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Press Releases

DATE2021.12.22 #Press Releases

レーザーアシステッド(e, 2e)の初観測

― レーザー場で歪む電子波動関数 ―

 

廣井 卓思(物質・材料研究機構 ICYS研究員)

森本 裕也(理化学研究所 理研白眉研究チームリーダー)

歸家 令果(東京都立大学 教授/さきがけ研究員)

山内 薫(化学専攻 教授/超高速強光子場科学研究センター センター長・教授)

 

発表のポイント

  • 高強度レーザー場中における電子衝撃イオン化過程(注1)であるレーザーアシステッド(e,2e)を観測するために、発生する二つの電子を2台の電子分析器で高効率に検出する独自の装置を開発し、アルゴン原子を用いてレーザーアシステッド(e,2e)を初めて観察した。
  • 得られたレーザーアシステッド(e,2e)信号の三重微分散乱断面積(注2)の解析の結果、アルゴン原子の電子波動関数(注3)の歪みを捉えることに成功し、30年以上前に報告されていた理論予測を実証した。
  • 今回開発した手法を応用することによって、高強度レーザーによる原子や分子の波動関数の歪みを超高速で追跡することが可能となり、光を用いた複雑な化学反応の設計および制御への貢献が期待される。

 

発表概要

高強度レーザー場中に置かれた原子や分子は、電子密度分布が歪んだ「光ドレスト状態」(注4)となることが知られており、高強度レーザー場中における電子散乱によって実験的にも観測されてきました。そして、電子密度分布は原子や分子が持つ複数の電子波動関数によって記述されるため、光ドレスト状態における原子や分子の電子波動関数も歪められると考えられてきました。この現象は、高強度レーザー場中で起こる電子衝撃イオン化における散乱断面積の増強という形で観測されることが30年以上前に報告されていたものの、実験が困難であったため、今まで実験実証に成功した例はありませんでした。

東京大学大学院理学系研究科の山内教授の研究グループは、高強度レーザー場中における電子衝撃イオン化を高効率で観測する装置を独自に開発し、アルゴン(Ar)原子の3p軌道からの電子衝撃イオン化の散乱断面積をレーザー場存在下で測定しました。得られた散乱断面積は、光ドレスト状態の形成を無視して計算した結果と比較して約2 倍大きくなることが明らかとなり、Arの電子波動関数が光ドレスト状態において歪められていることを示す初めての実験結果が得られました。この手法を応用することによって、高強度レーザー場中存在下における原子や分子の電子波動関数の歪みを超高速で追跡することが可能となり、光を用いた複雑な化学反応の設計および制御につながるものと期待されます。

発表内容

原子や分子が高強度レーザー場中に置かれると、光の場によって原子や分子の電子密度分布が大きく影響を受ける、光ドレスト状態と呼ばれる状態が形成されます。原子や分子が光ドレスト状態にあることを実験的に示す手法として、レーザー場存在下における電子の弾性散乱の小角領域における散乱強度の増強が挙げられ、2015年に実際に観測がなされました[Y. Morimoto, R. Kanya, and K. Yamanouchi, Phys. Rev. Lett. 115, 123201-1-5 (2015)〕]。ここで観測されたのは、原子や分子の電子密度分布が光によって歪められる様子ですが、電子密度分布は原子や分子が持つ複数の電子波動関数によって記述される物理量であり、光の場によって原子や分子の電子波動関数自体がどのように歪められるかについても関心が持たれていました。

光ドレスト状態における電子波動関数の変化を実験的に明らかにする手法として期待されていた実験に、レーザーアシステッド(e, 2e)(Laser-assisted (e, 2e); 以下LA(e, 2e))が挙げられます。LA(e, 2e)は、レーザー場中で原子や分子が電子衝撃によってイオン化される際に、散乱される電子とイオン化によって放出される電子のエネルギーの和が、レーザー光子エネルギーの整数倍だけ増減するという現象です。1988年に報告された理論研究では、LA(e, 2e)の1光子吸収過程の散乱断面積が、光ドレスト状態となることを考慮すると、考慮しない場合と比較して数倍増加するはずであるという予想がなされました。しかし、1光子吸収過程を区別したLA(e, 2e)の散乱断面積の観測は実験的に困難であり、理論予測から30年以上もの間、観測には至っていませんでした。

本研究では、高効率で電子衝撃イオン化を観測できる実験装置を独自に開発しました。開発した装置は、電子衝撃イオン化によって発生する二つの電子を、2台の角度分解飛行時間型電子分析器(注5)で高効率に検出する設計となっており、従来の電子衝撃イオン化観測装置と比較して極めて高い捕集効率を達成しています。そして、高強度レーザー場中において入射エネルギー1 keVの電子パルスをAr原子に照射し、電子衝撃イオン化を起こした後に発生する二つの電子のエネルギーおよび散乱角をコインシデンス計測(注6)することによって、LA(e, 2e)の1光子吸収過程を実験的に観測することに世界で初めて成功しました。そして、得られた実験結果を数値シミュレーションの結果と比較することによって、Arが光ドレスト状態を形成したことに起因する散乱断面積の増加を観測することにも成功しました。

 

図1:(a) コインシデンス検出された散乱電子と放出電子のエネルギーの和スペクトル。赤の実線がレーザー場が存在するとき、黒の破線がレーザー場が存在しないときの実験結果を表わす。(b) 赤線:LA(e, 2e)のエネルギースペクトルの実験値。緑色領域:光ドレスト状態を考慮せずに計算されたLA(e, 2e)のエネルギースペクトル。

 

図1(a)の赤の実線は、レーザー場存在下で起こした電子衝撃イオン化によって生じた二つの電子のエネルギーをコインシデンス検出し、そのエネルギーの和をプロットしたスペクトルです。黒の点線は、同様の実験をレーザー場が存在しない条件で行うことによって取得した背景信号です。Arの3p軌道からのLA(e, 2e)の1光子吸収過程に対応する、エネルギー和が985.4 eV付近の領域において散乱強度が増強していることが確認できます。

図1(b)の赤の実線は、図1(a)のレーザー場中での散乱信号(赤の実線)から背景信号(黒の点線)を差し引くことによって得られたLA(e, 2e)スペクトルです。図1(b)に緑色で塗りつぶしたスペクトルは、Arと光との相互作用を無視して計算されたLA(e, 2e)スペクトルです。二つのスペクトルの比較から、実測の LA(e, 2e)スペクトルの強度は、光ドレスト状態の形成を無視して計算した結果と比較して約2 倍大きくなることが明らかとなりました。これは、Ar原子の光ドレスト状態の形成によってArの3p軌道が歪められていることを示しています。

本研究によって、電子密度分布の歪みとして捉えられてきた光ドレスト状態を、電子密度分布を構成する個々の電子波動関数の歪みとして実験的に観測できることが示されました。これによって、今まで複雑で研究が進んでこなかった、高強度レーザー場中における多電子系の原子や分子の研究が進展すると期待されます。また、電子衝撃イオン化は原子や分子の波動関数を実験的に観測する手法としても知られているため、本手法を用いることによって、高強度レーザー場中における原子や分子の波動関数の直接観測が可能になると考えられます。さらに、本手法の時間分解能は用いるレーザーのパルス幅のみによって決まるため、強い光によって原子や分子の波動関数が歪められる様子を超高速(ピコ~フェムト秒スケール)で追跡し、得られた知見をもとに光を用いた複雑な化学反応を設計・制御するという、化学者にとっての大きな夢を達成するための土台となるものと期待されます。

 

発表雑誌

雑誌名
Physical Review A
論文タイトル
Observation of Laser-Assisted (e, 2e) in Ultrashort Intense Laser Fields
著者
Takashi Hiroi, Yuya Morimoto, Reika Kanya, and Kaoru Yamanouchi*
DOI番号
10.1103/PhysRevA.104.062812
アブストラクトURL

 

用語解説

注1  電子衝撃イオン化過程

電子が標的試料と衝突することによって、入射電子の散乱に伴って標的試料中の電子が放出される現象。入射電子、散乱電子および放出された電子のエネルギーおよび運動量を計測することによって、放出された電子が標的試料中に存在していたときのイオン化ポテンシャルおよび電子波動関数の情報を得ることができる。1個の電子が衝突した結果、2個の電子が発生する過程であることから、(e, 2e)とも呼ばれる。

注2  散乱断面積

散乱現象において、散乱強度を表す物理量。本研究では、ある入射電子のエネルギーに対して、電子衝撃イオン化過程によって発生する二つの電子の散乱角方向とエネルギーおよび標的試料の終状態をすべて規定して、散乱角およびエネルギーごとに観測された電子数によって記述される三重微分散乱断面積を計測した。

注3 電子波動関数

量子力学において、電子の存在確率を規定する物理量。基底状態におけるアルゴン原子の電子波動関数は、1s, 2s, 2p, 3s, 3pの5種類が存在する。

注4 光ドレスト状態

強い光の場によって、原子や分子の電子密度分布が大きく影響を受けた状態。原子や分子が光のドレスを纏っているとみなせるために、このような名前で呼ばれている。高強度レーザー場によって引き起こされるさまざまな原子および分子のダイナミクスを理解する上で重要な概念として知られている。

注5 角度分解飛行時間型電子分析器

電子の運動エネルギーおよび運動量を計測するための装置。電子が分析器を通り検出器に到達するまでにかかった時間、および、電子が到達した検出器上の位置から電子の運動エネルギーと運動量を計測する。

注6 コインシデンス計測

ある一つのイベントから発生した複数の信号をすべて計測する手法。本研究では、単一の電子衝撃イオン化過程によって発生する二つの電子のエネルギーおよび運動量を両方計測することを指す。