脳の機能成熟を担う「不要神経回路の選択的除去システム」の解明
発表者
- 榎本和生(東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 教授
- 大阪バイオサイエンス研究所 研究部長)
- 金森崇浩(大阪バイオサイエンス研究所 研究員)
発表のポイント
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どのような成果を出したのか
脳神経回路から除去される神経突起は、自発的に局所性カルシウムシグナルを発生し「自殺」していることを発見した。 -
新規性(何が新しいのか)
脳の機能成熟過程において必須のステップである「不要神経回路の選択的除去」において、ニューロンが自らの樹状突起群の中から「要」「不要」を選択するメカニズムを明らかにすることに初めて成功した。 -
社会的意義/将来の展望
脳発達期における不要神経突起の選択的除去システムの異常が一因とされる自閉症などの精神疾患の解明に繋がることが期待される。
発表概要
ヒト脳神経回路の大まかなネットワークは胎児期に形成されますが、この発生初期の幼弱な回路は、まだいわゆる「混線状態」にあります。これはその後の発達段階において、不要回路の切断・除去を含むネットワークの再編が起こることにより、機能的な情報処理回路へと成熟することができます。混線回路を解消する際には、既存回路に含まれる1000個以上の神経接続の中から、不要回路のみを選択的に除くことが必須です。しかし、従来のネコやマウスなど哺乳動物を個体モデルとする研究では、不要回路の除去過程をリアルタイム追跡することが技術的に不可能であり、分子基盤の同定も困難であることから、不要回路の選択的除去の作動メカニズムは30年以上解かれないまま謎として残されていました。
このたび東京大学大学院理学系研究科の榎本和生教授(大阪バイオサイエンス研究所・研究部長を兼任)の研究チームは、脳神経回路構造が比較的シンプルであるショウジョウバエを解析モデルとして採用し、独自に確立した生体イメージング手法と分子遺伝学的手法を組み合わせることにより、「不要な神経回路の選択的除去」を担うメカニズムに挑んだ結果、神経突起局所で自発的に発生する低頻度カルシウム振動を世界に先駆けて明らかにしました。最近の研究から、脳神経回路の機能成熟過程の異常は自閉症や統合失調症などの一因となる可能性が示されており、本研究成果は、将来的に発症メカニズムの解明や、診断法や治療法の開発に貢献することが期待されます。
本研究成果は、米国科学誌サイエンス電子版に5月31日付け(米国時間5月30日;日本時間5月31日)で公開されます。
発表内容

図1:脳神経回路の機能成熟は不要回路の切断・除去に依存する
胎児期に生み出された神経細胞群は、適切な場所へと移動した後に、神経突起を介してネットワークを構築する。この胎生期の幼弱な回路は、多くの混線やエラーを含んでおり、機能的には未熟である(中図)。その後の発達段階において、不要回路の切断・除去を含むネットワークの再編が起きることにより、機能的な情報処理回路へと成熟する(右図)。
①研究の背景・先行研究における問題点
私たちの脳では、軸索と樹状突起という機能・構造的に異なる2種類の神経突起を介して、1,000億個ものニューロン(注1)がネットワークを形成しています。ヒト脳神経回路の大まかなネットワークは胎児期に形成されますが、この発生初期の幼弱な回路は、いわゆる「混線状態」にあり、その後の発達段階において、不要回路の切断・除去を含むネットワークの再編が起こることにより、機能的な情報処理回路へと成熟することができます(図1)。この不要回路の除去過程では、不要な突起のみが選択的に変性・除去される一方で、必要な回路は維持されることが重要ですが、ニューロンが自らの突起群の中から「要」「不要」を選択する機構は長らく謎のままでした。その理由として、従来のネコやマウスなど哺乳動物を個体モデルとする研究では、不要回路の除去過程をリアルタイム追跡することが技術的に不可能であり、また分子生物学的手法により分子基盤を同定することも困難であったことが挙げられます。
②研究内容(具体的な手法など詳細)
これまでに榎本教授の研究チームは、脳神経回路構造が比較的シンプルであるショウジョウバエを解析モデルとして採用し、生体内において神経回路の微細構造変動を長期間にわたり観察できる高感度イメージング・システムを構築してきました。さらに、ショウジョウバエの変態期において「不要な神経回路の選択的除去」を含む脳神経回路のネットワーク再編が起きることを見出してきました。今回この点について、独自の生体イメージング手法と分子遺伝学的手法を組み合わせることにより、局所性カルシウムシグナルが、不要な神経回路の選択的除去を担うことを明らかにしました(図2)。
研究チームは、カルシウム感受性蛋白質GCaMP3(注2)をショウジョウバエのニューロンに発現させて、細胞内カルシウム動態を1神経突起レベルの高感度で観察しました。その結果、神経回路の再編がおきる時期特異的に、神経突起の局所において低頻度カルシウム振動(約1分間に1回程度)が発生していることを発見しました(図3)。さらに10時間に渡るリアルタイム連続観察から、カルシウム振動(注3)を発生した突起は、必ず3時間後に変性し、ニューロンから除去されることがわかりました。これに対して、カルシウム振動が起きない突起は、変性することなく、そのまま維持されました。
この低頻度カルシウム振動は、突起上の電位依存性カルシウムチャネル(VGCCs)を介して発生しており、VGCCs遺伝子をノックアウトすると低頻度カルシウム振動は消失し、同時に不要突起の除去も起らなくなりました。したがって、神経突起局所において発生する低頻度カルシウム振動は、数時間後に除去される運命にある突起を時間・空間的に規定することが明らかになりました。さらに、カルシウムシグナルの下流で働く因子群の網羅的検索を行い、カルシウム異存的蛋白質切断酵素であるカルパイン(注4)を同定しました。
③社会的意義・今後の予定など
最近の研究から、脳神経回路の機能成熟過程の異常は自閉症や統合失調症などの一因となる可能性が示されており、本研究成果は、将来的に発症メカニズムの解明や、診断法や治療法の開発に貢献することが期待されます。また、カルパインはこれまでに多くの精神疾患との関わりが指摘されてきましたが、ほ乳類では15種以上のカルパインが存在し基質特異性が重複するため個体レベルの解析が難しく、脳神経系における生理的機能および病理的機能の解明は十分為されていない状況です。ショウジョウバエにはカルパイン遺伝子が2つしか存在せず、遺伝学的解析が容易であるため、今後、カルパインの時空間制御機構や生理的基質、および関連機能因子群を網羅的に明らかにすることにより、将来的に精神疾患の予防や治療につながる成果が期待できます。
本研究は、日本学術振興会新学術領域研究、JST-CRESTの支援を受けるとともに、脳科学研究戦略推進プログラム研究の一環として実施されました。
発表雑誌
- 雑誌名
- 「Science」(オンライン版の場合:米国東海岸時間5月30日(木))
- 論文タイトル
- "Compartmentalized calcium transients trigger dendrite pruning in Drosophila sensory neurons."
- 著者
- Takahiro Kanamori, Makoto I. Kanai, Yusuke Dairyo, Kei-ichiro Yasunaga, Rei K. Morikawa, and Kazuo Emoto

図2:局所性カルシウムシグナルを介した不要突起の選択的除去メカニズム
既存回路から不要突起を除去する際には、将来的に除去される突起上に存在するカルシウムチャネルの自発的活性化が起り、その結果、細胞外から突起内へとカルシウムが流入し、局所的なカルシウム濃度の上昇が起きる(中図)。そのカルシウム濃度上昇を感知したカルパイン等のタンパク質分解酵素が活性化し、最終的に突起が分解される(右図)。

図3:神経突起局所に発生する低頻度カルシウム振動
ニューロン(左図)にカルシウム感受性蛋白質GCaMP3を発現させて、細胞内カルシウム動態を計測した。神経回路の再編がおきる時期特異的に、局所性カルシウム振動(中図と右図でカラーになっている部分。疑似カラーはカルシウム濃度の変化率を表現している)が観察された。図中のニューロンでは、異なる2つの神経突起(t1とt2)においてカルシウム振動が発生している。下図は、2つの神経突起(t1とt2)のカルシウム振動について、縦軸に変化率、横軸に時間をとってグラフにした。ともに1分間に約1回程度の頻度であるが、t1とt2では振動パターン異なることがわかる。これらの突起は約3時間後にニューロンから除去される。一方、カルシウム振動が発生していない突起は、そのまま維持される。
用語解説
- 注1 ニューロン
- 脳神経回路を構成する主たる細胞群をニューロンと総称します。ヒト脳内には約1000億個のニューロンが存在し、それぞれが神経突起を介してネットワークを形成しており、これが脳機能の構造基盤となります。1つのニューロンは、平均すると約1000個の神経突起(入力突起)をもっていて、それらを介して他のニューロンと接続していると言われています。↑
- 注2 カルシウム感受性蛋白質GCaMP3
- オワンクラゲ発光蛋白質GFPに、カルシウム結合蛋白質カルモジュリンのカルシウム結合ペプチドを付加した人工蛋白質です。通常ニューロンの細胞内カルシウムは非常に低く100 nM程度ですが、ニューロンが活性化すると一過的に上昇します。GCaMP3は、カルシウム濃度の上昇に応じて蛍光輝度が上昇するため、細胞内カルシウム動態を観察する道具、もしくは、ニューロンの活性化状態を判断する道具として用いられます。↑
- 注3 カルシウム振動
- 細胞内カルシウム濃度が、一定の頻度で上下を繰り返すことです。脳神経系では、ニューロンが生み出すカルシウム振動の頻度やパターンが、様々な情報をコードすることがわかってきています。↑
- 注4 カルパイン
- 進化上高度に保存されている蛋白質切断酵素です。ほ乳類では15種以上のカルパインが存在し、様々な組織に分布します。またカルパインは、筋ジストロフィーなど様々な病変に関与することが報告されています。↑