ニホンミツバチの攻撃行動(熱殺蜂球形成)における脳の活動を解明
発表者
- 宇賀神 篤(東京大学 大学院理学系研究科 生物科学専攻 博士課程1年)
- 木矢 剛智(金沢大学 理工研究域 自然システム学系 特任助教)
- 國枝 武和(東京大学 大学院理学系研究科 生物科学専攻 助教)
- 小野 正人(玉川大学 大学院農学研究科 応用動物昆虫科学研究分野 教授)
- 吉田 忠晴(玉川大学 学術研究所 ミツバチ科学研究センター 教授:当時)
- 久保 健雄(東京大学 大学院理学系研究科 生物科学専攻 教授)
発表概要
ニホンミツバチの働き蜂は、巣内に侵入したオオスズメバチに対して、「集団で取り囲み、発熱して蒸し殺す」という特徴的な攻撃行動(熱殺蜂球形成)を示す。今回我々は神経興奮のマーカー遺伝子を用いて、熱殺蜂球を形成しているニホンミツバチの脳では、高次中枢(キノコ体)の一部の神経細胞が興奮していることを見出した。同様な神経興奮は、働き蜂を単に蜂球内と同じ高温状態に曝すことでも生じた。熱殺蜂球形成時には、脳の高次中枢で高温情報が処理されると考えられる。
発表内容

図1:熱殺蜂球の人為的形成
通常、熱殺蜂球は巣内で形成される。今回我々は、蜂球を形成している働き蜂を継続的に採集するため、針金の先に囮のオオスズメバチを取り付け、巣内に挿入し(A)、形成された蜂球をビーカーに隔離して(B, C)、働き蜂を採集した。蜂球中のオオスズメバチは60分後には死亡していた(D)。

図2:熱殺蜂球形成行動時に活動する神経細胞
(左)ニホンミツバチ右脳半球の模式図:蜂球形成30分後と60分後に採集した働き蜂で検出されたAcks発現細胞を、黒点で模式的に示す。(右)AとBはそれぞれ左図の赤枠内に対応する部分のin situ ハイブリダイゼーション法の結果。蜂球形成直後(左列)に比べ、30分後(中列)と60分後(右列)では多数のAcksの発現を示す黒いシグナルが観察された。特に下段のクラスIIケニヨン細胞で密度が高い。スケールバー:100 µm
1. これまでの研究でわかっていた点
ミツバチというと一般的には「刺す」虫をイメージされると思います。しかしながら、小野らは1995年に、日本在来種のミツバチであるニホンミツバチ(Apis cerana japonica)は、天敵であるオオスズメバチ(Vespa mandarinia japonica)が巣内に侵入すると、数百匹の働き蜂がスズメバチに一斉に殺到し「蜂球」と呼ばれる集団を形成し、刺すのではなく、飛翔筋を震わせ、発熱してオオスズメバチを「蒸し殺す」ことを発見しました(文献1)。このとき蜂球内の温度は46~47°Cという高温になりますが、オオスズメバチの上限致死温度(約45℃)がニホンミツバチ(約49℃)に比べて若干低いため、オオスズメバチは蒸し殺されるのです(文献1)。この熱殺蜂球形成は、西欧原産のセイヨウミツバチ(Apis mellifera ligustica)では見られないことから、東アジアに棲息するオオスズメバチの存在という淘汰圧(注1)の元に 、ニホンミツバチが独自に獲得した防衛行動と考えられてきました。
2. この研究が新しく明らかにしようとした点
では、この熱殺蜂球形成は脳のどのような活動により引き起こされるのでしょうか?この疑問を解くために私たちは、「熱殺蜂球形成行動中にニホンミツバチの脳内で活動(神経興奮)している領域」を同定することを目指しました。木矢らは2007年にセイヨウミツバチから神経興奮のマーカー遺伝子として「初期応答遺伝子(神経興奮が起きてから一定時間後をピークとしてその神経細胞に発現誘導されます)」を同定し、kakuseiと命名しました(麻酔から「覚醒」させたミツバチの脳から発見されたことに由来します)(文献2)。今回私たちは、ニホンミツバチのkakusei(以下Acksと表記します)を同定し、これを神経興奮のマーカー遺伝子として利用することで、蜂球を形成しているニホンミツバチの脳の興奮領域を探しました。
3. この研究で得られた結果、知見
Acksは神経興奮が起きてから30~60分後に発現がピークに達します。そこで私たちは、針金の先に固定した囮のオオスズメバチをニホンミツバチの巣内に挿入し、その周りに人為的に熱殺蜂球を形成させ(図1)、蜂球形成直後・30分後・60分後に蜂球の表面からニホンミツバチの働き蜂を少しずつ採集して、Acksが脳のどの領域で発現しているかをin situハイブリダイゼーション法(注2)により調べました。その結果、蜂球形成直後に比べ、30分後と60分後の働き蜂の脳では、高次中枢であるキノコ体という領域(注3)―とりわけクラスIIケニヨン細胞(注4)―でAcksを発現している細胞が多数検出されました(図2)。このことから、これらの神経細胞が蜂球形成直後から約30分後にかけて活動したことが分かりました。
この神経興奮をもたらした原因を探るために、蜂球内でニホンミツバチの働き蜂が曝される状況として、46°Cという高温と、ミツバチの警報フェロモン(注5)の成分である酢酸イソアミル(熱殺蜂球からも放出されています)への暴露をそれぞれ実験室(虫かご)内で再現し、脳でのAcksの発現を調べました。その結果、興味深いことに、ニホンミツバチの働き蜂を蜂球の内側と同じ46°Cという高温に曝したところ、熱殺蜂球形成時とよく似た脳の領域でAcksの発現が検出されました。一方で、酢酸イソアミルに曝した際には、こうしたAcksの発現は検出されませんでした。このことは、熱殺蜂球を形成しているニホンミツバチの脳では、高次中枢で高温情報が処理されていることを示唆しています。
さらにミツバチでは触角で高温が感知されますが、触角を切除したニホンミツバチの働き蜂を46℃という高温に曝した場合には、活動するクラスIIケニヨン細胞の数が約半分に減少しました。このことから、高温情報は触角とそれ以外の経路を経て高次中枢であるキノコ体へと伝達されると考えられました。
4. 研究の波及効果、今後の課題
今回私たちは、世界で初めて、熱殺蜂球を形成したニホンミツバチの脳で神経興奮が起きている領野を同定することに成功しました。では、高次中枢であるキノコ体で高温情報はどのように「処理」されるのでしょうか?熱殺蜂球形成では蜂球内温度が一定(46~47℃)に保たれることが極めて重要です。1つの可能性は、今回検出された神経興奮が蜂球内の温度モニタリングに関わるというものです。蜂球内の温度が46℃に近くなるとキノコ体が興奮し、飛翔筋の活動を抑えることで蜂球内の温度を一定に保つ仕組みがあるのかも知れません。
キノコ体が高温情報処理に関わるとの知見はこれが初めてであり、昆虫脳の高次中枢の働きを調べる上で格好の研究対象になると思われます。今後、どの神経回路を介して高温情報がキノコ体に伝達され、そこでどのような「処理」がなされ、どの神経回路を介して飛翔筋の運動制御がされて、「サーモスタット」のような温度調節が実行されるのか、解明される必要があります。
先述のように、熱殺蜂球形成行動はセイヨウミツバチではほとんど見られません。高温条件下での脳の神経活動をセイヨウミツバチと比較することで、進化の過程でニホンミツバチが独自に獲得した、熱殺蜂球形成行動を可能にする脳の仕組みが分かるとも期待され、進化生物学的観点からもさらに興味深い課題を提出しています。
この研究成果のもととなった研究経費
本研究は一部、文部科学省科学研究費補助金 新学術領域研究「システム分子行動学(領域代表:本研究科生物化学専攻、飯野雄一教授)」(平成21~22年度)の公募研究課題(研究課題番号21115506、研究課題名「ミツバチの視覚情報処理を支える脳のモジュール構造の分子的構築の解析」)として実施しました。なお、共著者でいらっしゃった吉田忠晴教授はかねて病気療養中のところ、平成24年2月5日に肝臓がんのため逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
発表雑誌
- 雑誌名
- PLoS ONE
- 論文タイトル
- Detection of Neural Activity in the Brains of Japanese Honeybee Workers during the Formation of a ‘Hot Defensive Bee Ball’
- 著者
- Atsushi Ugajin, Taketoshi Kiya, Takekazu Kunieda, Masato Ono, Tadaharu Yoshida, and Takeo Kubo
- オンライン掲載日
- 3月15日午前7時(日本時間)
文献
- Ono M, Igarashi T, Ohno E, and Sasaki M (1995) Unusual thermal defence by a honeybee against mass attack by hornets. Nature 377: 334-336.
- Kiya T, Kunieda T, and Kubo T (2007) Increased neural activity of a mushroom body neuron subtype in the brains of forager honeybees. PLoS ONE 2: e371.
用語解説
- 注1 淘汰圧
- 生物個体や形質がある環境要因の元で世代を経る毎に、その数や集団内での割合が変化することを淘汰という。淘汰圧はその要因となる環境要因のこと。↑
- 注2 In situ ハイブリダイゼーション法
- 組織切片の上で、標識した相補的RNAとのハイブリダイゼーションを起こさせることで、生体内で発現しているRNAの発現領域を同定する方法。↑
- 注3 キノコ体
- 昆虫の高次中枢。ミツバチなど一部の昆虫では特に大きく発達しており、視覚・嗅覚・味覚といった様々な感覚入力を受けると考えられている。↑
- 注4 クラスIIケニヨン細胞
- キノコ体を構成する神経細胞(ニューロン)はケニヨン細胞と呼ばれる。ミツバチではケニヨン細胞は、細胞体が傘部の内側に集合するクラスIと、外側表面に集合するクラスIIに大別される。それぞれの役割には不明な点が多い。↑
- 注5 警報フェロモン
- 同種の動物間で外分泌されて情報伝達に働く化学物質をフェロモンという。警報フェロモンは外敵の存在を仲間に知らせるフェロモンで、様々な社会性昆虫で知られている。↑