2015/09/25

光の衣をまとった原子を電子線散乱で観る

発表者

  • 山内 薫(化学専攻 教授)
  • 歸家令果(化学専攻 助教)
  • 森本 裕也(化学専攻 大学院生(日本学術振興会特別研究員))

発表のポイント

  • 原子とレーザーとの相互作用の結果として、「光の衣をまとった状態」(光ドレスト状態)となったことを電子散乱(注1)によってはじめて観測した。
  • 原子の光ドレスト状態が形成されると、特殊な電子散乱信号が現れるという理論予測が30年前になされており、今回この予測を実験的に初めて実証した。
  • 高い強度のレーザーを照射した原子・分子内の電子群がどのように応答するかが明らかになり、その超高速集団応答を知ることによって、後続の発光や反応などのダイナミクスを制御する指針となると期待される。

発表概要

図1

図1. LAES過程によって一光子分だけ運動エネルギーが増加した散乱電子の散乱角度分布。赤丸:実験値、黒破線:光ドレスト原子形成の効果を考慮しない理論による数値シミュレーション、青実線:光ドレスト原子形成の効果を考慮した理論による数値シミュレーション。

拡大画像

普通、原子や分子に光を照射しても原子や分子の性質が光の性質によって変化することはありません。しかし、高強度のレーザー光を照射すると、原子や分子の性質が変化する光ドレスト状態(「原子が光の衣をまとった状態」)が形成されることが知られています。ところが、光ドレスト状態において、原子内の電子群の空間分布がどのように変化するかをモニターする実験手法は存在しませんでした。

一方で、光ドレスト状態にある原子が形成されると、特殊な電子散乱信号が現れるという理論的な予測が30年前からなされていました。しかし、これまでの長い歳月の間、その実証実験が行われることが期待されていましたが、実験が困難であるため、誰もその実証に成功していませんでした。

東京大学大学院理学系研究科の山内薫(やまのうち かおる)教授、歸家令果(かんや れいか)助教らの研究グループは、強度の高いレーザーをキセノン原子に照射して、レーザー場と相互作用しているキセノン原子を標的として電子散乱実験(注2)を行い、キセノン原子の光ドレスト状態を示す電子散乱信号(ピーク構造)を初めて観測しました。 今後、このピーク構造を詳細に解析することによって、光ドレスト原子内の電子分布の時間変動を明らかにできる可能性が高まります。そして、この手法を用いることによって、高強度レーザー場中の原子・分子過程における電子分布の動きを追跡することが可能となり、後続の発光や反応などのメカニズムへの理解を深めることができると期待されます。

発表内容

通常、原子や分子に光を照射した場合には、光吸収や発光などが起こりますが、光の役割は原子や分子を電子的な励起状態に励起するだけで、原子や分子の性質が光の性質によって変化することはありません。ところが、高強度のレーザー光と原子や分子が相互作用をすると、光の場によって原子や分子の電子状態が大きく影響を受け、光ドレスト状態という、光の場の中だけで存在する状態が形成されます。この名称は、原子や分子が光のドレスをまとっているとみなせるために付けられたものです。

光ドレスト状態にある原子や分子内の電子群はレーザーの周期電場によって擾乱を受けるため、その空間分布は時間とともに変化します。しかし、この時間依存の電子分布を実験的に測定する手法はこれまでに存在していませんでした。

一方で、レーザー場中で電子線が原子によって弾性散乱される際には、散乱電子の運動エネルギーがレーザー光子エネルギーの整数倍だけ増減するレーザーアシステッド弾性電子散乱(Laser-assisted elastic electron scattering; 以下LAES)と呼ばれる現象が起こることが知られていました。そして、1984年に報告された理論研究によって、強レーザー場中でLAES過程を観測すれば、一光子分だけ運動エネルギーが増減したLAES信号の小角散乱領域に光ドレスト原子の形成に起因する特徴的なピーク構造が現れるはずであるということが予想されていました。さらに、このピーク構造は光ドレスト原子内での電荷の空間分布とその時間変動に敏感であることが理論的に示されており、光ドレスト原子を理解するために、そのピーク構造の観測実験が待ち望まれていました。しかしながら、1970年代から続いてきた多くのLAES過程の実験研究にも係わらず、理論で予測されてきたピーク構造が観測されることはありませんでした。

今回、東京大学大学院理学系研究科の山内薫教授、歸家令果助教らの研究グループは、この理論予測を実証するために、小散乱角領域に現れるピーク構造を観測するための実験装置を独自に開発しました。そして、高強度レーザー場中において入射エネルギー1 keVの電子線パルスをキセノン原子に照射することによって、LAES過程による散乱電子のエネルギー分布と角度分布を測定しました。その結果、LAES過程を通じて一光子分だけ運動エネルギーが増減した散乱電子の散乱角度分布の小角領域に、光ドレスト原子の形成に由来するピーク構造が現れることを実証することに初めて成功しました。

図1の赤丸は、LAES過程によって一光子分だけ運動エネルギーが増加した散乱電子の散乱角度分布です。黒楕円で示してあるように、散乱角度0.5度以下の領域において明確なピーク構造が現れていることが確認できます。図1の黒破線と青実線は数値シミュレーションの結果です。光ドレスト原子形成の効果を考慮しない理論を用いて散乱角度分布を計算した場合、図1の黒破線のようにピーク構造が現れないのに対して、光ドレスト原子形成の効果を近似的に取り入れた理論を用いた計算を行うと、図1の青実線のように散乱角度0.5度以下の領域においてピーク構造が現れることが確認されました。さらに、LAES過程を通じて一光子分だけ運動エネルギーが減少した散乱電子信号についても同様の結果が得られました。これらの結果は、観測されたピーク構造が光ドレスト原子の形成に起因していることを示しています。

本研究によって、散乱電子信号に、原子が光ドレスト状態を形成したことを示すピーク構造が現れることが示され、LAES過程の実験研究における30年来の課題が解決されました。LAES過程において、入射電子は原子内のクーロン電場によって散乱されるため、散乱電子の角度分布とエネルギー分布は、原子内電子の空間分布と時間変化を反映して変化します。したがって、観測されたピーク構造の角度分布とエネルギー分布を解析することによって、光ドレスト状態にある原子や分子内の電子分布が如何に時々刻々変化するのかを明らかにできると期待されます。さらに、この手法によって電子分布の動きが解明され、高強度レーザー場中の原子や分子が関わる動的な過程が理解されることにより、高強度レーザーを用いた原子の制御や化学反応の制御において大きな進展がもたらされると期待されます。

発表雑誌

雑誌名
Physical Review Letters (2015年9月16日オンライン版、115巻、12号、123201-1-5 (2015))
論文タイトル
Light-Dressing Effect in Laser-Assisted Elastic Electron Scattering by Xe
著者
Yuya Morimoto, Reika Kanya, and Kaoru Yamanouchi*
DOI番号
10.1103/PhysRevLett.115.123201
要約URL
http://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.115.123201

用語解説

(注1)電子散乱
電子が標的試料と衝突することによって、衝突後の電子の進行方向や運動エネルギーが変化する現象。
(注2)電子散乱実験
電子線を標的試料に衝突させ、散乱された電子の散乱角度や運動エネルギーを測定する実験。