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Press Releases

DATE2021.05.24 #Press Releases

キラル分子の高感度・簡便な構造解析法を創出

~創薬や材料開発を加速~

 

合田 圭介(化学専攻 教授/カリフォルニア大学ロサンゼルス校 非常勤教授/武漢大学 非常勤教授/量子科学技術研究開発機構 協力研究員)

肖 廷輝(化学専攻 助教/量子科学技術研究開発機構 協力研究員)

平松 光太郎(スペクトル化学研究センター 助教/科学技術振興機構 さきがけ研究員)

磯崎 瑛宏(化学専攻 特任准教授)

 

発表のポイント

  • キラル分子とは、3次元の物体がその鏡像と重ね合わすことが出来ない性質「キラリティー」をもつ分子であり、創薬や材料開発にとって非常に重要である。水溶液中のキラル分子の構造を解析する手法「ラマン光学活性(ROA)分光法」は、X線結晶構造解析法や核磁気共鳴(NMR)分光法に比べて簡便さ(サンプル準備の手間、コスト面など)において有利であるが、ROA分光法の信号は極めて微弱であるため、実用的ではなかった。
  • 本研究では、この難問を解決するために、シリコンでできたナノ構造を持つプレート「シリコンナノディスクアレイ」による全誘電体のキラル場増強ROAの理論を構築し、それをROA分光計測基板として用いることで、従来のROA分光法と比べて、光電場とキラル分子の間で100倍強い相互作用を実験的に実証した。
  • 本手法により、X線結晶構造解析法やNMR分光法では不可能な、微量のキラル分子の絶対構造解析を、簡便・迅速・安価・安定的に行うことができる。分析化学、構造生物学、物質科学、薬学、量子生命科学などの多様な分野への応用展開が期待される。

 

発表概要

東京大学大学院理学系研究科の合田圭介教授が率いる研究グループは、シリコンでできたナノ構造を持つ「シリコンナノディスクアレイ」を用いたキラリティーを敏感に検出可能な新しい分光計測法を開発した。シリコンナノディスクアレイの構造を最適化することによって、その近傍の光電場のもつ光学キラリティー(注1)を巧みに制御し、光電場とキラル分子の相互作用の強さを、従来の円偏光(注2)を用いた手法に比べて100倍まで増大さることに成功した。それによりラマン光学活性(Raman Optical Activity: ROA)(注3) 分光計測の高感度化を実現し、その適用範囲を拡張することに成功した。

1970年代に実証されたROA分光法は、水溶液中のキラル分子のねじれ構造や挙動の研究に有効であり、X線結晶構造解析法(注4) や核磁気共鳴(Nuclear Magnetic Resonance: NMR)分光法(注5)に比べて簡便さ(サンプル準備の手間、コスト面など)で有利である。しかし、ROA分光法の信号は、キラル分子における光と物質の相互作用が微弱であるため、原理的にラマン分光法(注6)のラマン信号よりも3~5桁弱くなってしまう。金属ナノ粒子の局在表面プラズモン共鳴(Localized Surface Plasmon Resonance: LSPR)(注7)がROA信号を増強するために採用されているが、ROA信号のアーチファクトに悩まされている。具体的にはLSPRによる光熱発生と、遠方場から近接場への光学キラリティーの効率的な伝達と増強ができないという二つの問題点がある。

本研究では、これらの難問を解決するために、シリコンナノディスクアレイを開発し、そのダークモードを利用することで、全誘電体のキラル場増強ROAを実証した。また、それをROA分光計測基板として用いることで、化学的および生物的な鏡像異性体(注8) のペアをそれぞれ測定し、ROA分光測定においてアーチファクトを無視できる程度の大きさに抑えながら、従来ROA分光法と比べて100倍強い相互作用を実証した。

本手法は、X線結晶構造解析法やNMR分光法では不可能な、微量のキラル分子の絶対構造解析を、簡便・迅速・安価・安定的に行うことができる。また、本手法は分析化学、構造生物学、物質科学、薬学、量子生命科学などの多様な分野での応用を期待されている(図1)。

図1:本研究の概念図。従来のX線結晶構造解析法と核磁気共鳴(NMR)分光法は高感度だが、サンプル準備とコスト面で問題があった。一方で、ラマン光学活性(ROA)分光法は簡便だが、低感度の問題があった。本研究では、この難問を解決するために、シリコンでできたナノ構造を持つプレート「シリコンナノディスクアレイ」による全誘電体のキラル場増強ROAの理論を構築し、それをROA分光計測基板として用いることで、従来のROA分光法と比べて、光電場とキラル分子の間で100倍強い相互作用を実験的に実証した。本手法により、X線結晶構造解析法やNMR分光法では不可能な、微量のキラル分子の絶対構造解析を、簡便・迅速・安価・安定的に行うことができる。分析化学、構造生物学、物質科学、薬学、量子生命科学などの多様な分野への応用展開が期待される。

 

本研究は、文部科学省の光・量子飛躍フラッグシッププログラム(JPMXS0120330644)、日本学術振興会(JSPS)の研究拠点形成事業と科学研究費助成事業(JP18K13798、 JP20K14785)、村田科学技術振興財団、ホワイトロック財団、東京大学GAPファンドプログラムの支援を受けて実施された。

本研究成果は、2021年5月24日(午後6時)にNature Communicationsのオンライン版で公開された。

 

発表内容

研究の背景と経緯
キラル分子とは、3次元の物体がその鏡像と重ね合わすことが出来ない性質「キラリティー」をもつ分子である。我々を構成する生体分子はその大部分がキラル分子であるため、互いに鏡像関係にある分子であってもその生体への作用は全く異なることがある。そのため、キラリティーは創薬や材料開発にとって重要な分子構造情報となる。キラル分子を触媒として用いた不斉反応の研究に関して、野依良治氏を含む3名が2001年ノーベル化学賞(注9)を受賞したことからもその重要性が見て取れる。水溶液中のキラル分子の立体構造及び絶対配置を分光学的に解析する手法「ラマン光学活性(ROA)分光法」は、右円偏光(RCP)と左円偏光(LCP)を用いてラマン分光計測を行い、その散乱強度差を測定することにより、水溶液中のキラル分子の絶対配置を同定することができる手法である。ROA分光法は、1970年代初頭に最初の実証が行われて以来、タンパク質、核酸、糖質、ウイルス、生体高分子などの立体構造の推定に用いられてきた。ROA分光法では生理活性条件下での分子構造を簡便に推定できるため、生化学、分析化学、構造生物学、薬学などの多様な分野での応用が期待されている。

残念ながら、ROA分光法の信号は非常に弱い。典型的には、ROA信号はラマン分光信号よりも3~5桁弱く、生体分子のROAスペクトルの取得には数時間(場合によっては数日)を要する。この信号の弱さがROA分光法のさまざまな分野での実用化を阻む最大の課題である。この問題を解決するため、金属ナノ粒子で誘起される局在表面プラズモン共鳴(Localized surface plasmon resonance: LSPR)を用いてROA信号を増強する、表面増強ROA(Surface-enhanced ROA: SEROA)計測が報告されている。しかし、これまでに報告されているSEROA計測によって得られたスペクトルは再現性や生体適合性の低さという課題があった。その原因として、水溶液中に浮遊する金属ナノ粒子のランダムな動きや配列の乱れにより、金属表面での偏光状態が時間変化してしまうこと、金属ナノ粒子における光熱変換によって、粒子表面に吸着された分子の構造を変化させてしまうことなどが考えられていた。

研究の内容
本研究では、シリコンナノディスクアレイの光学キラリティーを巧みに制御することで、円偏光の入射光とキラル分子との相互作用を、シリコンナノディスクアレイのダークモードを利用して大幅に増大させ、全誘電体(メタルフリー)のキラル場増強ROAを理論的に提案し、実験的に実証した。これにより、LSPRを基盤としたROA分光法の限界を克服した。このダークモードとは、電気双極子とトロイダル双極子(ドーナツのような形の磁場によって誘起された双極子)の組み合わせであり、遠方場ではこれらの双極子が部分的に破壊的な干渉を起こすものである。具体的には、光学的に等方性のシリコンナノディスクアレイを設計し、チップ上に作製した。これにより、信号取得時間中に近接場での光学キラリティーを正確に調整することができ、強化されたROA分光測定にアーチファクトが入ることを回避することができた。シリコンナノディスクアレイの物理的な利点に加えて、その製造プロセスは半導体生産と同じ装置を用いており(図2)、他のオンチップデバイスとの併用や、キラル測定のための大量生産にも適用できる。本手法の実用性を示すために、化学的および生物学的な鏡像異性体のペアである(±)-α-ピネン(注10)(図3)と(±)-酒石酸(注11)(図4)のROA分光測定を実施したところ、ごくわずかなアーチファクトを伴う2相の仮想エナンチオマーROA光学系において、近接場でのROA信号の増強効果は約100倍だった。

図2:シリコンナノディスクアレイ。A. シリコンナノディスクアレイの製造方法。EBL: 電子ビーム露光。ICP: 誘導結合プラズマエッチング。B. 製造したシリコンナノディスクアレイの走査電子顕微鏡画像。

 

図3:キラル分子を用いた全誘電体のキラル場増強ROA分光法の実証。A. 従来のシリカ基板とシリコンナノディスクアレイ基板を用いたROA分光計測の実験系。B. シリコンナノディスクアレイでの(±)-α-ピネンのラマンスペクトル。ラマン強度はシリコンナノディスクアレイによって約100倍に増強されている。C. シリコンナノディスクアレイでの(±)-α-ピネンのROAスペクトル。ROA強度はシリコンナノディスクアレイによって約100倍に増強されている。

図4:生体キラル分子を用いた全誘電体のキラル場増強ROA分光法の実証。A. 従来のシリカ基板とシリコンナノディスクアレイ基板を用いたROA分光計測の実験系。B. シリコンナノディスクアレイでの(±)-酒石酸のラマンスペクトル。ラマン強度はシリコンナノディスクアレイによって約100倍に増強されている。C. シリコンナノディスクアレイでの(±)-酒石酸のROAスペクトル。ROA強度はシリコンナノディスクアレイによって約100倍に増強されている。

 

今後の展開
本手法は、X線結晶構造解析法やNMR分光法では不可能な、微量のキラル分子の絶対構造解析を、簡便・迅速・安価・安定的に行うことができる。よって、本手法は、分析化学、構造生物学、薬学などの多様な分野での応用展開が期待されている。例えば、感染症(インフルエンザ、新型コロナウイルス感染症など)の抗原抗体解析、がん代謝プロファイリング解析、キラル医薬品の絶対構造解析、光合成生物の生体分子の分子振動計測による量子生命科学研究、などが可能となる。

研究チーム
本研究チームの構成員は、肖廷輝(東京大学大学院理学系研究科化学専攻・助教/国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構・協力研究員)、Zhenzhou Cheng(研究当時:東京大学大学院理学系研究科化学専攻・助教)、Zhenyi Luo(研究当時:東京大学大学院理学系研究科化学専攻・修士課程学生)、磯崎瑛宏(東京大学大学院理学系研究科化学専攻・特任准教授)、平松光太郎(東京大学大学院理学系研究科附属スペクトル化学研究センター・助教/国立研究開発法人科学技術振興機構・さきがけ研究員)、伊藤民武(国立研究開発法人産業技術総合研究所健康医工学研究部門・上級主任研究員)、野村政宏(東京大学生産技術研究所・准教授)、岩本敏(東京大学生産技術研究所・教授)、合田圭介(東京大学大学院理学系研究科化学専攻・教授/カリフォルニア大学ロサンゼルス校工学部バイオエンジニアリング学科・非常勤教授/武漢大学工業科学研究院・非常勤教授/国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構・協力研究員)だった。

 

発表雑誌

雑誌名 Nature Communications
論文タイトル All-dielectric chiral-field-enhanced Raman optical activity
著者 Ting-Hui Xiao, Zhenzhou Cheng, Zhenyi Luo, Akihiro Isozaki, Kotaro Hiramatsu, Tamitake Itoh, Masahiro Nomura, Satoshi Iwamoto, and Keisuke Goda*
DOI番号
論文URL https://www.nature.com/articles/s41467-021-23364-w

 

用語解説

注1 光学キラリティー

光は時空間的に伝搬する電磁場であるが、通常の物体と同様に、光もその電磁場の空間構造によってきまるキラリティーを定義することができ、光学キラリティーと呼ばれる。

注2 円偏光

伝搬によって電場の向きが回転する光の偏光状態のこと。回転の向きによって右回り円偏光、左回り円偏光がある。3Dディスプレイで右眼と左眼に異なる映像を投影するために、円偏光が用いられることがある。

注3 ラマン光学活性(Raman Optical Activity: ROA)

分子のキラリティーを判別することの出来る振動分光法のひとつ。キラル分子を測定する場合、右回り円偏光と左回り円偏光を用いて計測したラマンスペクトルはその形状がわずかに異なっている。その差分を計測するのがラマン光学活性分光法である。小分子の絶対立体配置の決定や、水溶液中のタンパク質の高次構造を推定に用いられている。

注4 X線結晶構造解析法

原子核周辺の電子によって散乱される電子同士の回折パターンを解析することで、分子構造を決定する分析手法。特にタンパク質の構造決定に広く用いられている。精密な分子構造情報が得られるが、計測のためにサンプルの単結晶が必要であるため、その調製に多くの時間と労力を要する。

注5 核磁気共鳴(NMR)分光法

外部から印加した静磁場によって一定の周波数で生じる核スピンの歳差運動と、回転磁場との間の共鳴(核磁気共鳴)を計測する分光法。歳差運動の周波数が原子核周辺の環境(化学結合状態など)によって変化するため、核磁気共鳴計測によって分子構造を推定することができる。

注6 ラマン分光法

光の非弾性散乱を計測することで物質の電子・回転・振動状態を推定する分子分光法。特に分子の振動状態を推定するのに広く用いられている。測定対象にレーザー光を照射するだけで無標識・非侵襲の分子計測が可能であるため、バイオイメージングや化学分析などさまざまな応用が開拓されている。

注7 局在表面プラズモン共鳴(LSPR)

金属ナノ粒子に光を照射すると、粒子表面の自由電子が集団的に運動する。ナノ粒子の形状や構成する原子によって決まる電子の集団的運動の固有振動数と照射する光の振動数が一致したとき局在表面プラズモン共鳴が生じ、特に大きな電子の集団運動が誘起される。

注8 鏡像異性体

キラル分子の互いに鏡像関係にある構造を鏡像異性体といい、分子名の前に(+), (-)を付与することで区別する。

注9 2001年ノーベル化学賞

不斉触媒を用いたキラル選択的な化学反応過程の開発によって、野依良治、ウィリアム・ノールズ, バリー・シャープレスの3名に与えられた。

注10 (±)-α-ピネン

マツ、ヒノキ、スギなどの多くの針葉樹に含まれるキラルな分子で、その独特の香りから香料や医薬品の原料として広く使用されるものである。

注11 (±)-酒石酸

酸味のある果実、特に葡萄、ワインに多く含まれるキラル分子。