自発的対称性の破れと素粒子物理学

柳田 勉(物理学専攻 教授)

自発的対称性の破れはわれわれの日常生活の中にでも見られる現象のひとつである。たとえば,ここに丸いテーブルがあると考えてみる。テーブルの表面にはその面に垂直な方向に一様な重力がかかっているとする。そのテーブルの中心に1本の細長い棒を垂直に立てておく。この考えているテーブルの表面での力学系は,テーブルの回転に対する対称性をもち,何も特別な方向はない。しかし,この棒が立っている状態は安定な状態ではない。時間がたつとその棒は倒れてしまう。棒が倒れた状態では特別な方向が発生し,もはや上記の回転対称性は破れている。このように,力学の基本方程式は対称性をもつのに,そこに生じた基底状態の対称性が破れる現象を,自発的対称性の破れという。

南部先生はこの対称性の破れが素粒子の世界でも起きていると考えた。素粒子物理学は場の量子論で記述されるので,スカラー場H (x )を用いて説明しよう。このH (x )は複素数の場で,そのポテンシャルがV =-m 2|H |2+k |H |4で与えられるとする。このポテンシャルは明らかにH の位相変換HH のもとで不変である。さてこの系の基底状態(真空)を考えてみる。もしm =0なら,このポテンシャルはU字形で,その極小点として真空はH =0である。位相を変えても0は0のままだから,この真空では位相変換の対称性が保たれる。いっぽうm が0でないと,ポテンシャルはW字形となり,その極小点は|H |2=m 2/(2k )で与えられる(およその形状は本特集記事の横山教授の記事を参照)。われわれの住む真空は1つなので,そこではH の位相は1つに定められており,H の位相を変えると(たとえばH → -H ),こんどはH が0でないため,別の真空になってしまう。ちょうど上記の例で倒れた棒の方向が決まってしまうように,この真空では位相変換の対称性が破れているのである。

興味深いことに,この真空のもとでは位相方向の自由度が質量0のスカラー場として現れる(南部・ゴールドストン ボゾン;理学のキーワード第1回)。南部先生はこの場をパイ中間子と考えた。現在ではこの南部先生の考えは正しいと認められている。南部先生の考えはその後,電弱統一理論(「弱い力」と「電磁力」を統一した素粒子理論)を構築するさいの基礎的考えになった。また現在,われわれは素粒子の標準理論を越える新たな理論の構築を考えているが,上記の南部先生の考えを基にして研究を発展させている。南部理論の画期的なのは,真空には場が詰まっていて,そのために対称性が破れて見えると考えたことにある。それまでは真空には何もないと考えてきた。このように南部理論は,真空に対する概念の変更をもたらした。現在,この真空にあるH 場に相当する粒子を見つけるLHC(Large Hadron Collider)実験が始まろうとしている。そのH 粒子(ヒッグス粒子;理学のキーワード第6回)が発見されれば,素粒子の標準理論が確立すると同時に,南部理論の歴史的価値がさらに確認されるだろう。