硝酸イオンを細胞内に取り込む分子メカニズムの解明
発表者
- 福田 昌弘(生物科学専攻 博士課程1年)
- 竹田 弘法 (生物科学専攻 博士課程3年)
- 加藤 英明(スタンフォード大学医学部分子細胞生理学科 日本学術振興会海外特別研究員)
- 伊藤 耕一(新領域創成科学研究科メディカル情報生命専攻 教授)
- 石谷 隆一郎(生物科学専攻 准教授)
- 濡木 理(生物科学専攻 教授)
発表のポイント
- 生物にとって重要な窒素源である硝酸イオンを細胞の中へ取り込む「硝酸輸送体タンパク質NarK」の立体構造を3つの異なる状態で決定しました。
- 硝酸イオンがどのように細胞内に取り込まれるのかを、細胞膜(注1)に存在するNarKの立体構造の状態変化を明らかにすることにより、原子レベルで解明しました。
- 本研究の成果は生命科学研究の発展に貢献するとともに、硝酸イオンを効率よく取り込むことで環境問題の解決や農作物の改良のための基盤となりえます。
発表概要

図1. 3状態のNarKの立体構造。左から、硝酸結合型閉状態、硝酸結合型細胞内向き開状態、基質非結合型細胞内向き開状態を示しました。下の断面図から、閉状態では閉じている硝酸イオン結合部位が、細胞内向き開状態では細胞内側へ開いていることがわかります。
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図2. 閉状態から細胞内向き開状態へのNarKの状態変化。左の図に示した通り、7、10、11番目の膜貫通ヘリックス(TM7、TM10、TM11)が折れ曲がっています。また、右の図に示した通り、閉状態(うすい色)から細胞内向き開状態(濃い色)への状態変化の際、チロシン残基とアルギニン残基に硝酸イオンから離れる動きが見られます。緑の破線は細胞内向き開状態での水素結合を表します。
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図3. NarKによる硝酸イオンの細胞内への輸送モデル。7、10、11番目の膜貫通ヘリックスが折れ曲がり、その動きが硝酸イオン結合部位のアミノ酸残基(チロシンとアルギニン)の動きに連動することで、硝酸イオンが細胞内に取り込まれると考えられます。
拡大画像窒素はDNA、アミノ酸などの構成要素であり、生物が生きていく上でなくてはならない元素です。細菌や植物をはじめ多くの生物は硝酸イオンの形で窒素を体内に取り込んでいます。この硝酸イオンの細胞膜(注1)を介した取り込みを行う分子機械が「硝酸イオン輸送体タンパク質NarK」です。これまでにNarKについて様々な輸送機構が提唱され、近年大腸菌由来NarKの立体構造が報告されたものの、NarKが硝酸イオンを細胞内に取り込む分子メカニズムの詳細は依然として不明なままでした。
東京大学大学院理学系研究科の濡木理教授を中心とした研究グループは、精製したNarKを人工的な脂質二重膜(リポソーム(注2))の中に組み込み、NarKによる亜硝酸輸送量を定量的に測定する方法を開発しました。その結果、NarKが硝酸イオンと亜硝酸イオンを逆向きに輸送する対向輸送体(注3)であることを直接的に示すことに成功しました。さらに本研究グループは、X線結晶構造解析(注4)によって3つの状態のNarKの立体構造を高分解能で決定しました。この詳細な構造情報にもとづき研究を進めた結果、「NarKの特定の膜貫通ヘリックス(注5)が折れ曲がり、その動きが硝酸イオン結合部位のアミノ酸残基の動きに連動することで、硝酸イオンが細胞内に取り込まれる」という輸送モデルを提唱しました。
本研究は、細菌から植物まで共通した生命現象である「細胞膜を介した硝酸イオンの細胞内への取り込み機構」を原子レベルで解明し、生命科学分野の研究の発展に大きく貢献するとともに、硝酸イオン輸送活性の高いNarK変異体を細菌や植物に導入することにより、環境問題の解決や農作物改良への応用も期待されます。本研究成果は、英国科学誌ネイチャーコミュニケーションズ電子版に5月11日18時(日本時間)付けで公開されます。
発表内容
窒素はDNA、アミノ酸などの構成要素であり、生物が生きていく上でなくてはならない元素です。窒素は地球上に窒素ガスとして多量に存在していますが、その反応性は極めて乏しいため、細菌や植物といった多くの生物は硝酸イオンなどの反応性が高い形で窒素を体内に取り込んでいます。すべての生物の細胞では、細胞膜(注1)によって細胞内部と外部環境とが隔てられています。このため、硝酸イオンを細胞内に取り込むためにはこの細胞膜を通す必要があります。この過程で中心的な役割を担っているのが、「硝酸イオン輸送体タンパク質NarK」です。一般に膜輸送体タンパク質は細胞膜に存在しており、細胞の外側に開いた状態(細胞外向き開状態)から、細胞内外どちらともに閉じた状態(閉状態)を経て、細胞の内側に開いた状態(細胞内向き開状態)になるという「状態変化(注6)」を繰り返すことで細胞膜を介した基質(イオンや小分子)の輸送を行います。このような膜輸送体による基質輸送の分子メカニズムを明らかにする上では、(1)基質の輸送を行うためのエネルギー(駆動力)は何なのか、(2)膜輸送体が基質を輸送する際にどのように立体構造が変化するのか、という2点が大きなポイントとなります。
NarKは、25年以上前に遺伝子が見つかって以来多くの研究がなされてきましたが、その輸送メカニズムについては、硝酸/プロトン共輸送、硝酸/亜硝酸対向輸送、硝酸単輸送体(注3)など様々な説が存在し、謎に包まれていました。近年、大腸菌Escherichia coli由来のNarK の立体構造が亜硝酸結合型細胞内向き状態にて報告され、その全体構造や亜硝酸イオンの認識機構が明らかになりました(Zheng et al., Nature, 2013)。しかしながら、解明されたのは単一の状態の構造のみであったこと、これまで直接的な硝酸イオンの輸送活性測定が技術的に困難であったことなどから、依然としてNarKがどのようにして硝酸イオンを細胞内に取り込むのかは不明なままでした。
今回、東京大学大学院理学系研究科の濡木理教授らの研究グループは、精製した大腸菌Escherichia coli由来のNarKを人工的な脂質二重膜(リポソーム(注2))の中に組み込み、試験管内でNarKによる亜硝酸の輸送量を定量的に測定することに成功しました。これによってNarKが硝酸イオンと亜硝酸イオンを逆向きに輸送する対向輸送体としてはたらくことを世界ではじめて直接的に示しました。さらに、本研究グループは、NarKによる硝酸/亜硝酸対向輸送に伴う「状態変化」を原子レベルで解明するため、NarKのX線結晶構造解析(注4)を試みました。大型放射光施設SPring-8 BL32XU(注7)においてNarKの結晶からX線回折データを収集した結果、2.35-2.40 Å(オングストローム(注8))という高分解能でNarKの立体構造を解明することに成功しました(図1)。その結果、硝酸結合型閉状態、硝酸結合型細胞内向き開状態、基質非結合型細胞内向き開状態の3つの状態のNarKの立体構造が得られ、NarKが硝酸イオンを細胞内に取り込むメカニズムが明らかとなりました。
今回得られた閉状態と細胞内向き開状態のNarKの構造の比較から、NarKを構成する12本の膜貫通ヘリックス(注5)のうち7、10、11番目の膜貫通へリックスに折れ曲がりが見られました(図2左)。興味深いことに、この膜貫通ヘリックスの折れ曲がりは、硝酸イオン結合部位のアミノ酸残基であるチロシン残基(注9)とアルギニン残基(注10)の動きに連動し、これらの残基は硝酸イオンから離れる動きを生じていました(図2右)。
遺伝学的な変異体解析やコンピュータシミュレーションによる解析結果も合わせて、「NarKの特定の膜貫通ヘリックスが折れ曲がり、その動きが硝酸イオン結合部位のアミノ酸残基の動きに連動することで、硝酸イオンが細胞内に取り込まれる」という輸送モデルを提唱しました(図3)。
本研究は、多岐にわたる研究手法を組み合わせ、細菌から植物まで共通した生命現象である「細胞膜を介した硝酸イオンの細胞内への取り込み機構」を原子レベルで解明したものです。また、ひとつの膜輸送体タンパク質で異なる4種の状態で構造が解明された一種のモデルとして、膜輸送体タンパク質による基質輸送に関する基礎研究の発展に広く貢献するものです。応用研究として、今回決定したNarKの構造情報をもとにデザインした硝酸イオン輸送活性の高い変異体を細菌や植物に導入することで、下水処理(注11)、赤潮(注12)などの環境問題の解決や農作物(注13)の改良への応用も期待されます。
発表雑誌
- 雑誌名
- Nature Communications (ネイチャー・コミュニケーションズ)
- 論文タイトル
- Structural basis for dynamic mechanism of nitrate/nitrite antiport by NarK
- 著者
- Masahiro Fukuda, Hironori Takeda, Hideaki E. Kato, Shintaro Doki, Koichi Ito, Andrés D. Maturana, Ryuichiro Ishitani*, Osamu Nureki*
- DOI番号
- 10.1038/ncomms8097
- 要約URL
- http://www.nature.com/ncomms/2015/150511/ncomms8097/abs/ncomms8097.html
用語解説
- (注1)細胞膜
- 細胞の内側と外側を隔てる膜で、脂質からなる。すべての生物の細胞に存在する。細胞が生きていく上で必要なイオンや小分子の多くは極性を持つため、細胞膜を単独では透過できない↑
- (注2)リポソーム
- 人工的に作製した脂質二重膜。この膜の中に膜タンパク質を組み込むことで、試験管内で様々な生化学的な解析が可能となる。↑
- (注3)共輸送、対向輸送、単輸送
- 膜輸送体の輸送メカニズムは大きくこの3つである。共輸送とは、ある物質と別の物質を同時に同方向へ輸送する機構である(例えば、細胞外の硝酸イオンと細胞外のプロトンを同時に細胞内へ運ぶ)。対向輸送とは、ある物質と別の物質を逆方向へ輸送する機構である(例えば、細胞外の硝酸イオンを細胞内に輸送し、逆に細胞内の亜硝酸イオンを細胞外へ運ぶ)。これらの機構によって、細胞内外の濃度の差に逆らった輸送が可能となる。また、単輸送とは濃度の差にしたがって、ある物質を透過させる機構である。↑
- (注4)X線結晶構造解析
- X線結晶構造解析法とは、タンパク質結晶にX線を当てて得られる回折データを処理することで原子の座標(正確には電子の存在する可能性の高い領域=電子密度)を決定する手法である。高分解能のデータは電子密度の精度がよいため、原子レベルの議論に適している。↑
- (注5)膜貫通ヘリックス
- 膜タンパク質は、膜貫通ヘリックスと呼ばれるらせん構造を持った棒が何本も束になった構造を持っていることが多い。↑
- (注6)状態変化
- 膜輸送体タンパク質は、構造を変化させて様々な状態を取りながらイオンや小分子の透過のための「ドア」の役割を果たす。各状態の構造は膜輸送体によってそれぞれ異なる。↑
- (注7)SPring-8
- 兵庫県にある世界最大級の大型放射光施設。非常に強いX線を用いた実験が可能。ビームラインのひとつBL32XUは、膜タンパク質などの高難度ターゲットの微小結晶からもデータ収集が可能な高フラックス・マイクロビームラインである。↑
- (注8)オングストローム
- 1 Å(オングストローム)は0.1 nm(ナノメートル)であり、ほぼ炭素と炭素の結合距離に相当する。↑
- (注9)チロシン
- 必須アミノ酸の1つ。フェニル基の先にヒドロキシル基がついた側鎖を持ち、硝酸イオンと結合している。↑
- (注10)アルギニン
- 必須アミノ酸の1つ。プラスの電荷を持つグアニジノ基を持つ。↑
- (注11)下水処理
- 下水処理の過程では、特定の細菌が硝酸イオンなどの窒素化合物を取り込んで、窒素ガスまで還元し大気中に放出する現象である「脱窒」が利用されている。脱窒の第一段階は、細胞外の硝酸イオンを細胞内に取り込むというステップである。↑
- (注12)赤潮
- 河川の富栄養化が進むと、プランクトンが大量発生する赤潮が発生し、魚介類をはじめさまざまな方面に被害を及ぼす。河川の富栄養化の一因として、農作物のための過剰な肥料などに含まれる硝酸イオンが挙げられる。↑
- (注13)農作物
- 土壌で栽培される畑作物の窒素源は主に硝酸イオンであるため、肥料には多くの硝酸化合物が含まれる。しかしながら、植物は肥料に含まれる硝酸イオンをすべて吸収できるわけではない上に、硝酸イオンは水に溶けやすい。このため肥料中の過剰な硝酸イオンは、土壌に蓄積せずに地下水や河川に流れ込み、水質汚濁や河川の富栄養化の原因となる。↑