ボルボックスの2新種、DNA配列データに基づき世界で初めて発見
発表者
- 野崎 久義(東京大学 大学院理学系研究科 生物科学専攻 准教授)
- 井坂 奈々子(東京大学 大学院理学系研究科 生物科学専攻 修士課程修了)
- 豊岡 博子(東京大学 大学院理学系研究科 生物科学専攻 日本学術振興会特別研究員)
発表のポイント
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どのような成果を出したのか
日本各地から得たボルボックスの培養株を用いて有性生殖を誘導する方法論を確立。DNA配列による系統関係を基に種を分類したところ、日本産のボルボックスは2つの新種であることが明らかになった。 -
新規性
世界で初めてDNA配列データを使用してボルボックス節の新種を発見した。1896年に日本産のボルボックスが報告されて以来、正確な種の同定がなされていなかった日本における本群の種の実体を初めて明らかにした。 -
社会的意義/将来の展望
日本産の種が外国産の種と異なることが判明したことで、日本産ボルボックスの種の正確な認識が普及し、多様性保全にも役立つ。今回確立した種分類の方法論は、今後、世界各地のボルボックスの多様性を明らかにする上でも有用と期待される。
発表概要
ボルボックスは池や水田で回転しながら泳ぐ小さな緑色の球体であり、分類の研究は18世紀のリンネまで遡る。通常無性生殖を行うこの生物は、ある条件が整うと雌雄に分かれて有性生殖を行うという興味深い特徴を持ち、メスとオスの起源や多細胞化などの研究に用いられている。
しかし、種を分類する上で重要な有性生殖を、人為的に誘導することは困難であった。そのため、1944年以来、新種の記載を含めたボルボックスの分類学的研究が滞っていた。
今回、東京大学大学院理学系研究科野崎久義准教授らと慶應義塾大学のグループは、日本各地から得たボルボックスの培養株を用いて、有性生殖を誘導する方法論を確立することに成功した。さらに、DNA配列データに基づいて構築した系統樹により種を分類したところ、それら日本のボルボックスが2つの新種であることを明らかにした。
これは、ボルボックスの培養株を用いて有性生殖を誘導した有性群体(注1)や受精卵(注2)の形態、並びにDNA配列データを使用して「真のボルボックス(注3)」の新種を発見した世界で初めての成果である。これにより、明治の動物学者石川千代松(東京帝国大学教授)が1896年に日本産のボルボックスを報告して以来、正確な種の同定がなされていなかった日本産のボルボックスの種の実体が明らかになった。
本研究によって日本産ボルボックスの種は外国産の種とは異なることが明確になり、今後、図鑑の出版を通じて日本産ボルボックスの種についての正しい認識が普及すると期待される。また日本産ボルボックスの多様性を保全する上でも重要である。今回確立されたDNA配列データと有性生殖の形質に基づくボルボックスの現代的な種分類の方法論は、今後、世界各地のボルボックスの正確な種の多様性と実体を明らかにする上でも有用であると予想される。
発表内容

図1:日本産の新種ボルボックス・フェリシイ(学名Volvox ferrisii)の無性群体。 (A) 群体全体で、内部に次の世代の娘群体が発達している。(B) 群体の表層の体細胞は2本の鞭毛をもつ。これで群体全体は回転しながら遊泳する。(C) 群体の表層の体細胞が太い細胞質連絡で連結するので 「真のボルボックス」(ボルボックス節)であることがわかる。

図2:日本産の新種ボルボックス・カーキオルム(学名Volvox kirkiorum)。 (A)~(C). 無性群体。(A) 内部に次の世代の5個の娘群体が発達している。(B) 群体の表層の体細胞が太い細胞質連絡で連結するので 「真のボルボックス」(ボルボックス節)であることがわかる。(C) 体細胞を横から見ると卵形である。(D)雌雄同体の有性群体。卵 (e) と精子束(S)を同時にもつ。 (E) 約50個の受精卵をもつ成熟した有性群体。(F)成熟した受精卵。細胞壁は先が尖った真直ぐな刺をもつ。ボルボックス・グロバトル(学名Volvox globator)とは卵形の体細胞 (c) と受精卵の細胞壁の先が尖った刺 (F)をもつ点で異なる。本研究の成果に基づく。

図3:日本産の新種ボルボックス・フェリシイ(学名Volvox ferrisii)の有性生殖。(A)〜(B) 雌雄同体の有性群体。100個以上の卵 (e) と精子束(S)を同時にもつ。(C)成熟した有性群体.(D)成熟した受精卵。細胞壁は先が尖った真直ぐな刺をもつ。ボルボックス・グロバトル(学名Volvox globator)とは100個以上の卵をもつ有性群体 (A) と受精卵の細胞壁の先が尖った刺 (D)をもつ点で異なる。本研究の成果に基づく。

図4:真のボルボックスのDNA 情報による系統関係と雌雄同体の4種の形態上の差異。Volvox capensis はDNA情報が遺伝子データバンクに登録されているが、培養株が死滅しているため形態観察ができない。受精卵の図は Smith (1944) による.他は本研究の成果に基づく。
1. これまでの研究でわかっていた点
ボルボックス(Volvox )は淡水産の群体性緑藻で、最近では多細胞化と性の進化の研究のモデル生物として注目されている。分類学的にはカール・フォン・リンネ(大リンネ)が1758年に属として設立している(文献1)。ボルボックス属の基準種(タイプ種:(注4))はリンネが記載したボルボックス・グロバトル(学名:Volvox globator)であり、これは2本の鞭毛をもつ1000個以上の体細胞が球体の表層に配列し、それらが互いに太い細胞質連絡で連結するという特徴をもつ。こうした太い細胞質連絡をもつボルボックスはボルボックス節または「真のボルボックス」として分類され(文献2)、1896年に石川千代松(東京帝国大学教授、進化論を日本に紹介した)が日本産ボルボックスとしてボルボックス・グロバトルを報告して以来(文献3)、ボルボックス・グロバトルが日本産ボルボックスの種として様々な日本の図鑑に掲載されている(文献4~6)。しかし、1896年当時は世界的にも分類学的研究は進んでおらず、太い細胞質連絡をもつ「真のボルボックス」はボルボックス・グロバトルしか知られていなかった。従って、日本産の"ボルボックスの種の実体"は実際には謎に包まれたままであった。1944年にG. M. Smith は世界のボルボックス属の包括的な分類学的研究を行ない、太い細胞質連絡をもつ「真のボルボックス」にボルボックス・グロバトルを含む8種を認めている(文献2)。しかし、ボルボックスの種の重要な分類基準である、有性生殖時の有性群体や受精卵の形態は培養株では観察が困難であったため、新種の記載を含め、本群における種の分類研究は1944年以来滞ったままであった。
2. この研究が新しく明らかにしようとした点
東京大学大学院理学系研究科 野崎久義准教授らと慶應義塾大学のグループは、現代的な基準に基づいた「真のボルボックス」の種の客観的な分類法を構築し、日本における本群の正確な種同定を目的として研究を開始した。具体的には、培養株で有性生殖を誘導する方法論を確立し、得られた有性群体や受精卵の形態、並びにDNA配列データに基づく系統樹を用いた分類学的研究を実施した。
3. そのために新しく開発した方法、機材等
有性生殖を誘導する条件を検討した結果、培養液中のバクテリアを排除し、有機物(酢酸ナトリウム)を含む培地で25℃で培養することで雌雄同体の有性群体が誘導することを見いだした。この方法を用いて、これまで25年間かけて確立された日本産の培養株数株と、米国産の2株(テキサス大学培養株保存施設UTEX由来)について、雌雄同体の有性群体と受精卵を得ることができた。
4. この研究で得られた結果、知見
培養株から誘導した有性群体と受精卵の形態の観察結果と、DNA配列データを用いて構築した系統樹を照らし合わせた結果、Smith (1944) が設けた種分類基準のうち、「有性群体の卵(受精卵)の数」と「受精卵の細胞壁の刺の形態」が有効であることが分かった。またSmith (1944) は分類の基準にはしていなかった「体細胞の形態」も重要な種分類の基準であると結論された。その結果、米国産の2株については、UTEXで同定していた2種、ボルボックス・グロバトル[平たい体細胞、100個未満の卵、受精卵の細胞壁に先の丸い刺をもつ]とボルボックス・バルベリ(学名Volvox barberi][細長い体細胞、100個以上の卵、受精卵の細胞壁に尖った刺をもつ] であることが再確認できた。一方、日本産の培養株は2つの新種であることが明らかとなり、それぞれをボルボックス・フェリシイ(学名Volvox ferrisii :(注5))[卵形~楕円体の体細胞、100個以上の卵、受精卵の細胞壁に尖った刺をもつ] とボルボルボックス・カーキオルム (学名Volvox kirkiorum:(注6))[卵形~楕円体の体細胞、100個未満の卵、受精卵の細胞壁に尖った刺をもつ]と命名した。これら2新種は体細胞と受精卵の細胞壁の刺の形態、並びに系統樹上の位置で明らかにボルボックス・グロバトルとは異なっていた(図4)。なおボルボックス・フェリシイは関東3県(埼玉、茨城、神奈川)、ボルボックス・カーキオルムは岐阜県から得られている。
5. 研究の波及効果
日本に生育するボルボックスの正確な種名が明らかになり、今後ボルボックス・フェリシイとボルボックス・カーキオルムが藻類や動物等の図鑑を通じて一般に普及してゆくと期待される。また日本産の種は外国産の種と異なるという認識が確立され、日本産の種の多様性を保全する点でも重要である。「真のボルボックス」における現代的な種分類の方法論が確立され、この方法を用いることで世界各地の正確な種組成が明らかになると予想される。
6. 今後の課題
Smith (1944)は「真のボルボックス」の種として雌雄異体の3種を認めているが(文献2)、今回はこれらの種については有性生殖の誘導法が確立できなかったため、種の同定は今後の課題に残された。今後は世界的に見てどの様な種が存在するか明らかにするために、日本と米国以外の産地のボルボックスを用いた同様の分類学的な研究が必要である。
7. 論文の参照情報
- Linnaeus, C. 1758. Systema Naturae per Regna Tria Naturae, Secundum Classes, Ordines, Genera, Species, cum Characteribus, Differentiis, Synonymis, Locis. Ed. 10, Impensis Direct. Laurentii Salvii, Holmiae, Stockholm, Sweden, 824 pp (in Latin).
- Smith, G, M. 1944. A comparative study of the species of Volvox . Trans. Am. Microsc. Soc. 63: 265-310.
- 石川千代松 1896. 日本産ぼるぼつくすニ就テ. Note on the Japanese species of Volvox . 動物学雑誌 8: 25-37.
- 岡田要 [編]. 1965. 新日本動物図鑑(上). 北隆館.
- 廣瀬弘幸・山岸高旺 [編] 1977. 日本淡水藻図鑑. 内田老鶴圃.
- 野崎久義. 2000. Order Volvocida France, 1894 ボルボックス目. 日本淡水動物プランクトン検索図説(水野・高橋編), pp. 474-500. 東海大学出版会.
この研究成果のもととなった研究経費(主管庁、配分機関等)
本研究は、東京大学大学院理学系研究科と慶應義塾大学先端生命科学研究所の共同研究で行われた。また、日本学術振興会・文部科学省の科学研究費補助金(基盤研究A、課題番号20247032、代表者 野崎久義;新学術領域研究「動植物アロ認証」、課題番号22112505、代表者 野崎久義)の支援を受けた。
発表雑誌
- 雑誌名
- 「Journal of Phycology」(アメリカ藻類学会誌)第48巻
- Early Viewとしてオンライン掲載日:2012年5月3日
- 2012年6月号(第2号)として出版予定
- 論文タイトル
- Description of two new monoecious species of Volvox sect. Volvox (Volvocaceae, Chlorophyceae), based on comparative morphology and molecular phylogeny of cultured material
- 著者
- 井坂奈々子(東京大学 大学院理学系研究科 生物科学専攻 修士課程修了)
- 豊岡博子(東京大学 大学院理学系研究科 生物科学専攻 日本学術振興会特別研究員)
- 松崎令(東京大学 大学院理学系研究科 生物科学専攻 博士課程2年)
- 仲田崇志(慶應義塾大学 先端生命科学研究所 助教)
- 野崎久義(東京大学 大学院理学系研究科 生物科学専攻 准教授)
- Nanako Isaka, Hiroko Kawai-Toyooka, Ryo Matsuzaki, Takashi Nakada and Hisayoshi Nozaki
- DOI番号
- 10.1111/j.1529-8817.2012.01142.x
- アブストラクトURL
- http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1529-8817.2012.01142.x/abstract
- Early Viewとして5月3日にオンライン版掲載;6月に正式出版の予定。
用語解説
- 注1 有性群体
- ボルボックスは通常、群体の中にある大きな生殖細胞が分裂して娘群体をつくる無性生殖で増殖する。有性生殖では卵と精子が受精して受精卵を作るが、そのために無性生殖とは異なる特殊な群体(有性群体)が発達してくる。有性群体には雌雄同体の場合と雌雄異体の場合があり、それらは種によって異なる。雌雄同体の有性群体は10~100 個以上の卵と数個の精子束(細長い精子が群体となって発達したもので、受精時にはばらばらになり卵と受精する)を同時にもつ。一方、雌雄異体の有性群体は卵と精子束を別々にもつ。↑
- 注2 受精卵
- 卵と精子が受精したボルボックスの受精卵は細胞壁を分泌し赤褐色の休眠細胞となり、乾燥や低温に耐える。真のボルボックスの仲間の受精卵の細胞壁には特有の刺があり、その形態が種の分類基準となっている。↑
- 注3 真のボルボックス
- 基準種(注4)ボルボックス・グロバトルに代表される、太い細胞質連絡をもつボルボックスの1群で、ボルボックス属の中の4個のサブグループ(属と種の中間の分類階級の「節」)のひとつのボルボックス節に相当し、Smith (1944) は "Euvolvox " と分類している。太い細胞質連絡をもたないボルボックス属の他の約10種とはかたちと系統的位置で大きく異なる。基準種を含むこのグループだけを「ボルボックス属」にすべきという考えもある。 ↑
- 注4 基準種(タイプ種)
- 属を設立する際に、その代表として指定される種のこと。↑
- 注5 Volvox ferrisii
- クラミドモナスの性の分子遺伝学者Patrick J. Ferris 博士(アリゾナ大学)に献名した学名。↑
- 注6 Volvox kirkiorum
- ボルボックスの分子遺伝学者 Marilyn M. Kirk and David L. Kirk 博士夫妻(共にワシントン大学名誉教授)に献名した学名。↑