NHKプロデューサー 井手 真也(1988年物理学専攻修士課程修了)

NHK 井手真也プロデューサー

このたび,日本科学技術ジャーナリスト会議から,テレビ番組「素数の魔力に囚われた人々」(NHK)の制作に対してということで過分なる賞を頂きました。かつて理論物理を専攻しながら,その後,全く異質な社会派のジャーナリズムの世界へと足を踏み入れた私にとっては,「科学ジャーナリズム」の賞を頂くことは想像だにせず,嬉しいような恥ずかしいような複雑な思いで,去る5月,ずしりと重いオーナメントを拝受しました。

「素数の魔力に囚われた人々」という番組は,素数の謎を解き明かす数学界最大の難問といわれる「リーマン予想」と,この“魔性の難問”に取り憑かれ人生を翻弄された数々の数学者の姿を描いたものです。ここでいう「素数の謎」とは,素数が数学のもっとも基本的な存在であるにもかかわらず,その並び方が全くランダムにしか見えないことです。オイラーやガウスといった希代の天才たちが,素数の規則性を見つけようと情熱を捧げましたが果たせず,この謎は1859年にリーマン (Bernhard Riemann) によって「リーマン予想」に昇華され,現在に至っているといえるでしょう。

私は普段,「クローズアップ現代」というどちらかというと社会派の情報番組を担当しているため,数学を題材とした番組を作る機会は滅多にありません。3年前には位相幾何学の難問である「ポアンカレ予想」を題材にした番組を制作する機会を得ましたが,今回の「素数」や「リーマン予想」は幾何学とは異なり,実に“絵”になりにくい無味乾燥な世界であり,さらに「予想」自身の難解さもあって,1年あまりの制作は試行錯誤の連続となりました。番組の企画を局内で採択してもらうさいの周囲の反応も実に珍妙でした。「リーマン予想」と聞いて,「2008年のリーマン・ショックを数学者たちはあらかじめ予想していたんですか?!」という質問を何度も受けたほどでした。

一般の視聴者に全くなじみのない最先端科学を取り上げる番組に欠かせないのは,専門家しか理解できない世界を,一般視聴者にも“理解したような気分”になっていただくための「デフォルメ」です。しかし,一般の方々の数学に対するアレルギーは,おそらく研究者の皆さまの想像をはるかに絶しています。“素数”はぎりぎりセーフ。しかし,「リーマン予想」に欠かせない“複素平面”はおろか“複素数”となると完全にアウトです。多くの方は,「複素数は高校でも習う基礎ではないか」と思われるかもしれませんが,一般視聴者は数学に対する関心は完全にゼロ(マイナス?)といってもいい難敵です。複素関数であるリーマンのゼータ関数についても,あえて複素数などの難しい言葉は使わず,『リーマンのゼータ関数の自明でないゼロ点は一直線上に並ぶ』という「予想」の内容を,CGと合成映像を駆使したビジュアルで,感覚的に訴えるという方法をとりました。そして,ジョン・ナッシュ (John Nash) やアラン・チューリング (Alan Turing) など,数々の天才たちの挑戦と敗北を人間ドラマとして描き,視聴者の興味をそがないための工夫をちりばめました。

ところが番組後半には,「リーマン予想」が,“量子物理学”との予想外の接点に出会うというクライマックスに至り,“原子核のエネルギーレベル”,“スーパーストリング理論”,“非可換幾何学”,“万物の理論”など,視聴者にとっては呪文としか思えない言葉が避けがたく並びます。そのあたりも,難しいことはともかく雰囲気を感覚的に伝えることに徹して,何とか乗り切ったというのが正直なところでした。しかし,見てくださった一般の方々から,「何が何だかさっぱり理解できなかったけど,面白かった!」という感想を頂き,たいへん嬉しく思いました。なぜなら,テレビの本分は「理解」ではなく「感覚」だということが示せたと感じたからです。現在のテレビ業界は,情報番組を代表とする「情報至上主義」,「理解至上主義」の全盛時代です。それをもっとテレビ本来の「感覚的なもの」に引き戻すことができれば,テレビメディアが,もっと最先端科学の奥深い世界を紹介することができ,視聴者にも,もっと科学を楽しんでもらえるのではないかと思っています。

最後になりましたが,番組制作にあたり,科学の素人としての私の愚問に粘り強くお答えくださいました数々の専門家の皆さまに深く感謝申し上げます。

再放送の予定

「素数の魔力に囚われた人々」~リーマン予想・天才たちの150年の闘い~
2010年10月6日(水)午前10:00~(90分番組)
「数学者はキノコ狩りの夢を見る」~ポアンカレ予想・100年の格闘~
2010年10月5日(火)午前10:00~(110分番組)