2011/6/21

緑藻の「光の好き嫌い」はどうしてできるか

— 緑藻細胞の走光性の正・負の決定因子の解明 —

発表者

  • 若林 憲一(東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 助教)
  • 三澤 優花(東京大学理学部 生物学科 4年生(当時))
  • 持地 翔太(東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 修士1年)
  • 神谷 律(東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 教授)

発表概要

単細胞の緑藻は、正の走光性(光に向かって泳ぐ)と負の走光性(光から逃げて泳ぐ)を切り替えることによって生存に最適な光環境へと水中を泳いで移動する。 しかし、細胞内のどのようなシグナルが正・負を切り替えているか、長い間謎であった。 私達は、それが細胞内の酸化・還元のバランスで切り替えられていることをつきとめた。 この知見を応用すれば緑藻細胞の遊泳方向をコントロールして濃縮することができるため、藻類オイル生産にも役立つかも知れない。

発表内容

図1

図1:クラミドモナス(和名:コナミドリムシ)細胞の顕微鏡写真(左)と模式図(右)。2本の鞭毛を人間の平泳ぎのように使って水中を泳ぎまわる。眼点によって光の方向を察知する。写真のスケールバーは10マイクロメートル(1/100ミリメートル)。

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図2

図2:クラミドモナスの培養液(正の走光性を示す野生株と負の走光性を示すagg1株)をディッシュにいれ、いずれも右側から光を当てた。活性酸素(H2O2)処理した細胞は正の走光性を、活性酸素消去剤(TEMPOL)処理した細胞は負の走光性を示した。

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図3

図3:現在までに分かっているクラミドモナスの走光性のメカニズム(1~3)。眼点のチャネル型ロドプシンと呼ばれる光受容体が光を受けると細胞膜が興奮し(1)、次いで鞭毛の細胞膜が興奮して鞭毛内にカルシウムイオンが流入する(2)。クラミドモナスの2本の鞭毛はカルシウムイオンに対する応答性が異なるために打つバランスが変化し、それによって方向転換すると考えられている(3)。今回の結果から、光合成の活性変化などによって起きる細胞内の酸化・還元バランスの変化が、1~3の過程のどこか、あるいは全てに影響して走光性の正・負が決まると考えられる。1~3のどこが影響を受けているのかを調べるのが今後の課題である。

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図4

図4:クラミドモナス培養液に活性酸素消去処理をして上部から光を照射すると、約10分の放置で10倍程度に濃縮できる。

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1. これまでの研究でわかっていた点

ミドリムシなどの単細胞緑藻類は、水中を「鞭毛」という毛のような細胞小器官を動かして泳ぎ回る。 このとき、細胞は「眼点」と呼ばれる光を受容する器官を用いて光の射す方向を察知する。 ある細胞は光源の方向に向かって泳ぎ(正の走光性)、またある細胞は光源から逃げるように泳ぐ(負の走光性)。 これは、光合成を行うために適切な「強すぎず、弱すぎない」光の環境に移動するための行動だと考えられる。

走光性を研究するための有力な材料である単細胞緑藻クラミドモナス(図1)を用いた過去の研究から、細胞は強い光に対しては負の走光性、弱い光に対しては正の走光性を示すことが示されていた。 その他、外液のイオン強度など、さまざまな細胞外の条件が走光性の正・負に影響を与えることがわかっていた。 しかし、それらのどの条件でも、常にある割合で反対方向に泳ぐ細胞が存在する。 このため、走光性の正・負は細胞外部の状態だけによって決まるのではなく、そのような状態に置かれたときの細胞内部の状態によって決まるのではないかと考えられる。 しかし、そのような細胞内の因子は全く分かっていなかった。

2. この研究が新しく明らかにしようとした点

「走光性の正・負を決定する細胞内因子」を明らかにすることを目的に研究を行った。 これを探るヒントとして、「光合成を阻害すると、クラミドモナスは負の走光性を示しにくくなる」という過去の知見があった。 光合成は細胞内の酸化・還元状態(注1)に影響を与えることが知られているので、私達は「細胞内の酸化・還元のバランス」がその決定因子なのではないかと考えた。 そこで、細胞内の酸化・還元のバランスに大きく影響を与える膜透過性の活性酸素薬剤(注2)を用いて、その可能性を検証した。

3. この研究で得られた結果、知見

クラミドモナスの野生株(正の走光性を示す)と、強い負の走光性を示す突然変異株agg1(室内照明に対する負の走光性によって、試験管の底に凝集aggregateするのでこう呼ばれる)に対して、膜透過性の活性酸素と活性酸素を消去する薬剤を添加し、走光性を観察した。 すると、どちらの細胞も活性酸素処理をすると正の走光性を示し、活性酸素消去処理をすると負の走光性を示すことがわかった(図2)。 緑藻の走光性の方向を完全にコントロールできたのは、世界で初めてのことである。

今回の結果から、クラミドモナスは細胞内の酸化・還元バランスの変化に応じて走光性の正負を切り替えるというモデルを提唱できる(図3)。 すなわち、クラミドモナスは細胞内が酸化的に傾くと正の走光性、還元的に傾くと負の走光性を示す。 細胞は、泳ぐ方向を変えることで自らの浴びる光の強さをコントロールして、それによって光合成の程度を変化させて細胞質を適切な酸化還元状態に保っている可能性が考えられる。 走光性が細胞の酸化・還元バランスの恒常性維持のためのフィードバック機構の一部として働いているというこの考えは、この研究ではじめて示唆されたものである。

4. 研究の波及効果

酸化・還元状態の変化が作り出すシグナルが、広範な細胞内の現象において重要な役割を果たしていることが近年次々に明らかになってきた(たとえば、細胞内カルシウム濃度の調節や、哺乳類精子の活性化に酸化・還元が関わることが知られている)。 今回の研究により、藻類の運動においても重要な役割を持つことがわかった。

最近、緑藻細胞に軽油を産生させてそれをバイオ燃料とし、発電で出た二酸化炭素を緑藻の光合成で吸収させるというクリーンエネルギーの研究が盛んに行われている。 今回の研究成果は、ポンプも遠心機も用いずに藻類細胞を簡便に濃縮する技術の開発につながるなど(図4)、緑藻細胞の基礎研究と工業的応用に貢献する可能性がある。

5. 今後の課題

細胞内の酸化・還元状態が走光性の方向を決定することはわかったが、今後は細胞内で酸化・還元状態をモニターしている分子や、そこからどのように走光性の正・負が変化することにつながるのか、その作用経路を明らかにすることが課題である。 既に酸化・還元のモニター機構に異常があると思われるいくつかのクラミドモナス突然変異株を単離できたので、その原因遺伝子を明らかにすることがその作用経路の解明につながると考えられる。

この研究成果のもととなった研究経費

科学研究費補助金(若手研究B、20110152、代表者 若林憲一; 若手研究B、22770189、代表者 若林憲一)、旭硝子財団奨励研究(代表者 若林憲一)の支援を受けて研究を行った。

発表雑誌

著者:
Ken-ichi Wakabayashi, Yuka Misawa, Shota Mochiji, and Ritsu Kamiya
タイトル:
Reduction-oxidation poise regulates the sign of phototaxis in Chlamydomonas reinhardtii
雑誌名:
米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)
オンライン版掲載日
米国東部標準時 6月20日 (日本時間6月21日)

用語解説

注1
細胞には、細胞質を適度に還元的に保ち、酸化によるタンパク質や脂質の変性を防ぐ恒常性が働いている。しかし、光合成の活性変化やミトコンドリアの呼吸活性の変化などによって、細胞質内の活性酸素やそれを消去する物質の量が変化するため、細胞内は一過的に酸化的になったり、逆に過剰に還元的になったり変化し得る。その変化がさまざまな生体反応の引き金となる。
注2
生体内では、酸素(O2)は4つの電子で水(H2O)に還元される。しかし、その中間産物であるスーパーオキシド(O2-)、過酸化水素(H2O2)、ヒドロキシラジカル( •OH)などの活性酸素が生じ、生体に酸化ストレスを与えることがある。