メダカの脳の神経回路を丸ごと解析
発表者
- 岡 良隆(東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 教授)
- 苅郷 友美(東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 博士課程2年)ほか
発表のポイント
- 動物の生殖周期を制御する脳とホルモンの周期的活動を発見
- 蛍光タンパク質で脳のペプチドニューロンを標識したメダカを用いて、生きているときとほとんど同じ状態でニューロン活動を記録し、ホルモン分泌との時間的関係を初めて明らかにした
- 脊椎動物における生殖の制御メカニズムを探索する実験手法として今後有効活用されることが期待される
発表概要
東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻の岡教授らは、遺伝子改変メダカの脳を解析する手法を開発し、動物の生殖周期を制御する脳内神経活動とホルモン分泌における周期性の発見に成功した。
研究グループは、雌の動物が示す生殖周期が、脳によるホルモン分泌の周期的調節によって生じるしくみを、GnRH1とよばれるペプチドニューロン(注1)を蛍光タンパク質GFP(注2)で標識した遺伝子改変メダカ脳の神経活動とホルモン合成活動を解析するという手法を開発した。蛍光タンパク質標識したメダカを用いて生きているときとほとんど同じ状態で、生殖調節に直接関与するニューロンからの活動を記録し、ホルモン分泌との時間的関係を明らかにしたのは世界で初めてである。雌が示す動物に固有の生殖周期を制御する脳とホルモンのしくみは、1970年代にGnRHペプチドが発見されて以来多くの研究者の関心を引いてきたが、それを神経回路から細胞までのレベルで詳細に解析するための動物実験モデルは存在しなかった。今回のような遺伝子改変メダカを用いると、動物の示す生理的な条件下で起きる1日の生殖周期を通じて脳と脳下垂体の活動が調節される機構をつぶさに見ることができ、今後、生殖の制御メカニズムを探索する有用な実験手法として活用されることが期待される。
発表内容

図1:生殖を調節している脳、脳下垂体、生殖腺(卵巣/精巣)の関係を示す図。生殖腺から分泌される性ステロイドホルモンは、2次性徴の発現にはたらくのみならず、脳や脳下垂体にもはたらきかけてフィードバック調節を行っている。

図2:メダカ脳を腹側から見た模式図と、蛍光顕微鏡下で見たGFP標識されたGnRH1ニューロンの写真(左上)。GnRH1ニューロンの自発発火活動(下向きの信号が活動電位)を13時と16時で比較したもの(右)。LHβの遺伝子転写産物の相対発現量の時間経過を示すグラフ(左下)。
自然界の多くの動物は、それぞれの生育環境に適した季節に繁殖を行う。日長や気温といった季節を告げる情報は、感覚系で受容されたあと脳内で処理されて、体の中の神経系や内分泌系に変化をもたらして生理状態を調節する。脳内の視床下部に存在する生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)(注3)とよばれるペプチドを産生するニューロンは中枢神経系による生殖制御において重要な役割を担っていると考えられており、統合された外界の情報は何らかの形でGnRHニューロンに入力してそれ以降の神経回路を調節しているとされている。このGnRHニューロンが放出するGnRHペプチドが脳下垂体に作用し、脳下垂体から黄体形成ホルモン(LH)や濾胞刺激ホルモン(FSH)(注4)を放出させて生殖腺の調節を行っている(図1)。多くの雌の動物は、性成熟して生殖可能になった時期には、脳下垂体からホルモンLHが周期的かつ一過的に大量放出され、それが引き金となって動物に固有の周期(注5)で排卵を繰り返す。すなわち、生殖周期中に周期的なホルモン量の変動が起きている。しかし、自然の排卵周期に関連したGnRHニューロンや脳下垂体の周期的活動を実際に直接記録することは長い間不可能であった。
今回私たちは、生殖調節に強く関与している脳内のGnRH1ニューロンに焦点を当て、メダカを用いて研究を行った。メダカの脳は大変小さく透明度が高いため、神経回路を保ったまま丸ごと解析に用いることができる。また、生殖可能な時期のメダカは、条件さえ整えば毎日産卵を繰り返し1日という短い生殖周期を示すため、生殖周期に応じた神経活動変化などの解析が容易である。
メダカの脳内には複数の領域にGnRH1ニューロンが存在しているが、脳下垂体の調節には視索前野(POA)の腹側に存在するGnRH1ニューロンが特に重要であると考え、このニューロン群に着目して実験を行った。一般に、脳は極めて多くのニューロンからできていて、脳をそのまま顕微鏡で見てもどれがGnRH1ニューロンであるか見分けることはできない。そこで今回私たちは脳内のGnRH1ニューロン特異的に緑色蛍光タンパク質(GFP)を発現するような遺伝子改変メダカを作り、GnRH1ニューロンだけを緑色に光らせることで、このニューロンを区別できるようにした(図2左上)。そして顕微鏡下で1つのGnRH1ニューロンに細いガラス管を押し当てて、その細胞からの自発的な神経活動を記録することに初めて成功した。メダカのGnRH1ニューロンは一見不規則に見える発火パターンを示したが、一日の様々な時間帯でメダカから脳を取り出して神経活動を調べると、時間帯に応じて発火頻度が異なることが明らかになった(図2右)。GnRH1ニューロンの発火活動は午前中に低く保たれており、夕方から夜にかけて発火頻度が上昇するという日内変動を示すことがわかった。次にGnRH1ニューロンにより制御される脳下垂体の生殖腺刺激ホルモン(LH・FSH)の遺伝子発現を調べたところ、こちらも発現量に日内変動を示すことが明らかになった(図2左下)。ところがGnRH1ニューロン発火頻度のピークとの遺伝子発現のピークを示す時間帯は異なっていた。そこでメダカから脳下垂体を丸ごと取り出して、GnRHペプチドを含む溶液中で培養を行ったところ、GnRH添加後約8時間経つとLHの遺伝子発現量が増加するという結果が得られた。
これらの結果より、図3で示すような過程が想定された。メダカでは何らかの神経入力を受けてGnRH1ニューロンの発火活動が一日の夕方の時間帯に高まり、これによりGnRH1ニューロンからGnRHペプチドが放出されて脳下垂体に作用する。GnRHは脳下垂体に作用して数秒でLH放出を引き起こすことがわかっている(投稿準備中)。一方で、GnRHは数時間後にLHの遺伝子発現を高め、脳下垂体細胞にLHを作らせる。こうした過程によりGnRHペプチドは、GnRH1ニューロンの発火頻度が高まる夕方の時間帯に大量に放出されて脳下垂体に作用し、素早くLHを大量放出させることにより排卵を引き起こす。同時に、GnRHは数時間後にLHの遺伝子発現を上昇させるように作用して翌日の大量放出のためのストックとなるLHを合成する、という双方向の作用をもたらすことが予想される。
これまでのGnRH1ニューロンを中心とした生殖調節機構の解析は、多くがげっ歯類を用いて行われてきた。マウスの脳は小型とはいえ、脳の中のニューロンの解析をするためには生きた脳をスライスして実験標本を作る必要がある。これにより脳内のニューロン同士のつながりは断ち切られてしまう。一方、前述のようにメダカの脳は大変小さく透明度が高いため、神経回路を保ったまま丸ごと解析に用いることができる。また、げっ歯類は4~5日の生殖周期を示すため、ホルモン処理により人工的に生殖周期を短くしたモデルを用いた解析を強いられてきた。メダカを用いると、動物の示す生理的な条件下で起きる1日の生殖周期を通じて脳と脳下垂体の活動が調節される機構をつぶさに見ることができることがわかり、今後、生殖の制御メカニズムを探索する有用な実験系として有効活用されることが期待できる。
発表雑誌
- 雑誌名
- Endocrinology, July 2012, 153:ページ未定
- ( オンライン版は4月27日(金)に発表されました。)
- 論文タイトル
- Time-of-Day-Dependent Changes in GnRH1 Neuronal Activities and Gonadotropin mRNA Expression in a Daily Spawning Fish, Medaka
- 著者
- Tomomi Karigo, Shinji Kanda, Akiko Takahashi, Hideki Abe, Kataaki Okubo, and Yoshitaka Oka
- DOI番号
- 10.1210/en.2011-2022
- アブストラクトURL
- http://endo.endojournals.org/cgi/content/abstract/en.2011-2022v1
用語解説
- 注1 ペプチドニューロン
- ペプチドは、複数のアミノ酸よりなる分子で、ホルモンや脳内生理活性物質としてはたらく。ペプチドニューロンは、それらを作り分泌するニューロンのこと。↑
- 注2 GFP
- 下村脩博士のノーベル賞受賞で有名になった、オワンクラゲがもつ蛍光タンパク質 green fluorescent protein の頭文字を取った略称。この遺伝子を宿主の特定の遺伝子のプロモーターの下流に組み込み、宿主に導入・発現させることにより、特定の遺伝子を発現する細胞だけにGFPを作らせ、蛍光標識することができる。↑
- 注3 GnRH
- 生殖腺刺激ホルモン放出ホルモンgonadotropin-releasing hormoneの頭文字を取った略称。進化の過程で遺伝子重複により生じた gnrh1~3 の3種 の遺伝子が存在するが、gnrh1 がコードする GnRH1が視床下部のホルモンとしてはたらく。↑
- 注4 黄体形成ホルモン(LH)、濾胞刺激ホルモン(FSH)
- これら両者を併せて生殖腺刺激ホルモンとよぶ。これらは脳下垂体から分泌され、全身の血液循環を介して生殖腺の発達や排卵などを引き起こす。↑
- 注5
- 生殖周期の長さは動物の種類によって異なり、例えば私たちヒトでは約28日、実験動物としてよく用いられるマウスやラットでは4日ないし5日である。↑