2013/5/15

テラヘルツ波を用いてグラフェンの光学量子ホール効果の観測に世界で初めて成功

— グラフェンの光エレクトロニクス材料としての新たな応用の可能性を開く —

発表者

  • 島野 亮(東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 准教授)
  • 青木 秀夫(東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 教授)
  • 日比野 浩樹(NTT物性科学基礎研究所 グループリーダ)
  • 森本 高裕(理化学研究所 基礎科学特別研究員)

発表のポイント

  • どのような成果を出したのか
    グラフェン(炭素原子が蜂の巣格子状に結合した物質)で、光に応答して量子ホール効果が現れることをテラヘルツ波の偏光(波の振動の方向)を用いて観測することに成功
  • 新規性(何が新しいのか)
    グラフェン中の電子が磁場の中で示す量子力学効果である量子ホール効果が、電流・電圧特性ではなく、テラヘルツ波という光領域の応答にも現れることを初めて実証
  • 社会的意義/将来の展望
    テラヘルツ波の偏光を制御する方法に新しい道筋。グラフェンの光エレクトロニクス材料としての新たな応用の可能性を開く

発表概要

グラフェンは炭素原子が蜂の巣格子状に結合した原子一層からなる物質である。グラフェン中の電子は、奇妙にも質量がゼロであるかのように振る舞う(ディラック電子)(2010年のノーベル物理学賞の対象)。またその速度が光速の約1/300と非常に速い。これらの性質のため、グラフェンは高速トランジスタなど次世代の電子デバイス材料の有力候補として期待されている。

今回、東京大学大学院理学系研究科の島野亮准教授、青木秀夫教授、NTT物性科学基礎研究所の日比野浩樹グループリーダ、理化学研究所の森本高裕基礎科学特別研究員らのグループは、グラフェンがテラヘルツ波(注1)という光に近い高周波数の電磁波に対しても明瞭に量子ホール効果(注2)を示すことを、ファラデー効果という光学現象を利用して観測することに世界で初めて成功した。

ファラデー効果とは磁場中にある物質を透過した光の振動方向(偏光)が回転する現象であり、光アイソレータ(注3)などに利用されている。通常、回転の角度は磁場の強さと物質の厚さに比例して増加する。反射波の回転の場合をカー効果と呼ぶ。炭素原子一層のグラフェンでもファラデー効果、カー効果が観測されたが、磁場を増加させていくと、回転角は物理学の基本定数である微細構造定数を単位として跳び跳びの値をとることがわかった。この現象は、直流の電気伝導で知られる量子ホール効果の光版(光学量子ホール効果)と言えるものである。

本研究は、テラヘルツ波の偏光を超高精度で制御する素子など、新しい光エレクトロニクス材料としてのグラフェンの応用に道を拓くことが期待される。

発表内容

図1

図1:グラフェンの量子ホール効果によって生じるファラデー効果の概念図。わずか一層の炭素原子によって光の振動方向(偏光面)が回転する。今回は、グラフェンは基板(ここではシリコンカーバイドを用いている)の上に成長したものを用いた。

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図2

図2:周波数1テラヘルツの光に対するファラデー回転角の磁場依存性。図中の矢印の位置で、回転角は磁場に依らず一定の値をとっている。これが光学量子ホール効果であり、そのときの回転角の大きさは、物理学の基本定数である微細構造定数と、基板(SiC)の屈折率で決まる比例係数に、整数(2,6,10,…)を乗じたもので決まる。実線は、厳密対角化と呼ばれる理論手法で計算した結果。

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グラフェンが示す興味深い物理現象の一つに量子ホール効果がある。グラフェンでは、量子ホール効果がディラック電子の性質を反映して特異な整数値をとり、低い磁場や室温でも観測される。近年、グラフェンでこの量子ホール効果が光の領域でもファラデー効果として生じる(光学量子ホール効果(注4))ことが森本らによって理論的に予測され(T. Morimoto, Y. Hatsugai, and H. Aoki, Physical Review Letters, 103, 116803 (2009))ていたが、その実証には光学量子ホール効果の検証に必要なファラデー効果を高精度に評価する技術と高品質なグラフェンを作製する技術の連携が必要となり、これまで実験を行うことが極めて困難であった。

グラフェンに対して基礎研究から応用開発まで世界中で激しい競争が繰り広げられている中、東大の持つファラデー(カー)回転角の高精度測定技術、NTTの持つ高均一なグラフェン成長技術、理研と東大が持つ光学伝導度の理論計算という、それぞれの強みを生かした協働体制を取ることにより、テラヘルツ波を用いて高品質のグラフェンにおける量子ホール効果に対応する量子ファラデー効果、量子カー効果(光学量子ホール効果)を高精度で測定することに世界で初めて成功した。図1に実験の模式図を示すが、波長300μmのテラヘルツ波の偏光が、僅か炭素原子一層を透過、あるいは反射しただけで偏光が回転することが観測されたが、磁場を増加させると、図2に示すように回転角は物理学の基本定数である微細構造定数を単位として階段状に跳び跳びの値をとることが初めて示された(図2で2, 6と示された箇所。2, 6という値自体グラフェンに特有な値であり、ディラック電子の存在を裏付ける)。さらに、厳密対角化と呼ばれる理論手法により、実験と計算結果と比較したところ、階段構造の振る舞いなどが非常によく一致することが明らかになり、観測された現象が、直流の電気伝導で観測される量子ホール効果の光版であり、理論的に予測された光学量子ホール効果と呼ぶべきものであるとの明確な結論を得た。

ホール効果が階段状になる理由には、不純物などをもつ2次元電子系に強い磁場をかけると、電子が動けなくなってしまう電子局在という現象が関わっているが、この電子局在の効果はこれまで主に直流の電気伝導で調べられており、それがテラヘルツ波のような高周波で現れるかどうかは全く分かっていなかった。近年、半導体の界面の二次元電子系においては、光学量子ホール効果が生じることが、島野准教授らのグループにより見出されていたが(Y. Ikebe, et al., Physical Review Letters 104, 256802, (2010))、グラフェンでは今回初めて観測された。

技術のポイント

(1) ファラデー(カー)回転角の高精度測定(東大)

東京大学大学院理学系研究科の島野亮准教授らのグループは、テラヘルツ波を用いた物質科学の最先端研究を進めており、テラヘルツ波の偏光を世界最高感度で測る方法を開発していた。本手法をグラフェンにも用いることで、グラフェンのファラデー回転(カー回転)に光学量子ホール効果に対応する階段構造を初めて観測することが出来た。

(2) 高均一なグラフェン成長技術(NTT)

NTT物性科学基礎研究所では、グラフェンを電子・光の素子材料として基礎物理からデバイスまで総合的に研究しており、層数均一性が高く、伝導特性が良い1層グラフェンを生成する技術を有している。今回実験に用いたグラフェンは、SiC(炭化ケイ素)をAr(アルゴン)中で加熱して作製したもので、テラヘルツ波のビーム径(1mm)よりずっと広い領域で高品質かつ均一である。

(3) 光学伝導度の理論計算(理研、東大)

理化学研究所の森本高裕基礎科学特別研究員、東京大学大学院理学系研究科の青木秀夫教授は、厳密対角化と呼ばれる計算精度の高い手法を用いて、グラフェンの光学ホール伝導度を計算し、計算結果と実験結果がよく一致することを明らかにした。

今後の展望

本研究は、グラフェンがテラヘルツ波の偏光を超高精度で制御する素子に利用できる可能性を示している。回転角はテラヘルツ波の周波数にほとんど依存せず、物理定数の値で決まるため、テラヘルツ波の周波数に依存せずに偏光を制御することが可能である。また、ディラック電子であるために、光学量子ホール効果の発現に必要な磁場も半導体二次元電子系より低くて済む。本研究は、グラフェンが超高速通信やセンシングなどの様々な分野で応用が期待されているテラヘルツ波を操作する材料として有望であることを示しており、新しい光エレクトロニクス材料としてのグラフェンの応用に道を拓くと思われる。

本研究は、科学研究費補助金(日本学術振興会)、基盤研究(B)(課題番号23340112)「幾何学的位相による物質相:量子液体及びグラフェンでの応用と展開」の支援を受けて行われた。

発表雑誌

雑誌名
「Nature communications」
論文タイトル
Quantum Faraday and Kerr rotations in graphene
著者
R. Shimano, G. Yumoto, J. Y. Yoo, R. Matsunaga, S. Tanabe, H. Hibino, T. Morimoto, and H. Aoki
DOI番号
10.1038/ncomms2866

用語解説

注1 テラヘルツ波
周波数が光波と電波の中間のテラヘルツ帯に位置する電磁波。周波数1テラヘルツは、周期にすると1ピコ秒(= 1 ps = 10-12秒 = 1兆分の1秒)、光子のエネルギーにすると約4ミリエレクトロンボルト(meV)に相当する。 光源や検出器の制約から未踏領域の電磁波とされてきたが、近年、レーザー技術の進歩とともに、発生や検出、分光技術が大きく進展した。紙やプラスティック、繊維は透過し、金属は反射する。生体分子もテラヘルツ帯に特徴的な吸収を持つ。この性質から、テラヘルツ波を用いたセンシングやイメージングへの応用研究が盛んに進められている。種々の物質で特徴的な励起モードが存在することから物質科学の研究にとっても重要な周波数領域である。情報通信速度もテラヘルツ周波数帯に迫りつつあり、この周波数の電子応答の研究が重要になってきている。
注2 量子ホール効果
ホール効果とは、試料に磁場をかけ、磁場の向きと垂直に電流を流したときに、電流と磁場の双方に直交した方向に電圧(ホール電圧)が発生する現象である。ホール電圧と電流の比例係数をホール抵抗と呼ぶ。ホール抵抗は古典電磁気学では磁場に比例するが、強磁場下の2次元電子系ではこのホール抵抗が磁場の関数としてみたときに、(物質に因らず!) 基本定数 ~25.8 kΩ( はプランク定数、 は電気素量)の整数分の1倍という跳び跳びの値になる。この現象を整数量子ホール効果と呼ぶ。1980年にフォン・クリッツィングらにより半導体のMOSと呼ばれる構造で発見され、1986年にノーベル物理学賞の対象となった。今日では量子ホール効果は電気抵抗(Ω)の標準にもなっている。
注3 光アイソレータ
光を一方向には透過させ、逆方向には通さない光学素子。
注4 光学量子ホール効果
ホール効果では、z方向に磁場、x方向に電場をかけた時、y方向にホール電流が誘起される。ファラデー効果の場合はz方向に磁場がかかった状態でx方向に偏光した光を入射するとy方向に偏光した光が誘起されるため、入射光の偏光面が回転する。ファラデー効果の起源が、磁場中の伝導電子の運動による場合は、これはホール効果の光版、光学ホール効果とみなせる。量子ホール効果の場合は、対応させて光学量子ホール効果と呼ぶ。