ミュー粒子の崩壊から素粒子標準理論の破れを探索
発表者
- 森 俊則(東京大学素粒子物理国際研究センター 教授)
- 大谷 航(東京大学素粒子物理国際研究センター 准教授)
発表のポイント
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どのような成果を出したのか
素粒子の標準理論では起こり得ないミュー粒子の崩壊モードを世界最高の感度で探索して、これまでにない精度で大統一理論の検証を行った。 -
何が新しいのか
スイスPSI研究所の世界最高強度のミュー粒子ビームと、この実験のために開発した優れた素粒子測定器を用いて、以前の実験より格段に高い実験感度を達成した。 -
社会的意義/将来の展望
昨年のヒッグス粒子と考えられる新粒子の発見により標準理論の破れの探索に高い期待が集まっているが、その最先端を行く研究成果である。今後数年でさらに十倍以上の感度で探索を行う予定である。
発表概要
東京大学を中心とする国際研究グループ(MEG実験)は、世界最高強度のミュー粒子(注1)ビームとこの実験のために開発した優れた素粒子測定器を用いて、標準理論(注2)を超える大統一理論(注3)などの新しい物理が予言する未知のミュー粒子崩壊モードを世界最高感度で探索することに成功した。
達成した実験感度はMEG実験以前の実験のおよそ20倍(MEG実験では、前回2011年9月の発表(注4)時からは約4倍)であったが、この感度をもってしても未知の崩壊モードの発見には至らなかった。この結果により超対称大統一理論などの新理論に対してこれまでにない厳しい制限を加えることになった。LHC(注5)での実験結果と合わせて、今まで標準的と考えられていた理論シナリオが崩れつつあり、更なる高精度での探索が強く期待されている。
MEG実験は現在継続中であり、今夏までにデータ量を倍増させる予定である。また、測定器を改良して一段と探索感度を向上させるアップグレード実験計画がこの1月にスイスPSI研究所によって承認されており、2016年から更に一桁感度を上げて探索を進めて行く予定である。
発表内容

図2:(上左)MEG実験のビームラインと実験装置の全容。(上右)組み立て中の液体キセノン測定器。ガンマ線の入射により液体キセノン中で発生するシンチレーション光を検出するための多数の光電子増倍管が見える。(下)陽電子スペクトロメータ内部。中央に吊るされている楕円形のものがミュー粒子を静止させるターゲット。その下に扇状に並んでいるのが陽電子の軌跡を精度よく測るドリフトチェンバー。
研究の背景
これまで標準理論を超える新しい素粒子理論として大統一理論の研究が活発に行われてきた。たとえば小柴昌俊特別栄誉教授が1980年代にカミオカンデ実験を始めたのは陽子の崩壊を探索して大統一理論を検証するためであった。大統一理論は宇宙開闢(かいびゃく)期にインフレーション(注6)などを通して宇宙の誕生に決定的な役割を果たしたと考えられている。その後東京大学が1990年代にCERN(注7)(欧州原子核研究機構)で行った国際共同実験の結果から、超対称性(注8)を入れた新しい大統一理論の可能性が高まり、標準理論を超える新物理の最有力候補と考えられている。
LHC(注5)で昨年発見された新粒子がヒッグス粒子だとすると、比較的軽いことからヒッグス粒子は複合粒子ではなく電子のような基本的な粒子と考えられ、超対称大統一理論を支持する証拠の一つと考えられる。LHCの実験では、ヒッグス粒子に加えて、超対称粒子の探索が重要な研究テーマの一つとなっている。
新しい大統一理論を検証するにはスーパーカミオカンデ実験でも十分ではなく、電子の仲間であるミュー粒子やタウ粒子(注1)を使った実験が有効であることが、 1990年代後半に明らかになった。一方、スーパーカミオカンデ実験などで発見されたニュートリノ振動現象(注9)をより深く理解するためにも、ミュー粒子やタウ粒子の研究が重要であることが分かっている。ゲルマン・柳田らによるシーソー機構を通した宇宙における粒子・反粒子の非対称性の理解にもつながる可能性がある。現在高エネルギー加速器研究機構(KEK)で建設中のSuperKEKB加速器(注10)においては、タウ粒子の研究がより多くの注目を集めている。
この研究が新しく明らかにしようとした点
超対称大統一理論によると、ミュー粒子は通常の崩壊方法に加えて、電子とガンマ線に壊れる、いわゆるμ→eγ(ミューイーガンマ)崩壊をすることが予言されている(図1)。この崩壊は標準理論では厳しく禁止されており、この研究では、μ→eγ崩壊を超対称大統一理論が予想する10-12~10-13の崩壊確率(1兆~10兆に一つのミュー粒子がμ→eγ崩壊する)まで探索し、超対称大統一理論の証拠を掴もうとするものである。特に、ミュー粒子の異常磁気能率は標準理論の予想から大きくずれており、これが超対称性の証拠であるとすると、およそ10-12の崩壊確率で発見されるはずである。本研究では2011年9月に最初の結果を発表したが、その後さらにデータを増やし、感度を大きく上げて得られた最新結果を今回発表する。
この研究のために新しく開発した測定技術など
1兆に一つしか起らない現象を捉えるのは既存の素粒子測定器では不可能で、東京大学とKEK、早稲田大学との共同研究により、ガンマ線をこれまでにない精度で測定できる世界最大の液体キセノン測定器と、素早く大量の崩壊粒子をさばくための特殊な超伝導スペクトロメータを考案、開発した。また、この研究のために必要な毎秒3千万個以上のミュー粒子を生成できる加速器はスイス・ポールシェラ—研究所(注11)(PSI)にしかないが、日本の研究グループの実験提案がPSIに認められて、スイス・イタリア・ロシア・米国の研究グループが加わって、国際共同実験MEG(図2)として研究を進めてきた。
この研究で得られた結果および波及効果
2009~2011年に取得したデータを用いてμ→eγ崩壊を世界最高感度(およそ2兆に一つの崩壊を探索可能)で探索することに成功した(図3)。この探索感度をもってしてもμ→eγ崩壊発見には至らず、この結果により超対称大統一理論などの新理論の可能性に関してこれまでにない厳しい制限を加えることになった(図4)。
LHCの実験でも超対称粒子はまだ見つかってないが、そこでは主に強い相互作用をするクォークやグルーオンの超対称粒子を探索しているのに対して、μ→eγ崩壊は電子やニュートリノの超対称粒子に高い感度を持っており、互いに相補的な研究となっている。また今回の結果は、ミュー粒子の異常磁気能率のずれが超対称性の証拠であるとすると標準的な理論シナリオでは説明できないことを示しており、新しい理論的な枠組みが必要とされる事態になっている(図5)。
今後の予定
MEG実験は現在も実験を継続中であり、今夏までにデータ量を倍増し、実験感度を更に上げて、μ→eγ崩壊の発見を目指していく。また、測定器を改良して一段と探索感度を向上させるアップグレード実験計画がこの1月にスイスPSI研究所によって承認されており、2016年から更に一桁感度を上げて探索を進めて行く予定である。
本研究は、科学研究費補助金(日本学術振興会)特別推進研究「MEG実験 - レプトンフレーバーの破れから大統一理論へ」(研究代表者:森俊則、課題番号22000004)の他、スイス国立ポールシェラー研究所(PSI)、イタリア国立核物理学研究所(INFN)、米国エネルギー省(DOE DEFG02-91ER40679)の援助を受けて行われた。
発表雑誌
- 雑誌名
- Physical Review Letters(掲載予定)
オンライン版は3月4日にe-print server http://arxiv.org/abs/1303.0754 に掲載 - 論文タイトル
- 「New constraint on the existence of the μ+→e+γ decay」
- 著者
- J. Adam他 MEG Collaboration

図5:ミュー粒子の異常磁気能率のずれから予想される崩壊確率ではμ→eγ崩壊が起ってないことが今回の結果から分かった。(標準的な理論シナリオの場合)G.Isidori, et al., Phys.Rev.D75(2007)115019より引用した理論予想図にMEG実験による制限を追記。
用語解説
- 注1 ミュー粒子、タウ粒子
- ミュオン、タウ。電子とほぼ同じ性質を持つ「重い電子」。ミュー粒子は電子より約200倍重く、タウ粒子は更に約17倍重い。(表1)↑
- 注2 素粒子の標準理論
- 現在知られているほぼすべての素粒子現象を説明できる理論。昨年LHCで発見された新粒子は、この理論が予言するヒッグス粒子であると考えられている。宇宙の暗黒物質の存在や、重力などをうまく取り扱うことができないため、より究極の理論の低エネルギー近似であると考えられている。↑
- 注3 大統一理論
- 素粒子に働く3種類の力(電磁気力、強い力、弱い力)が、宇宙初期の超高温状態では同じであったとする理論。大統一が破れた際に宇宙が急激に膨張する「インフレーション」が起こったとも考えられている。元々の大統一理論はカミオカンデ実験などにより否定されたが、東京大学も参加したLEP実験(LHCの前身の加速器)での精密測定によって、超対称性を入れた新しい大統一理論の可能性が現在注目されている。↑
- 注4 2011年9月の発表
- 2011年9月27日 ミュー粒子の崩壊から素粒子の大統一理論を探る
— 標準理論では起こりえない未知の現象を世界最高感度で探索 — ↑ - 注5 LHC(Large Hadron Collider)
- CERN(注6)にある世界最高エネルギーの陽子・陽子衝突型加速器。標準理論で唯一未発見であったヒッグス粒子と思われる新粒子を昨年発見して全世界の注目を集めている。他にも超対称理論などの新しい物理理論で予言される新粒子、新現象の探索を目的としており、東京大学・KEKを始めとする日本の研究グループも参加している。↑
- 注6 インフレーション理論
- 宇宙がその誕生直後に加速度的に急膨張(インフレーション膨張)したとする説が有力視されている。このインフレーションの導入により宇宙の誕生を記述する通常のビッグバン宇宙論が抱えるいくつかの大きな問題点が解消されることになる。↑
- 注7 CERN(欧州原子核研究機構)
- スイス・ジュネーブ郊外にある世界最大の素粒子物理研究所。世界最高エネルギーの陽子・陽子加速器LHCが稼働して実験中である。ウェブ発祥の地としても有名。↑
- 注8 超対称性
- 素粒子のボーズ粒子とフェルミ粒子の間にあると考えられている対称性。この対称性が成り立っていると、既存の全てのボーズ粒子、フェルミ粒子それぞれに対してスピンが1/2だけ異なる超対称パートナー粒子が存在すると考えられる。↑
- 注9 ニュートリノ振動
- ニュートリノが3つあるニュートリノの種類(世代)の間を移り変わる現象。ニュートリノが微少な質量を持つことにより可能となる。この現象はスーパーカミオカンデ実験などにより実験的に確認されている。↑
- 注10 SuperKEKB加速器
- 高エネルギー加速器研究機構(KEK)に建設中の電子・陽電子衝突型加速器。前身のKEKB加速器では、その崩壊過程を調べる実験においてCP対称性の破れが精密に検証され、2008年の小林誠、益川敏英両氏のノーベル物理学賞受賞につながった。↑
- 注11 ポールシェラー研究所(PSI)
- 自然科学および工学におけるスイス最大の研究センターであり、物質構造、エネルギー、環境と健康の3分野において研究活動を推進している。チューリッヒ郊外にある。↑