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Press Releases

DATE2020.12.02 #Press Releases

健常状態と肥満状態における肝臓での血糖制御ネットワークの変化は非常に広範に及ぶ

 

小鍛治 俊也(生物科学専攻 特任助教)

幡野 敦(新潟大学大学院医歯学総合研究科 助教)

伊藤 有紀(九州大学生体防御医学研究所 特別研究員)

黒田 真也(生物科学専攻 教授)

 

発表のポイント

  • 健常マウスと肥満マウスの肝臓においてグルコース投与により発現が変化する遺伝子、物質量が変化する代謝物を網羅的に同定し、これらを統合することで大規模代謝制御ネットワーク(トランスオミクスネットワーク)(注1)を構築しました。
  • 健常マウスの代謝はAkt経路を介した遺伝子発現と代謝物自身により速く制御され、一方肥満マウスでは速い代謝制御の多くが失われ、遺伝子発現による遅い代謝制御が糖代謝・脂質代謝等で活性化することを見出しました。
  • 肥満マウスにおけるトランスオミクスネットワークのグルコースに対する応答を明らかにすることは、血糖恒常性の破綻である2型糖尿病のメカニズム解明に役立つと考えられます。

 

発表概要

東京大学大学院理学系研究科の小鍛治俊也特任助教、黒田真也教授、新潟大学大学院医歯学総合研究科の幡野敦特任助教、九州大学生体防御医学研究所の伊藤有紀特別研究員らは、筑波大学医学医療系の尾崎遼准教授、土屋貴穂博士、金沢大学医薬保健学総合研究科の井上啓教授、九州大学生体防御医学研究所の中山敬一教授、久保田浩行教授、宇田新介准教授、新潟大学大学院医歯学総合研究科の松本雅記教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科の鈴木穣教授、かずさDNA研究所ゲノム事業推進部の池田和貴チーム長、理化学研究所生命医科学研究センターの有田誠チームリーダー、柚木克之チームリーダー、慶應義塾大学先端生命科学研究所の曽我朋義教授、平山明由博士との共同研究により、グルコース投与時の大規模代謝制御ネットワークが健常マウスと肥満マウス間で大きく異なることを明らかにしました。

グルコースは最も重要な栄養源の一つであるため、人体には血液中のグルコース濃度(血糖値)を一定に保つ制御ネットワークが備わっています。例えば、食事等により一時的に血糖値が上昇すると、血糖値を下げるホルモンであるインスリンの作用などにより、肝臓や筋肉等においてグルコースに関与するさまざまな代謝系が調節され、結果血糖値は元の正常値まで速やかに下降します。一方で、肥満に伴って血糖の制御ネットワークは正常に機能しなくなり、2型糖尿病になりやすくなることが知られています。しかし、グルコースに関与する代謝系は多種多様であるため、肥満による血糖制御ネットワークの機能不全がどのようにして起こるかは不明でした。

今回、研究チームは、グルコースを投与したマウスの肝臓から取得したトランスクリプトーム、メタボロームデータを用いてグルコース投与時にみられる大規模代謝制御ネットワーク (トランスオミクスネットワーク)を健常マウスと肥満マウスで構築しました。このネットワークを健常マウスと肥満マウス間で比較することにより、肥満による代謝制御不全を大規模に明らかとしました。これにより健常マウスにおいてはインスリンによる遺伝子発現を介した代謝制御に加え、代謝物自身による代謝制御が投与後20分程度で多く見られることや、肥満マウスでは代謝物自身による代謝制御の多くが失われ、投与後1時間後から遺伝子発現による代謝制御が糖代謝・脂質代謝等で活性化されることが見出されました。このことは、健常状態と肥満状態における血糖制御ネットワークの変化は非常に広範に及ぶことを示しています。

 

発表内容

①研究の背景
血糖値は多臓器による協調的な作用により恒常的に制御されています。摂食等により腸から血液へグルコースが吸収されると、血糖値上昇に応じて膵臓からインスリンが放出され、肝臓や筋肉などのインスリン標的臓器において代謝の調節が行われます。肥満等により各臓器における代謝制御が阻害されると、正常な血糖制御が行われないため、高血糖症や2型糖尿病を引き起こします。

臓器における代謝制御は、タンパク質、RNA、代謝物を含む巨大な分子ネットワークを介して行われます。近年、多くの分子を同時に測定し繋げるトランスオミクス解析の発展により、大規模な分子ネットワーク同定が可能となりつつあります。本研究チームは健常マウスと肥満マウスの肝臓に対してトランスオミクス解析を行い、グルコース投与時の大規模代謝制御ネットワークを構築しました。このネットワークを健常マウスと肥満マウス間で比較することにより、肥満における代謝制御ネットワークの機能不全を大規模に明らかとしました。

②研究内容
肥満マウス肝臓におけるグルコース投与時代謝制御ネットワークの構築
本研究チームは、健常マウスと肥満モデルマウスであるob/obマウスに対してグルコースを投与し、トランスクリプトーム解析(注2)とメタボローム解析(注3)により肝臓内でのRNA量と代謝物量の時系列測定を行いました。これらの大規模データからグルコース投与に対して増加もしくは減少する代謝酵素遺伝子、代謝物を同定しました。同定した代謝酵素遺伝子に対して塩基配列を用いた手法により、グルコース応答関連転写因子を推定しました。またインスリンシグナル経路を個別解析し、転写因子を制御するインスリンシグナル分子を同定しました。最後に、制御経路データベースを用いてグルコース応答性の代謝酵素遺伝子及び代謝物により制御される代謝酵素を同定し、グルコース投与時の代謝制御ネットワークを構築しました。この制御ネットワークを健常マウスと肥満マウス間で比較することにより、健常マウスに特異的な制御経路や肥満マウスに特異的な制御経路を大規模に明らかとしました(図1)。

図1:グルコース投与時の代謝制御ネットワーク
本研究で構築されたトランスオミクスネットワークは、インスリンシグナル、転写因子、代謝酵素遺伝子、代謝酵素、代謝物の5層からなる。

 

まず健常マウスの制御ネットワークでは、多数の代謝物自体による代謝制御が同定されました。一方肥満マウスの制御ネットワークでは、健常マウスには存在した代謝物による代謝制御の多くが失われていました。健常マウス特異的な制御を持つ代謝物にはATPやNADP+などが、肥満マウス特異的な制御を持つ代謝物にはクエン酸などが含まれました。また代謝酵素遺伝子による代謝制御も、マウス間で共通制御は少なく、肥満により大きく変化することが示さました。

ネットワーク縮約による代謝制御特性の解明
トランスオミクスネットワークは非常に巨大であるため、特徴を抽出するためにはネットワーク解析が必要となります。本研究チームは、代謝経路情報を用いたトランスオミクスネットワークの縮約手法を開発し、健常マウスと肥満マウスの代謝制御トランスオミクスネットワークの縮約を行いました(図2)。この縮約によりシグナル伝達によって惹起される代謝酵素の転写制御および代謝物によるアロステリック制御を介した糖応答に重要な代謝反応制御の可視化に成功しました。

図2:縮約された代謝制御ネットワーク(上:健常マウス、下:肥満マウス)
代謝酵素層の分子を代謝経路ごとにまとめなおし、代謝経路層を構築している。ここでは、糖代謝・脂質代謝・アミノ酸代謝に含まれる代謝経路のみに絞っている。

 

健常マウスの縮約ネットワークからは、(i) インスリンシグナル層のAktとErk が、Foxo1やCreb のリン酸化とその下流遺伝子発現を介して広範な代謝経路を制御すること、 (ii) 転写因子Srebfによる代謝制御はコレステロール合成系に集中していること、 (iii) 代謝酵素遺伝子による代謝制御は脂質代謝にやや多く見られること、(iv)健常マウス特異的な代謝物のうち、ATPやNADP+は多くの代謝経路に影響を及ぼすこと、などの特徴が見出されました。さらに各分子の時系列情報を加えることにより、代謝物やSrebfによる代謝制御が、グルコース投与後20分で速く応答することも明らかとしました。

一方で健常マウスと比べて肥満マウスの縮約ネットワークからは、 (i) インスリンシグナル層からの代謝制御のうち、Akt制御経路が失われるが、Erk制御経路は保たれること、 (ii) 代謝酵素遺伝子による代謝経路制御は脂質代謝でやや減少し、糖・アミノ酸代謝でやや増加すること、(iii) 数少ないマウス間で共通する代謝物による制御には、解糖系上流代謝物G6PおよびF6Pによる糖代謝制御が含まれること、などの特徴を見出しました。時系列情報からは、肥満マウスでは代謝酵素遺伝子による代謝制御のうち、グルコース投与後1時間以降の遅い応答が増加することも示されています。

 

③社会的意義
本研究では、グルコース投与という摂食に近い条件下において肝臓がいかにして代謝制御を行うかを初めて大規模に明らかとしました。またこの制御システムに対して肥満が及ぼす影響も同時に評価しました。これにより代謝物による制御の消失や遅い遺伝子発現を介した制御など肥満における代謝制御の新たな側面が明らかとなりました。血糖値の恒常性は肝臓のみならず全身の臓器連関ネットワークを介して維持されているため、他の代謝臓器にも本解析手法を拡張していくことにより、2型糖尿病など血糖恒常性の破綻メカニズムの全容が明らかとなると考えられます。

なお、本研究は、JST CREST「生命動態の理解と制御のための基盤技術の創出」研究領域の研究課題名「時間情報コードによる細胞制御システムの解明」(研究代表者:黒田真也)および新学術領域研究(研究領域提案型)「2型糖尿病の代謝アダプテーション」(研究代表者:黒田真也)の一環として得られました。

 

発表雑誌

雑誌名 Science Signaling
論文タイトル Trans-omic analysis reveals allosteric and gene regulation-axes for altered glucose-responsive liver metabolism associated with obesity
著者 Toshiya Kokaji, Atsushi Hatano, Yuki Ito, Katsuyuki Yugi, Miki Eto, Keigo Morita, Satoshi Ohno, Masashi Fujii, Ken-ichi Hironaka, Riku Egami, Akira Terakawa, Takaho Tsuchiya, Haruka Ozaki, Hiroshi Inoue, Shinsuke Uda, Hiroyuki Kubota, Yutaka Suzuki, Kazutaka Ikeda, Makoto Arita, Masaki Matsumoto, Keiichi I. Nakayama, Akiyoshi Hirayama, Tomoyoshi Soga, and Shinya Kuroda*
DOI番号
https://doi.org/10.1126/scisignal.aaz1236
アブストURL https://stke.sciencemag.org/content/13/660/eaaz1236/tab-article-info

 

用語解説

注1 トランスオミクスネットワーク

シグナル経路・遺伝子発現・代謝階層にまたがる大規模ネットワーク

注2 トランスクリプトーム解析

網羅的な遺伝子発現計測 

注3 メタボローム解析

網羅的な低分子化合物量計測