国立大学法人法案に対する政府見解の表明に関する要望

東京大学大学院理学系研究科・理学部 (2003.4.15)

1.はじめに

現在、国会において国立大学法人法案が審議されています。法案によれば、現在ある99の国立大学と15の大学共同利用機関は法人化され、89の国立大学法人と4つの大学共同利用機関法人に衣替えすることになります。理学系研究科は、この法案は基礎科学の研究と教育に以下に述べるような重大な影響を持つものであり、よい影響についての検討に比べてその悪い影響がもたらす様々な可能性が十分検討されていないと危惧しております。

本学の佐々木総長は本年3月17日に「膨大な数の関連条文やその修正においてどのような制度設計が実際になされているかはなお検討を要するところである。従って、今後更に多くの疑問点や不安が出てくる可能性は排除できない。こうした論点を明らかにすることは今後の法案審議との関係においても、また、政省令の制定過程との関係においても依然として重要であり、決して、全てが決着したわけではない。」とのべて、今後も意思表示を行っていく決意を述べています。理学系研究科では、理学研究に固有の観点から、国会審議を通じて、以下の点について政府の見解を明らかにして頂きたいと願っております。

2.基礎科学のサイクルと政策のサイクル

国立大学理学部長会議(*注)では平成11年11月に「危うし!日本の基礎科学 - 国立大学の独立行政法人化を憂う」という声明を出し、「基礎科学は、息の長い研究の推進が可能な環境下で、自由な発想のもとで自律的に追究されることによってのみ大きな成果を期待できる学問領域であり、その成果は数十年後あるいはもっと後の社会を支える中核技術を生み出す可能性を持つものです」としています。さらに「国立大学の設置形態及び適正な規模に関する論議は、国の行財政の効率化という観点のみからではなく、国家百年の計を策定する長期的な視野に立って行うべきであり、決断は論議を尽くした後になされるべきです。」とも述べています。

同会議は2001年10月にも、中期目標を文部科学大臣が策定することに危惧の念を表明しています。「これにより、大学における教育研究の方向付けが、その時々の政府の方針に左右されるおそれがあります。これは、すでに昨今の研究資金の特定分野への集中的投資にも現れています。本来、大学における教育や研究は、政府の政策的サイクルよりも長い時間をかけて行われるべきものです。特に、息の長い研究の推進が必要な理学のような基礎科学にとっては、研究政策の変更により長期的な進歩が阻害されるおそれがあると言えます。」

国立大学協会の「最終報告」ではこの危惧を反映し、中期目標・中期計画の「原案はあらかじめ各大学において一体的に検討する」となっていましたが、今回の法案(30条3項)では、各大学法人が「原案」をつくるのではなく、その「意見」を「配慮」するという表現に後退しています。また、文部科学大臣が策定する「中期目標」に定められる事項(法案30条2項)の一つに「教育研究の質の向上に関する事項」があり、「学問の自由」を定めた憲法23条や、教育に対する「不当な支配」を排除する教育基本法10条の規定との関連が不明確になっています。「政府と一線を画して真理を探究する大学にふさわしくない」(朝日新聞社説2001年10月1日)とされた制度がそのまま残っております。

基礎科学をはじめとするこのような学問の特質について、政府はどのような長期的見解をお持ちなのか、またそれが具体的にどのように今後の政策に反映されていくのかを示していただきたいと思います。

3.基礎科学の評価について

基礎科学の進歩のためには、基盤的な研究資金が長期に保証されることが不可欠です。しかし、今回の法人法案では、「国立大学法人評価委員会」が大学に対する評価を行い、その評価結果は法人の「業務の改廃」を含め、次期以降の中期目標期間における運営交付金の算定に反映される予定です。「大学における教育と研究の評価の方法は、我が国においてはまだ確立しておらず、試行錯誤の段階であると言っても過言ではありません。このような状況下で、特に数値的基準のみに依存した評価が行われるならば、研究が短期的な視野に偏り、基礎科学の研究にとって大きな弊害が起こり得ます。」(国立大学理学部長会議、2001)

東京大学大学院理学系研究科諮問委員会における議論でも、基礎科学に中期目標や中期計画を立てることが可能なのかという意見が出されました。昨年ノーベル物理学賞に輝いた当学部の小柴名誉教授の例を引くまでもなく、独創的な研究は自由な発想と長期的な視点によってのみ達成されるのです。中期目標の事項の中に、業務運営の「効率化」という言葉がありますが、これも理学系研究科の研究教育の効率化とは何かという指摘がありました。「国立大学法人評価委員会」の実態や評価法については法案で明らかにされていませんが、具体的にどのような評価を行うのか明らかにしていただきたいと願っております。

4.学部の自律的機能について

国立大学農学系学部長会議も声明(平成12年6月)で、「国立大学の法人化の論議において、私たちがもっとも危惧するのは学部の自律的機能の弱体化です。大学の自主性・自律性の大切さは繰り返すまでもありませんが、私たちはそれに加えて、大学の真の自主性・自律性は、その構成単位である学部の自主性・自律性を保証し、構成員のエネルギーを最大限に引き出すことを可能にするネットワーク型の運営体制を構築することによってのみ、達成されることを指摘しておきたいと思います。」と述べています。

しかしこのような危惧に関して、今回の法案には何も述べられておりません。特に、学部の自主性・自律性については法案に全く言及がありません。その一方で、学長の権限は強大なものと規定され、唯一のチェック機能である学長選考会議にすら、当事者である学長が加わる(12条)というバランスに欠けたものになっています。さらに、法案に先立って出された「概要」では、学部、研究科、研究所等は省令で定めると明記されていましたが、法案ではその規定すら削除されています。学部・大学院研究科は国家の発展に不可欠な人材育成の数と質を担っている単位組織です。学部・研究科の自主性・自律性を危うくすることは、我が国の高等教育にとって重大な影響を及ぼすので、この点に関しても明らかにしてほしいと思います。

5.労働安全衛生法適用への対応

日本化学会(野依良治会長)では、現実的な点に関して国立大学長に注意を喚起しています(2002年9月)。「法人化にともない、労働安全衛生についての所管官庁が人事院から厚生労働省に代わり、事故などの発生時には労働基準監督署の立ち入り調査が行われ、管理体制が不備であれば罰則適用がされる」にもかわらず、「ほとんど全ての国立大学では安全管理は労働安全衛生法とはかけ離れているのが現状です。」このような状況は理系のほぼ全ての分野に当てはまり、根本的な対策はまさに焦眉の急の問題と言えるでしょう。しかし、このような状況を改善するための予算については事前にまったく手配されておらず、教育研究の場に大きな混乱と長期の停滞をもたらす事態も予想されます。このような点について、国はどのような具体的な対策を考えておられるのかお聞きしたいと願っています。

6.おわりに

このように、今回の法案は公にされた幾つかの危惧に対して必ずしも明解に答えていないばかりでなく、法案の準備段階から逆行している点も見られます。 東京大学大学院理学系研究科・理学部は、2002年4月に「憲章」を制定し、「自己による絶えざる点検と外部からの厳正な評価を通して、最高水準の教育・研究体制の継続的改善を図る」決意を表明しました。この目標の実現のためには、上記の問題点の解決が不可欠と考えており、法案の審議の段階で明らかにしていただきたいとお願いするものであります。

*注 国立大学のうち理学部あるいは理工学部を持つ32大学の学部長で構成