ミュー粒子の崩壊から素粒子の大統一理論を探る
発表者
- 森 俊則(東京大学素粒子物理国際研究センター 教授)
- 大谷 航(東京大学素粒子物理国際研究センター 准教授)
- 三原 智(高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所 准教授)
発表概要
東京大学を中心とする国際研究グループは、世界最高強度のミュー粒子(注1)ビームと新たに開発した優れた素粒子測定器を用いて、標準理論(注2)を超える大統一理論(注3)などの新しい物理が予言する未知のミュー粒子崩壊を世界最高感度で探索することに成功した。 この探索感度をもってしても崩壊現象の発見には至らず、この結果により標準理論を超える新理論に対してこれまでにない厳しい制限を加えることになった。 実験は継続中であり、更に感度を上げて探索を続けていく。
発表内容
研究の背景
これまで標準理論を超える新しい素粒子理論として大統一理論の研究が活発に行われてきた。 たとえば小柴昌俊特別栄誉教授が1980年代にカミオカンデ実験を始めたのは大統一理論を検証するためであった。 大統一理論は宇宙開闢(かいびゃく)期にインフレーション(注4)などを通して宇宙の誕生に決定的な役割を果たしたと考えられている。 その後東京大学が1990年代にCERN(注5)(欧州原子核研究機構)で行った国際共同実験の結果から、超対称(注6)を入れた新しい大統一理論の可能性が高まり現在大きな注目を浴びている。 昨年より始まったLHC(注7)の実験では、ヒッグス粒子に加えて、超対称粒子の探索が重要な研究テーマの一つとなっている。
これまでの研究で分かっていた点
新しい大統一理論を検証するにはカミオカンデやスーパーカミオカンデ実験では十分でなく、電子の仲間であるミュー粒子やタウ粒子(注1)を使った実験が有効であることが、 1990年代後半に明らかになった。 一方、スーパーカミオカンデで発見されたニュートリノ振動現象(注8)をより深く理解するためにも、ミュー粒子やタウ粒子の研究が重要であることが分かってきた。 宇宙における粒子・反粒子の非対称性の理解にもつながる可能性がある。 現在高エネルギー加速器研究機構(KEK)で建設中のSuperKEKB(注9)においては、タウ粒子の研究がより多くの注目を集めている。
この研究が新しく明らかにしようとした点
超対称大統一理論によると、ミュー粒子は通常の崩壊方法に加えて、電子とガンマ線に壊れる、いわゆるμ→eγ(ミューイーガンマ)崩壊をすることが予言されている(図1)。 この崩壊は標準理論では厳しく禁止されており、この研究では、μ→eγ崩壊を超対称大統一理論が予想する10-12~10-13の崩壊確率(1兆~10兆に一つのミュー粒子がμ→eγ崩壊する)まで探索し、超対称大統一理論の証拠を掴もうとするものである。 今回は、その途中結果を発表する。
そのために新しく開発した方法、機材等
1兆に一つの現象を捉えるのは既存の素粒子測定器では不可能で、東京大学とKEK、早稲田大学との共同研究により、ガンマ線をこれまでにない精度で測定できる世界最大の液体キセノン測定器(図2)と、素早く大量の崩壊粒子をさばくための特殊な超伝導スペクトロメータを考案、開発した。 また、この研究のために必要な毎秒3千万個以上のミュー粒子を生成できる加速器はスイス・ポールシェラ—研究所(注10)(PSI)にしかないが、日本の研究グループの実験提案がPSIに認められて、スイス・イタリア・ロシア・米国の研究グループが加わって、国際共同実験MEGとして研究を進めてきた。
この研究で得られた結果、知見
2009年と2010年にそれぞれ1~2ヶ月実験を行って取得したデータを用いてμ→eγ崩壊を世界最高感度で探索することに成功した(図3)。 この探索感度をもってしてもμ→eγ崩壊発見には至らず、この結果により超対称大統一理論などの新理論の可能性に関してこれまでにない厳しい制限を加えることになった。
研究の波及効果
発見されなかったことにより、既に超対称大統一理論の許される領域が大きく狭められることになった。 LHCの実験でも超対称粒子はまだ見つかっておらず、この結果と合わせて、超対称理論に対する制限は現在非常に厳しいものになっている。
今後の課題
MEG実験は現在も実験を継続中であり、今後2年間にわたってより多くのミュー粒子を測定し、実験感度を更に上げて、μ→eγ崩壊の発見を目指していく。 測定器を更に改良して、数十兆に一つの精度まで実験感度を上げる研究も並行して行う予定である。
本研究は、科学研究費補助金(文部科学省)特別推進研究「MEG実験 - レプトンフレーバーの破れから大統一理論へ」(研究代表者:森俊則、課題番号22000004)の他、スイス国立ポールシェラー研究所(PSI)、イタリア国立核物理学研究所(INFN)、米国エネルギー省(DOE DEFG02-91ER40679)の援助を受けて行われた。
原著論文・発表雑誌
- 雑誌名:
- Physical Review Letters(APS)
通常雑誌、オンライン版ともに9月30日号掲載予定 - 論文タイトル:
- 「New limit on the lepton-flavour violating decay μ+→e+γ」
- 著者:
- J.Adam他 MEG collaboration
用語解説
- 注1 ミュー粒子、タウ粒子
- ミュオン、タウ。電子とほぼ同じ性質を持つ「重い電子」。ミュー粒子は電子より約200倍重く、タウ粒子は更に約17倍重い。(表1)↑
- 注2 素粒子の標準理論
- 現在知られているほぼすべての素粒子現象を説明できる理論。ヒッグス粒子の存在を予言する。宇宙の暗黒物質の存在や、重力などをうまく取り扱うことができないため、より究極の理論の低エネルギー近似であると考えられている。↑
- 注3 大統一理論
- 素粒子に働く3種類の力(電磁気力、強い力、弱い力)が、宇宙初期の超高温状態では同じであったとする理論。大統一が破れた際に宇宙が急激に膨張する「インフレーション」が起こったとも考えられている。元々の大統一理論はカミオカンデ実験などにより否定されたが、東京大学も参加したLEP実験(LHCの前身の加速器)での精密測定によって、超対称を入れた新しい大統一理論の可能性が現在注目されている。↑
- 注4 インフレーション理論
- 宇宙がその誕生直後に加速度的に急膨張(インフレーション膨張)したとする説が有力視されている。このインフレーションの導入により宇宙の誕生を記述する通常のビッグバン宇宙論が抱えるいくつかの大きな問題点が解消されることになる。↑
- 注5 CERN(欧州原子核研究機構)
- スイス・ジュネーブ郊外にある世界最大の素粒子物理研究所。世界最高エネルギーの陽子・陽子加速器LHCが稼働して実験中である。現在ウェブ発祥の地としても有名。↑
- 注6 超対称
- 素粒子のボーズ粒子とフェルミ粒子の間にあると考えられている対称性。この対称性が成り立っていると、既存の全てのボーズ粒子、フェルミ粒子それぞれに対してスピンが1/2だけ異なる超対称パートナー粒子が存在すると考えられる。↑
- 注7 LHC(Large Hadron Collider)
- CERNにある世界最高エネルギーの陽子・陽子衝突型加速器。標準理論で唯一未発見のヒッグス粒子の発見、超対称理論などの新しい物理理論で予言される新粒子、新現象の探索を目的としており、東京大学・KEKを始めとする日本の研究グループも参加している。↑
- 注8 ニュートリノ振動
- ニュートリノが3つあるニュートリノの種類(世代)の間を移り変わる現象。ニュートリノが微少な質量を持つことにより可能となる。この現象はスーパーカミオカンデ実験などにより実験的に確認されている。↑
- 注9 SuperKEKB
- 高エネルギー加速器研究機構(KEK)に建設中の電子・陽電子衝突型加速器。前身のKEKB加速器では、その崩壊過程を調べる実験においてCP対称性の破れが精密に検証され、2008年の小林誠、益川敏英両氏のノーベル物理学賞受賞につながった。↑
- 注10 ポールシェラー研究所(PSI)
- 自然科学および工学におけるスイス最大の研究センターであり、物質構造、エネルギー、環境と健康の3分野において研究活動を推進している。チューリッヒ郊外にある。↑