励起子のボース・アインシュタイン凝縮体への転移を観測することに成功
発表者
- 五神 真(東京大学大学院理学系研究科 物理学専攻 教授・
東京大学大学院工学系研究科 光量子科学研究センター 教授) - 吉岡 孝高(東京大学大学院理学系研究科 物理学専攻 助教)
- 蔡 恩美(東京大学大学院工学系研究科 物理工学専攻 修士2年(当時))
発表概要
理論予想から約50年を経過しながらも観測されるに至らなかった、半導体における励起子(注1)のボース・アインシュタイン凝縮(注2)状態への転移を明瞭に捉えることに成功した。 これは超伝導や超流動現象と同様に、電子と正孔の集団において、自発的な対称性の破れによってマクロな量子力学的状態が生じることを実証したものである。 半導体においては多数の電子と正孔が複雑に相互作用をしており、それらが様々なデバイスの機能を担っている。 今回の研究により、その電子と正孔の振る舞いにおいてもその背後で「量子統計性」(注3)という物理学の基礎原理が重要な役割を担っていることが明確に示された。 これは固体物理学の長年の懸案を解決した重要な成果である。
発表内容

図2:(左)半導体結晶中の3次元ポテンシャルに捕獲された希薄なパラ励起子集団の微弱な発光信号。(右)BEC転移に必要な粒子数を越えると、BECの緩和爆発と呼ばれる、熱的な励起子成分の増加が観測された。
低温に冷却した半導体が光を吸収すると、伝導電子とその抜け穴である正孔が結合して水素原子のような仮想粒子が生まれる。 これは励起子(エキシトン)と呼ばれる。 励起子はフェルミ粒子である1個の電子と1個の正孔が対を作った状態であるため、十分に希薄であればボース粒子(注3:量子統計性を参照)として振る舞うと考えられている。 しかし、多体電子系において生じるこの寿命の限られた仮想的な粒子が、実在する原子等のように本当にボース粒子と考えて良いかは自明ではない。
ボース粒子の特徴は、物質波としての性質があらわになる低温かつ濃度が高い条件の下で目立つようになる。 この条件を突き詰めていくと、ある閾値を越えたとき系を構成する大多数の粒子が一つの大きな波として振る舞う、凝縮状態になることをアインシュタインが理論的に予測した。 これは現在ではボース・アインシュタイン凝縮(BEC)として知られているもので、相互作用がなくても生じる相転移現象であり、ボース粒子の集団が示す純粋に量子力学的な効果である。 このようなBECは1995年に超低温に冷却した原子気体において初めて実験的に観測され、2001年にこの成果に対してノーベル物理学賞が授与された。
励起子は非常に軽い粒子であり、レーザー光を使って容易に濃度を上げることができる。 このため50年程前から励起子を使えばBECを検証できると期待され、冷却原子系の実験にさきがけて、理論的、実験的に世界各地で研究が進められてきた。 特に、亜酸化銅と呼ばれる半導体において形成される励起子(1sパラ励起子)は、一度生まれると光子を放出して消滅する確率が非常に低い。 そのため長い寿命を持っており、この系を使って励起子を2ケルビン(摂氏マイナス291度)まで冷却し、BECの条件に到達することが有望であるとされてきた。 しかし、世界各地での多くの挑戦にも拘わらず、BECに達することが出来なかった。 我々は十年がかりでこの原因を探ってきた。 最近の研究により、パラ励起子の濃度が上がるにつれ、励起子同士が二体衝突して消滅してしまう過程が強く起こり、2ケルビンにおいてBECを実現することは不可能であることが分かってきた。
この状況を打破しBECを実現するためには、濃度を上げずに、温度を下げることが唯一の手だてとなる。 そこで本研究では、ヘリウム3冷凍機という超低温冷却装置を使用して、半導体の単結晶を0.3ケルビン(マイナス272.9度)以下に冷却した。 さらに、励起子を半導体中の微小空間に捕獲する特殊な技術を使うことで、半導体結晶を加熱せずに必要な濃度を実現した。 このような低温においては物質の熱容量が小さく、光吸収によって容易に温度が上昇してしまうため、熱輻射の流入防止やレーザー光の精緻な制御等、実験的には慎重な設計が必要となる。 このとき準熱平衡状態にある励起子雲の温度は0.8ケルビンであることを確認した。
理想的なBECの場合、量子相転移が生じると系を構成する大多数の粒子がただ一つの最低エネルギー状態をとる。 つまり、集団の空間広がり、エネルギー広がりはこの状態で定められるきわめて小さな領域に圧縮されることが期待される。 ところが、この励起子系においては、濃度を上げ温度を下げることでBECが期待される条件を満たしたとき、空間広がり、エネルギー広がりともに閾値的に増大することを発見した。 これは、粒子間の衝突によって粒子の消失を伴う場合に起こりうる、BECの「緩和爆発」(注4)と呼ばれる現象として冷却原子系において理論的に予測されており、これを観測することで、全体の粒子数のうちおよそ1%の凝縮体の存在を明らかにした。 すなわち、励起子のBEC転移を初めてとらえることに成功した。 さらに安定なBEC状態を実現するには、励起子の温度をさらに下げ、より緩やかなポテンシャルで励起子を保持する必要があることも明らかにした。
本研究の波及効果としては、半導体の光励起電子正孔系において従来から期待されている多彩な物質相、特にBEC-BCSクロスオーバー(注5)の活発な研究につながる可能性がある。 高温超伝導体のように未解明な系の量子統計力学の理解のみならず、特異的な光学応答の発現の検証、さらには近年活発に議論されている冷却原子・分子系と固体系との重要な架け橋となる研究であるといえる。
本研究は東京大学大学院理学系研究科物理学専攻及び大学院工学系研究科光量子科学研究センターの五神研究室(五神真 教授、吉岡孝高 助教、蔡恩美 氏)によって行われ、英国科学誌Nature Communicationsに掲載される。 なお、この研究は、文部科学省科学研究費補助金新学術領域研究「半導体における動的相関電子系の光科学」(20104002)、科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業、文部科学省 「光・量子科学研究拠点形成に向けた基盤技術開発 最先端の光の創成を目指したネットワーク研究拠点プログラム」の支援を受けて行われた。
発表雑誌
Nature Communications(英国科学誌)DOI : 10.1038/ncomms1335
“Transition to a Bose-Einstein condensate and relaxation explosion of excitons at sub-Kelvin temperatures”
Kosuke Yoshioka, Eunmi Chae, and Makoto Kuwata-Gonokami
掲載日 2011年5月31日
用語解説
- 注1 励起子
- 低温状態にある半導体が光を吸収すると、伝導を担う電子と正孔が生じる。これらはクーロン引力によってお互いに引き合うため、陽子の周りに電子が束縛されている水素原子と同じように、電子と正孔が安定な束縛状態を作る。これが励起子と呼ばれている。水素原子と酷似したエネルギー準位構造を示す一方で、有限寿命の効果や固体によるクーロン引力の遮蔽が実在粒子との大きな違いを生んでいる。フェルミ統計に従う電子と正孔の対による粒子であるため、励起子はボース統計に従うボース粒子と考えられている。↑
- 注2 ボース・アインシュタイン凝縮
- 粒子が冷却されると、波としての性質が顕在化し粒子がお互いに区別がつかなくなり始める。この結果集団としての運動状態の分布に変化が生じる。特に、極低温かつ高密度のある条件を満たすと系の基底状態に巨視的な数の粒子が占有し凝縮状態を形成する。系を構成する粒子の波動関数の位相が揃うことから、自発的にゲージ対称性の破れを生んでいる。ボース統計性を有する粒子の最たる現象と言うことができる。アインシュタインが予想したこの量子統計力学的な転移は1995年にアメリカの研究者らによって実験的に実証され、2001年にノーベル物理学賞が授与されている。↑
- 注3 量子統計性
- 量子論によると、同じ状態にある粒子は区別することが出来ない。このような粒子は量子統計性によってボース・アインシュタイン統計に従うボース粒子(ボソン)とフェルミ・ディラック統計に従うフェルミ粒子(フェルミオン)に分類される。ボース粒子は同一の状態に粒子をいくつでも詰め込むことができるという性質を持っている。フェルミ粒子はパウリの排他律によって、同一状態には一つの粒子しか占めることができない。低温で高密度の状態では量子統計性によるこれらの違いが重要になる。↑
- 注4 緩和爆発
- トラップポテンシャルに保持した粒子の場合、系の基底状態はトラップ中心の非常に小さな空間領域のみを占める。このため、BEC転移の結果多数の粒子がこの基底状態に流れ込むと、非常に高密度な状態となる。このとき、粒子間の衝突によってトラップから粒子のロスが生じる系においては、密度上昇に伴ってトラップ中心から急激に粒子が外に飛び出す結果となる。これが緩和爆発と呼ばれ、水素原子のBEC転移の際に発生する現象として理論予測された。↑
- 注5 BEC-BCSクロスオーバー
- 偶数個のフェルミ粒子が結合してできる複合的な粒子について、粒子を形成する粒子間の距離が十分に近い場合には、粒子全体としてボース粒子とみなすことができる。この場合には励起子や冷却原子のようにBECという凝縮状態を取りうる。一方で、金属中の電子のようにフェルミ粒子の集団において、格子振動との相互作用等によって有効的に弱い引力が働く場合、フェルミ粒子でありながら低温でバーディーン・クーパー・シュリーファー(BCS)状態という対凝縮状態をとることが知られており、超伝導の機構として重要な役割を果たしている。このBECとBCSは粒子の量子統計性によって生じる状態であるが、両者が質的に異なるものであるのか、統一的に記述されるものであるのかについて長年議論が続いている。特に両者の中間的な領域にある系の量子統計力学的性質の理解は、未解明とされる高温超伝導の発現機構とも深く関連しており、その解決の糸口となると期待されている。↑