特殊ペプチドで再生医薬品を創る
発表者
- 伊藤 健一郎(東京大学理学系研究科 化学専攻 博士課程学生(当時))
- 酒井 克也(金沢大学がん進展制御研究所 助教)
- 松本 邦夫(金沢大学がん進展制御研究所 教授)
- 菅 裕明(東京大学大学院理学系研究科化学専攻 教授)
発表のポイント
- HGF(細胞増殖因子の一種)の受容体であるMetタンパク質を選択的に活性化する特殊環状ペプチド(注1)を人工的に開発することに成功しました。
- 本特殊環状ペプチドは、RaPIDディスプレイ法(注2)を用いることによって得られたものです。
- 本研究で開発したMet活性化ペプチドは、腎臓病、脊髄損傷や劇症肝炎などの難治性疾患に対する再生医薬品として応用されることが期待されます。
発表概要

図1.本研究の概要。RaPIDディスプレイ法を用いることで、ヒトのMetタンパク質のみ(選択的)に結合する特殊環状ペプチドを取得した(左)。取得したペプチドを二量化することで、HGF–Metシグナル経路を活性化し、ヒト細胞の形態変化を引き起こすような特殊環状ペプチドダイマーを開発した。
拡大画像
図2.ヒトの正常細胞が形成する微小管状構造。HGFや特殊環状ペプチドダイマーなどの活性化剤を加えない場合、細胞は微小管状構造を形成しない(左)。活性化剤としてヒトHGFを加えると、細胞は微小管状の構造を形成する(中)。本研究で開発した特殊環状ペプチドダイマーを加えると、ヒトHGFと同様に微小管状の形成を促進した(右)。
拡大画像増殖因子の一種である肝細胞増殖因子(HGF)タンパク質は、腎臓病、脊髄損傷や劇症肝炎などの難治性疾患の再生治療薬として期待されています。それは、細胞膜上のMetと呼ばれる受容体タンパク質にHGFが結合することにより、細胞の増殖活性や遊走活性が促進され、臓器の創傷治癒能を高めることが知られているからです。しかしながら、HGFはタンパク質であることから、Metタンパク質の活性を制御する分子としては安定性などにおいて課題があり、HGFに代わる分子の開発が求められていました。
この度、東京大学大学院理学系研究科の菅裕明教授と金沢大学がん進展制御研究所の松本邦夫教授の共同研究グループは、Metタンパク質を活性化する特殊環状ペプチドを人工的に開発することに成功しました。グループは、まず、RaPIDディスプレイ法を用いてMetタンパク質に結合する特殊環状ペプチドを取得し、その後化学的に修飾することで、ヒトの細胞におけるHGFと同様な作用機序で細胞の創傷治癒能を向上させる新たな特殊環状ペプチドを開発しました。
今回開発した特殊環状ペプチドは、難治性疾患に対する副作用の少ない再生医薬品として、またiPS細胞をはじめとする多能性幹細胞を用いた再生医療において利用されることが期待されます。
本成果は英オンライン科学誌のNature Communicationsに2015年3月11日10時(イギリス時間)に発表されます。
なお、この研究は、文部科学省創薬等支援技術基盤プラットフォーム事業および日本学術振興会科学研究費補助金の支援を受けて行われたものです。
発表内容
Metタンパク質は、ヒトの細胞における増殖因子の一種である、肝細胞増殖因子(HGF)が結合する受容体です。Metタンパク質にHGFが結合することにより、HGF–Metシグナル経路を活性化させ、細胞の増殖活性や遊走活性が向上し、臓器の創傷治癒能を高めることが知られています。そのため、HGFは腎臓病や脊髄損傷、劇症肝炎などの難治性疾患の再生治療薬として期待されていました。しかし、HGFはタンパク質であることから、Metタンパク質の活性を制御する分子としては、コスト面や物質の安定性に課題があり、HGFに代わる低分子のMetタンパク質活性化剤の開発が求められていました。
共同研究グループは、東京大学大学院理学系研究科の菅裕明教授の研究グループが開発したRaPIDディスプレイ法を用いて、Metタンパク質に結合する特殊環状ペプチドを複数取得しました(図1)。細胞膜上でMetタンパク質は、Metタンパク質どうしで二分子結合すること(二量体化。二量体化したペプチドをペプチドダイマーといいます)で活性化することが知られています。そこで、RaPIDディスプレイ法で取得した特殊環状ペプチドを化学修飾により二量体化することで、Metタンパク質二分子を捕捉して近接させるような特殊環状ペプチドダイマーを設計し、合成しました。
開発した特殊環状ペプチドダイマーは、生体由来のヒトのHGFと同様な機序でHGF–Metシグナル経路を活性化させ、正常なヒトの細胞における創傷治癒能や微小構造形成能を向上させました(図2)。また、この特殊環状ペプチドダイマーはMetタンパク質に限定して活性化させるという極めて高い選択性を有しており、他の受容体型チロシンキナーゼタンパク質(注3)を全く活性化しませんでした。加えて、本特殊環状ペプチドダイマーは、HGFの1/10以下の大きさでありながら、Metタンパク質をHGFと同程度に活性化させることができることを確認しています。
研究成果の意義
本研究では、RaPIDディスプレイ法を用いることで、Metタンパク質を活性化する特殊環状ペプチドダイマーを人工的に開発しました。本特殊環状ペプチドダイマーは、HGFと同程度にMetタンパク質を活性化させることができるほか、HGFのように変性によって失活しないため、貯蔵寿命も長く、安定的に使用することができます。また、本特殊環状ペプチドダイマーは高いMet選択性を有することから、難治性疾患に対する副作用の少ない再生医薬品や、iPS細胞をはじめとする多能性幹細胞を用いた再生医療における利用が期待されます。また、本研究の手法を応用することで、Met以外の増殖因子受容体を活性化する特殊環状ペプチドの開発につながる可能性もあります。
発表雑誌
- 雑誌名
- Nature Communications(オンライン版の場合:3月11日)
- 論文タイトル
- Artificial human Met agonists based on macrocycle scaffolds
- 著者
- Kenichiro Ito1, Katsuya Sakai2, Yoshinori Suzuki2, Naoya Ozawa1, Tomohisa Hatta3, Tohru Natsume3, Kunio Matsumoto2 & Hiroaki Suga1
- 1東京大学大学院理学系研究科 2金沢大学がん進展制御研究所 3独立行政法人産業総合研究所
- DOI番号
- 10.1038/ncomms7373
用語解説
- 注1 特殊ペプチド
- 通常のペプチドとは異なり、大環状骨格やDアミノ酸を含んだペプチドのことを指す。特殊ペプチドは、タンパク質の分解酵素(プロテアーゼ)に耐性をもち、薬として用いることに適している。↑
- 注2 RaPIDディスプレイ法
- 菅裕明教授が開発した特殊ペプチドの薬剤候補を探索するツール。RaPIDはRandom Nonstandard Peptides Integrated Discoveryの略。↑
- 注3 受容体型チロシンキナーゼタンパク質
- 細胞膜上に存在する、受容体タンパク質の一種。相手となるタンパク質(Metタンパク質の場合はHGFタンパク質)と結合することで、チロシンキナーゼと呼ばれる部位が活性化され、細胞内のさまざまなシグナルを制御する。↑