2011/8/23

一つの金属原子(鉄原子)が化学反応を触媒する様子を電子顕微鏡で動画撮影

— C60が炭素原子を取り込み、C70様の骨格へ成長 —

発表者

  • 中村 栄一(東京大学大学院理学系研究科 化学専攻 教授)

発表概要

金属元素を駆使した触媒的有機合成反応は、学術的にも工業的にも極めて重要な人類の持てる技である。 昨年のノーベル賞に輝いたパラジウム触媒反応は記憶に新しい。 世界中の研究者が精力的に研究を進めた結果、今ではコンピューター上で金属原子のひとつひとつが有機分子の周りを動き回って化学反応を触媒する様子までが議論されている。 しかし、それを実際に目で確かめた人はいなかった。 今回、1つの鉄原子が炭素–炭素結合を組み替える触媒となって、フラーレンC60(サッカーボール)が、その周りの有機分子との反応により、一回りサイズの大きなC70フラーレン(フットボール)様の物質へと成長する様子を電子顕微鏡で動画撮影することに成功した。 鉄触媒による炭素–炭素結合組換え反応は、Fischer-Tropsch反応(石炭からガソリンを合成する反応)やカーボンナノチューブ、グラフェンなどの合成法として重要なばかりでなく、パラジウムなどの貴金属を置き換える触媒として、「元素戦略」的にも重要である。 今回報告する研究手法は、今後の触媒反応、ナノ炭素化合物、燃料電池の研究など、広汎な分野の研究を加速するものと期待される。

発表内容

表紙図

表紙図:カーボンナノチューブに入れたバッキーフェロセン([60]フラーレン鉄錯体、左)が、透過型電子顕微鏡観察下、単一の鉄原子の触媒作用により、[70]フラーレン様の分子(右)へと変換された。矢印で指す濃い部分は鉄原子を示す。

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図1

図1:バッキーフェロセン(フラーレン鉄錯体、フラーレンとフェロセンのハイブリッド)の分子構造(2002年に発表)。赤:鉄原子。灰色:炭素原子。黄色:水素原子。

図2

図2:カーボンナノチューブに内包されたバッキーフェロセン

図3

図3:カーボンナノチューブにつめた[60]フラーレン鉄錯体(バッキーフェロセン、Fe[C60(CH3)]5(C5H5))から、電子線照射下、[70]フラーレンが生成する様子をとらえた透過型電子顕微鏡写真。1個の鉄原子がC60、 5つのメチル基(CH3)、1個のシクロペンタジエニル基(C5H5)の炭素−炭素結合組み替え(切断と再結合)を触媒する。

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東京大学大学院理学系研究科化学専攻の中村栄一教授(注1)と産業技術総合研究所の越野雅至研究員、東京大学大学院理学系研究科光電変換化学講座(社会連携講座)の松尾豊特任教授らの研究グループは、1原子の鉄原子と10の炭素原子(5つのメチル基と1つのシクロペンタジエニル基)を分子表面に持つ[60]フラーレン化合物「バッキーフェロセン(Fe[C60(CH3)]5(C5H5))」(図1参照)が、分子内の1つの鉄原子の触媒作用により、まわりの炭素原子を取り込み、[70]フラーレンに類似した構造を持つより大きなフラーレン骨格に構造変化する様子を、高分解能電子顕微鏡で時々刻々と観察することに成功した(表紙図)。

このグループは、原子レベルの分解能を持つ顕微鏡を用いて、小さな有機分子の動きやフラーレンなどの炭素化合物の反応の動画撮影に既に成功しているが、今回の発見はそれを大きく発展させ、いくつかの金属原子を比較することによって、ある種の(ここでは鉄)金属原子が1原子だけで化学反応を加速することを初めて実験的に証明した。 単一原子の触媒作用の「絵」は教科書にも頻繁に登場するが、実際に1原子が触媒作用を行っている様子を実験的にとらえた例はこれまでに報告がない。

鉄触媒による炭素–炭素結合組換え反応は、Fischer-Tropsch反応(第二次世界大戦前にドイツで開発された石炭からガソリンを合成する方法;南アフリカ共和国では今でも実施)やカーボンナノチューブ、グラフェンなどの合成法として重要なばかりでなく、パラジウムなどの貴金属を置き換える触媒として、「元素戦略」的にも注目を集めているである。 そこで我々は、本研究の題材として、鉄、および同族元素であり多くの場合鉄より高い活性を示すルテニウム(ただしルテニウムは希少金属である)の示す触媒作用に注目した。

この研究の要となる第一の成果は、8族元素である鉄およびルテニウムの1原子が示す炭素–炭素結合組換え反応の加速効果(触媒作用)の実験的実証、第二の成果は鉄の1原子がフラーレン分子の周りを動き回って結合組換え反応を触媒する様子の動画の記録に成功したことである。

まず第一の要点として、触媒作用の実証について述べる。

金属元素による炭素–炭素結合の組換えの加速効果をバルクの液相や理論化学的手法で研究した例は無数にある。 また真空中固相で、数多くの金属が集まったナノメートルサイズ以上の金属クラスターによる反応の加速効果を電子顕微鏡で観察した研究はこれまで数多く知られている。 しかし、後者では触媒作用が単一の原子の本質的性質なのか、原子の集合体特有の性質なのかに関する知見は得ることができない。 一方、共著者である産業技術総合研究所の末永和知上席研究員らは、カリウムやランタノイド金属(希土類金属)の1原子とフラーレンやカーボンナノチューブの反応を研究してきたが、これらの金属には反応の加速効果は示さない(今回、無触媒および鉄触媒反応と比較して明確となった)。 今回の研究では、Fischer-Tropsch反応やナノチューブ・グラフェン合成の触媒として広く知られている8族元素、鉄およびルテニウム原子によって引き起こされる炭素–炭素結合組換え反応が、金属触媒のない状態でのフラーレンや有機フラーレンの反応、さらには(触媒作用のない)カリウムやランタノイド金属の存在下でのフラーレンの反応に比べて、はるかに早いことを実証した。 (反応に必要とされる電子エネルギーの総量として100分の1程度で反応が進行する)

第二の要点は、鉄の1原子がフラーレン分子の周りを動き回って、結合組換え反応を触媒する様子の動画の記録に成功したことである。

「バッキーフェロセン」分子を格納するのにぴったりの太さのカーボンナノチューブに沢山詰め込んで隙間をなくすことで(図2参照)、分子に結合している鉄原子や炭素原子が他の場所に移動できないようにしたことがポイントである。 この条件下で、「バッキーフェロセン」は速やかに分解して、C60(サッカーボール)からC70(フットボール)様の分子へと成長した。 すなわち、「バッキーフェロセン」の上に結合していた5つのメチル基(CH3)やシクロペンタジエニル基(C5H5)を原料にして炭素–炭素結合組換えが起きて、分子が成長したのである。 なお、C60はC70よりもひずみが大きいので、このような成長は理にかなっている。

化学合成において、金属触媒は、物質の炭素−炭素結合の組み替えを加速したり制御したりするなど重要な役割を果たしている。 これまで様々な実験や理論的結果から、金属元素がどのように炭素−炭素結合を組み替えるかが推定され、それが反応の設計に活かされてきた。 しかし、これは紙の上の話であり、1つの金属原子が結合を組み替える様子を直接的に観察した例はなかった。

今回の発見は、鉄原子やルテニウム原子が、電子顕微鏡観察下、「バッキーフェロセン」に含まれる様々な有機原料(フラーレンC60、メチル基CH3、シクロペンタジエニル基C5H5)の炭素−炭素結合および炭素−水素結合の切断と炭素−炭素結合の生成を触媒すること、およびその組み替え反応により[60]フラーレンに炭素原子が取り込まれて、[70]フラーレン様の分子より大きなフラーレンを与えることを透過型電子顕微鏡により観察することに成功したことである。

このような炭素–炭素組み替え反応は、 石炭からガソリンを合成する方法であるFischer-Tropsch反応や、カーボンナノチューブやグラフェンの合成手法と深く関係している。 本成果は、今後の触媒反応、ナノ炭素化合物、燃料電池などの研究分野において、高効率・高選択的な物質合成への新しい道を拓くと期待される。

この研究成果は、東京大学と産業技術総合研究所の共同研究によって得られたもので、米国化学会誌(JACS, Journal of the American Chemical Society)のオンライン版で公開される。

注1:本研究は科学技術振興機構「中村活性炭素クラスター」によってその研究の種が蒔かれ、その後文部科学省科学研究費補助金特別推進研究(代表者;中村栄一、分担者;越野雅至:No. 22000008)の支援によって大きく開花したものである。

動画データ (QuickTime形式)

研究者の氏名・所属

中村栄一 東京大学大学院理学系研究科 化学専攻 教授
越野雅至 産業技術総合研究所 ナノチューブ応用研究センターカーボン計測評価チーム研究員
斎藤 毅 産業技術総合研究所 ナノチューブ応用研究センター流動気相成長CNTチーム研究チーム長
新見佳子 産業技術総合研究所 ナノチューブ応用研究センターカーボン計測評価チームテクニカルスタッフ
末永和知 産業技術総合研究所 ナノチューブ応用研究センター上席研究員
松尾 豊 東京大学大学院理学系研究科 化学専攻 特任教授

論文情報

米国化学会誌(Journal of the American Chemical Society)オンライン版で公開。その後、印刷体で公開される。

Eiichi Nakamura, Masanori Koshino, Takeshi Saito, Yoshiko Niimi, Kazu Suenaga, Yutaka Matsuo

“Electron Microscopic Imaging of a Single Group 8 Metal Catalyzes C–C Bond Reorganization of Fullerene”
(単一の8族金属がフラーレンの炭素–炭素結合組み替えを触媒することの電子顕微鏡イメージング)

http://dx.doi.org/10.1021/ja203225n

用語解説

フラーレン
1985年にCurl, Kroto, Smalleyによって発見された炭素同素体の1つで、炭素原子がサッカーボール状につながった分子。1970年に大澤映二博士(当時京都大学)により初めて提唱された。世界に先駆け日本で工業生産が開始されており次世代材料の基盤物質として期待されている。
透過型電子顕微鏡
電子銃により放出した電子を加速し、対象物にあて、透過した電子をフィルムやイメージセンサーで検出することにより像を得る。電子線の波長は可視光の波長より短く、原子レベルの高い空間分解を得ることが可能になる。
触媒
化学反応を進行させるために用いられ、反応する対象物の化学結合の組み替えを取りもつ。化学結合の組み替えの前後で触媒は同じ分子構造および形態をとる。すなわち、触媒が反応に関与した後、関与する前の元の姿の触媒が再生されるので、同じ反応が1つの触媒により繰り返し実行される。反応する対象物の量に対し、触媒の量はごく少量となるので、工業的な物質合成で多く用いられるだけでなく、我々の生体内でも多くの触媒反応が進行している。
Fischer-Tropsch反応
水素と一酸化炭素から、触媒反応により、炭化水素(例:石油、ガソリン)を得る反応。触媒として、鉄やコバルトが用いられる。石炭と水から水素ガスと一酸化炭素の生成を経て、ガソリンを得る反応は、第二次世界大戦中の石油の乏しかったドイツで改良が重ねられ、現在、南アフリカ共和国などで実施されている。
カーボンナノチューブ
炭素でできた筒状の物質で、直径が1から数ナノメートルである。筒が単層、二層、多層のものがあるが、今回の実験では、単層のカーボンナノチューブが用いられた。単層のカーボンナノチューブの中に、様々な分子をつめることができる。
グラフェン
炭素原子がシート状に配列した1原子の厚みをもつ単層膜。炭素原子は蜂の巣状の六角形格子の構造をとるように並ぶ。電気をよく流すことがわかっており、将来のエレクトロニクス材料への応用が期待されている。グラフェンの研究に関し、2010年Andre GeimとKonstantin Novoselovがノーベル物理学賞を受賞した。