2013/7/5 (配信日6/24)

異性の存在に依存して線虫の雄が行う連合学習

~オスはメシよりもメスが好き~

発表者

  • 飯野 雄一(東京大学大学院 理学系研究科 生物化学専攻 教授)
  • 酒井 奈緒子(東京大学大学院 理学系研究科 生物化学専攻 博士課程2年)
  • 横井 佐織 (東京大学大学院 理学系研究科 生物科学専攻 博士課程2年)

発表のポイント

  • 線虫C.エレガンスにおいて、雄が餌の探索よりも異性の探索を優先するという雄特有の学習システムを発見した。
  • この学習では、雄は異性からフェロモンを受け取って学習すること、そのために雄特有の神経回路が必要であることを示した。
  • 本研究の成果は、心の性差がどのように生じてきたかを解明する足がかりになると期待される。

発表概要

ヒトを含めた性別を持つ多くの生物にとって、異性を探索して交配を行うことは種の存続に不可欠である。これらの生物は、性別ごとに異なる神経系を持ち、性別によって異なる行動を行うことが知られている。しかし、神経系がどのような仕組みに基づいて性別によって異なる機能を発揮するかは、あまり理解されていない。

モデル生物である線虫C.エレガンス(以下線虫と呼ぶ)は、匂いや味などの化学物質を学習し、それらを手がかりに餌を効率的に探そうとすることが知られている。しかし、学習のしかたの雌雄差については調べられていなかった。今回、東京大学大学院理学系研究科の飯野雄一教授らの研究グループは、線虫の雄が、異性に接した際に存在した化学物質を手がかりに、餌の探索よりも異性の探索を優先して行うことを発見した。

このような雄特有の学習(異性学習)を詳細に解析した結果、異性学習には、異性から分泌されるフェロモンと、雄の交尾器で受容される何らかの刺激が重要であることが分かった。また、異性からの刺激に対して適切な異性学習を行うためには、神経回路の性別が重要であることも明らかになった。

異性学習は、線虫の雄が餌を得ることよりも異性との交尾を優先させることで、自身の遺伝子を効率的に次世代に残すための行動である可能性が高い。本研究は、神経の性差の分子・神経メカニズムを明らかにする足がかりとなると期待される。

発表内容

図1

図1:線虫の異性行動

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図2

図2:異性学習に必要なコミュニケーションシグナル

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行動学のモデル生物 線虫 C.エレガンス

線虫C.エレガンス(注1)は、遺伝学のツールに恵まれている上に、シンプルな神経構造を持ちながら多様で複雑な行動を示すため、行動を分子・神経・個体レベルで包括的に研究するための優れたモデル生物として広く用いられている。線虫はさまざまな匂い物質や塩類、温度などを感じることができ、これらに対して近寄ったり遠ざかったりする行動を示す。次に記載するように、これらの行動は餌の存在の有無により変化する。

線虫は雌雄同体と雄の2種類の性を持つ(注2)。これまでの研究は主に、研究室内での大量培養、維持が容易な雌雄同体を用いて行われてきたが、今回、飯野グループは雄の塩走性学習に着目し、雄が、雌雄同体とは異なる学習システムを用いていることを明らかにした。

異性学習~雄特有の学習システム~

線虫の雌雄同体は、餌と塩を十分に与えた飼育環境下では塩に引き寄せられるが、塩がある状態で飢餓を経験した後には塩を忌避するように行動が変化することが知られていた。この行動は、塩を手がかりとして餌を探索するために役立っていることが示唆される。同様の餌に依存した行動変化は匂いや温度についても知られている。一方、線虫の雄は、雌雄同体の存在の有無によって、塩に対する走性(塩に寄るか、塩を忌避するか)を変化させていることが明らかになった。餌が豊富な条件で飼育した雄は、雌雄同体の有無にかかわらず塩に寄る。また、雄を、雌雄同体が存在せず、餌のない環境に数時間さらした後では、雄は塩を忌避するようになった。これらの雄の行動は、これまで雌雄同体で観察されてきた行動と同じである。ところが、雄の線虫を雌雄同体と共に餌のない環境にさらした後では、雄は塩に寄る行動を示した(図1)。雌雄同体においては、雄がいてもいなくても塩への走性が変化しなかったため、異性の存在の有無が学習に影響を与える現象(異性学習)は、雄特有のものである。雄の異性学習は、餌を探すよりもむしろ雌雄同体を探索することを優先することで、自分の遺伝子を効率的に後代に残すために役立っていることが推定される。

異性学習には雌雄同体から発せられるシグナルが重要

飯野グループが異性学習の成立するメカニズムを詳細に調べた結果、異性学習の成立には雌雄同体からのシグナルが重要であることが明らかになった。線虫は個体間コミュニケーションの手段としてフェロモン(注3)を用いることが知られているが、フェロモンを合成できない雌雄同体(フェロモン合成を担う daf-22 遺伝子の変異体)と共に雄を飢餓条件にさらしても、雄は塩を忌避する行動をとる、つまり異性学習が成立しないことがわかった。また、交尾器が異常な雄(交尾器の発生に必要な mab-5 遺伝子の変異体)の変異体を雌雄同体と共に飢餓条件にさらした場合も、異性学習は成立しなかった。これらのことから、異性学習の成立には雌雄同体から分泌されるフェロモンと、雄の交尾器で受容される何らかの別のシグナルが必要であることが明らかになった(図2)。

雌雄同体からのシグナルの受容・処理には雄の神経回路が重要

線虫では、細胞内で機能する性決定因子の働きにより細胞ごとに性決定がなされている。飯野グループは、神経の性別が異性学習に寄与しているかを調べるために、雌雄同体化促進因子である tra-1 遺伝子の活性化型遺伝子を神経で発現させ、雄の神経を雌雄同体化した。その結果、雌雄同体型の神経を持つ雄では異性学習が成立しないことが分かった。これより、異性のシグナルを適切に処理して雌雄同体の存在に依存した行動変化を起こすためには、雄特有の神経回路が必須であることが明らかになった。

心の性差の解明に向けて

男女の脳には性別があり、性によって異なる考え方、感じ方をすると言われてきた。本研究は、生殖行動などの性特異的な本能行動ではない、連合学習という学習行動において情報処理機構の性差を実験的に証明したという点で意義深い。また、ショウジョウバエやマウス、ヒトに至るまで、多くの生物で、形態学的特徴から脳に性差があることは知られているが、神経回路レベルでは、神経の性差のメカニズムはあまり分かっていない。本研究は、神経の性差、ひいては生物の心の性差のメカニズムを明らかにする足がかりとなる重要な発見である。

発表雑誌

雑誌名
PLOS ONE」(7月4日(EST) 7月5日(日本時間))
論文タイトル
A SEXUALLY CONDITIONED SWITCH OF CHEMOSENSORY BEHAVIOR IN C. ELEGANS
著者
Naoko Sakai*, Ryo Iwata*, Saori Yokoi*, Rebecca A. Butcher, Jon Clardy, Masahiro Tomioka and Yuichi Iino
*:これらの著者は当該研究に同等に貢献した。
アブストラクトURL
http://dx.plos.org/10.1371/journal.pone.0068676

用語解説

注1 線虫C.エレガンス
正式な学名を Caenorhabditis elegans (C. elegans)というこの生物は、体長1 mm程の非寄生性の土壌生物である。実験生物として扱いやすく、実験室では大腸菌を餌として飼育する。線虫が持つ全ての神経細胞の場所や接続パターンが明らかとなっていることから、神経科学の実験材料としてよく用いられる。また、遺伝学的な解析も容易であり、生命現象を制御する分子機構を調べる上で有用なモデル生物である
注2 線虫の性差
線虫は、雌雄同体と雄の2種類の性をもつ。雌雄同体はひとつの個体の中で精子と卵子を形成することができ、自家受精により生殖が可能である。一方、雄は精子のみを形成でき、雌雄同体との交尾でのみ遺伝子を子孫に伝えることができる。雄は尾部に交尾器を持ち、交尾の際は交尾器を雌雄同体の体表にこすりつけながら雌雄同体の腹部に存在する産卵孔を探り当て、射精する。これによって、雄の精子と雌雄同体の卵子の間で受精がおこる。
注3 線虫のフェロモン
線虫は、フェロモンを介して個体密度などの情報を個体間で伝達していることが分かっている。線虫のフェロモンはアスカロシドと呼ばれる糖を基本骨格とした化学物質である。daf-22 と呼ばれる遺伝子がフェロモン合成に必要であることが知られている。