2019/02/08

全球エアロゾル濃度を制御する「雨雲の過飽和度」の観測に成功

 

茂木 信宏(地球惑星科学専攻 助教)

森  樹大(東京理科大学理学部第一部物理学科 助教)

松井 仁志(名古屋大学大学院環境学研究科 助教)

大畑  祥(名古屋大学宇宙地球環境研究所 兼 高等研究院 助教)

 

発表のポイント

  • 大気中の塵(エアロゾル)の除去率を制御する「雨雲の過飽和度」を初めて観測し、さらに全球大気モデルの計算から、気候研究におけるこの物理量の観測の重要性を示した。
  • 降水に含まれる黒色炭素粒子の測定から「雨雲の過飽和度」を推定する手法を開発し、それを用いて、東アジア域の37回の降水イベントについて観測データを取得した。
  • 今後、正確なモデル計算が原理的に困難な「雨雲の過飽和度」の値に観測データを用いることにより、大気モデルによるエアロゾル空間分布の予測性能の向上が期待される。

発表概要

大気中に漂う塵(エアロゾル)は、直接・間接的に放射収支を変えて地球の気候に影響を及ぼしています。「雨雲の過飽和度」(注1)は、湿潤対流(注2)による大気からのエアロゾルの除去率を直接的に制御するため、全球的なエアロゾル濃度に大きく影響するパラメータです。しかし、その正確な値を予測することは原理的に困難であり、またこれまでその観測手法もありませんでした。そのため、雨雲の過飽和度は、エアロゾルの気候影響評価に使われる大気モデル(注3)の中の本質的な不確実因子でした。今回、東京大学の茂木信宏助教、東京理科大学の森樹大助教、名古屋大学の松井仁志助教、名古屋大学の大畑祥助教は、雨で除去されたエアロゾルが雲の中で経験した過飽和度を推定できる手法を開発し、その手法をもちいて東アジア域の多数の降水イベントで過飽和度の観測データを取得しました。また、大気中・雲中のエアロゾルの状態と変容過程を正確にシミュレーションできる独自の大気モデルによる感度実験(注4)から、観測値の平均±標準偏差(0.08±0.03%)の範囲内の過飽和度の変化に伴い、全球的な黒色炭素(注5)エアロゾル濃度が2倍も変わりうることを示しました。今後、大気モデル内の降水雲の過飽和度値にこの手法で得られる観測データを用いることで、全球的なエアロゾル濃度の予測性能の向上につながると考えられ、気候予測の精密化にも貢献することが期待されます。

発表内容

研究の背景:
地球大気に浮遊する粒径が1マイクロメートル程度よりも小さな塵(エアロゾル)は、太陽放射を散乱・吸収したり、雲核として作用し雲の太陽光反射率を高めたりすることで地球の放射収支を変化させ、気候に影響を及ぼしています。全球的なエアロゾル濃度と空間分布は発生・輸送・除去の3つの過程で決まり、その中で鉛直方向の輸送と除去は、主に降水を伴う湿潤対流に伴って起こります。上昇流の中で水蒸気が過飽和となるとエアロゾルのなかで親水性の高いものが優先的に雲粒化し、雲粒化したエアロゾルの多くは降水粒子として地表に沈着します。いっぽう、雲粒化しなかった親水性の低いエアロゾルの多くは鉛直輸送されます。降水領域内のエアロゾル除去率は、近似的に、「水蒸気凝結率(降水量と等価)」と「エアロゾルが雲粒化するときの過飽和度」という2つの変数で決まっています。前者についての観測値や計算値は、気象観測網と大気力学モデルの精密化により信頼性が高まりつつあります。一方、後者は、極めて小さな非平衡状態を表す物理量であるため、正確なモデル計算は難しく、またこれまでその値を測定する方法は提案されていませんでした。このため、雨雲のなかでエアロゾルが雲粒化するときの過飽和度の値が未知であることは、大気エアロゾルの動態理解とモデル予測の精度の向上にとって本質的な障害となっていました。

本研究の成果の具体的内容:
この問題を解決するため、本研究では、雨で除去されたエアロゾル粒子が雲粒化したときの過飽和度を復元するための手法を開発しました(図1)。

図1:雨雲の過飽和度の観測手法の模式図。黒色炭素を粒子トレーサーとして採用し、地上で観測される空気中と降水中のトレーサー粒子の詳細な対比により、除去されたトレーサー粒子が水蒸気の凝結領域(Localized Supersaturated Domain: LSD)で雲粒化したときの過飽和度SSlsdを推定することができる。現実の降水システムは連続的に空間変化する凝結領域を含んでいるが、ここでは説明のために簡略化し、n個の離散的な凝結領域として図示している。本研究の観測手法では、並進移動する降水システムにおいて、数分から数十分間にわたり降水中のトレーサー測定を実施することで、典型的には水平スケールが数km~数十kmの範囲内にある多数の凝結領域にわたり、除去されたトレーサー粒子の検出個数で重み付けされた過飽和度SSlsdの平均値を推定できる。

 

この観測方法では、大気中に普遍的に存在し、単一粒子質量の正確な測定が可能であり、かつ水中でも安定な黒色炭素を粒子のトレーサー(注6)として用います。降水前の大気に存在する黒色炭素粒子(初期トレーサー)と、降水に含まれて雨雲から除去された黒色炭素粒子(除去トレーサー)の粒径分布を比較することで、粒径ごとの除去効率を求めます。それと同時に、降水前の大気に存在した黒色炭素粒子の雲粒化に必要な過飽和度(臨界過飽和度(注7))を観測から決めておきます。トレーサーの粒径ごとに相対除去効率と臨界過飽和度を比較することで、各トレーサー粒径をもつエアロゾル粒子が雲粒化したときの過飽和度を推定することができます。雨雲は大きく分けて、対流圏下層の水蒸気収束に伴う対流性のものと、対流圏中層の水蒸気収束に伴う層状性のものがありますが、本研究の手法はその前提条件から対流性の雨雲のみに適用可能です。

本研究では、東京(夏季)と沖縄(春季)における計37回の降水イベントについて観測を実施し、そのうち相対的に対流性の強い23回のイベントも抽出して過飽和度推定を実施しました(図2)。全イベント(図2a)の結果に比べて、相対的に対流性のイベント(図2b)の結果では、トレーサ―粒径に依存した系統差が小さく、より信頼性の高い推定ができていることが示唆されます。上記23回の降水イベントの結果から、降水雲の過飽和度の平均±標準偏差は0.08±0.03%と導出されました。

 

図2:各降水イベントにおける、雨雲の過飽和度SSlsd(横軸)と空気塊中のトレーサーの除去割合の推定値(〇:東京, △:沖縄)。(a), (b)はそれぞれ全降水イベント(37回)、対流性の降水イベント(23回)の結果。中塗り丸印とエラーバーは中央値と±25パーセンタイル範囲。

 

さらに、エアロゾルの粒径・混合状態・臨界過飽和度を精密に考慮した全球大気モデルを用いて、黒色炭素(すす)濃度の全球分布が「降水雲中の過飽和度の仮定値」にどの程度影響されるのか調べる感度実験を行いました。その結果、観測された過飽和度値の平均±標準偏差(0.08±0.03%)の範囲内の変化で、発生源近傍における湿潤対流に伴う鉛直輸送効率の変化に起因して、発生源から遠方(たとえば北極圏)の黒色炭素濃度は2~3倍も変わることが分かりました。黒色炭素や一次有機物(注8)など、発生時は疎水性(臨界過飽和度が高い)ですが大気中で親水性(臨界過飽和度が低い)に変化する燃焼起源のエアロゾルについては、観測変動幅内の過飽和度値の変化で除去・鉛直輸送効率が大きく変わることがわかり、これらのエアロゾルの正確な全球モデリングのためには、雨雲の過飽和度を正確に決めることが重要であることが分かりました。

今後の研究課題と社会貢献:
今後、雨雲の過飽和度とその雲の力学的・微物理的な特徴との関係を理解するために、粒子トレーサー観測による過飽和度の推定と同時に、レーダー観測から雲・降水システムの時空間構造も把握することが必要と考えられます。将来、雨雲の過飽和度の観測をさまざまな季節・領域について実施し、その統計値を用いて大気モデル内部の降水雲中の過飽和度の値を制約することで、黒色炭素を含め人為起源・自然起源エアロゾルの濃度空間分布について、全球モデルでの再現性能の向上および放射強制力評価の不確実性低減が期待されます。

本研究は、JSPS科研費(15H05465, 16J04452, 16H01770, and 17H04709)、環境研究総合推進費(2-1403, 2-1703)、ArCS北極研究推進プロジェクトの支援のもとで行われました。

 

発表雑誌

雑誌名 npj Climate and Atmospheric Science
論文タイトル Observational constraint of in-cloud supersaturation for simulations of aerosol rainout in atmospheric models
著者 Nobuhiro Moteki*(責任著者), Tatsuhiro Mori*, Hitoshi Matsui*, and Sho Ohata(*本研究に同等の寄与)
DOI番号 https://doi.org/10.1038/s41612-019-0063-y
論文URL  

 

 

用語解説

注1 過飽和度

空気中の水蒸気圧がその温度における平衡水蒸気圧を超える割合のこと。地球大気中の過飽和度は最大でも1%程度にしかならない。

注2 湿潤対流

水蒸気の凝結を伴う鉛直方向の対流。

注3 大気モデル

大気の運動、水蒸気の相変化、放射伝達過程、微量気体やエアロゾルの生成・輸送・消失過程などを熱力学・流体力学・化学などの法則に基づいてシミュレーションする数値モデル。

注4 感度実験

数値モデルの中のある特定のパラメータの値を意図的に変えて計算を行うことで、そのパラメータが結果に及ぼす影響を調べるための手法。

注5 黒色炭素

化石燃料やバイオマス燃焼に伴い発生する煙に含まれる真っ黒な「すす」のこと。本研究では、単一粒子レーザー誘起白熱法という分析法を用い、空気中および降水中の黒色炭素粒子の測定を実施した。

注6 トレーサー

環境中の物質移動や素過程を追跡するために用いられる、環境中で保存されかつ観測可能な物理量あるいは物質のこと。

注7 臨界過飽和度

エアロゾル単一粒子ごとに固有の値をとり、粒径と親水性物質の含有量でその値が決まる。大気の過飽和度が臨界過飽和度を上回ると、エアロゾルに多くの水蒸気が凝結し雲粒ができる。

注8 一次有機物

有機物エアロゾルには、発生源から直接放出される粒子(一次有機物)と、大気中でガスから生成する粒子(二次有機物)の二種類がある。前者の多くは疎水性であり、臨界過飽和度が比較的高い。

 

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―