むかしむかし、ミドリムシは紅かった?
発表者
- 丸山 真一朗(日本学術振興会特別研究員: 現・カナダ、ダルハウジー大学博士研究員)
- 野崎 久義(東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 准教授)
発表概要
長い研究の歴史を持ちながらも、未だその進化過程には謎の多いミドリムシ。 動物だか植物だかその分類が問われ続けているミドリムシ。 ひとたびミドリムシのもつ遺伝子の由来を調べてみると、ミドリムシが実はいくつもの生物が融合して生まれた「ハイブリッド生物」だったことが見えてきました。 今回我々は、独自に開発した遺伝子解析法を用いてスーパーコンピュータでミドリムシのゲノムを調査したところ、紅藻や紅藻由来の葉緑体を持つ別の植物に起源をたどることができる複数の遺伝子を発見しました。 こうした遺伝子は、現在は緑藻に由来する「緑色」の葉緑体を持つミドリムシが、かつては紅藻に由来する「紅色」の葉緑体を持つ『アカムシ』だったことを示しているのかもしれません。
発表内容
(1)これまでの研究でわかっていた点
一口に「植物」と言っても、その中には陸上植物や淡水・海水中に棲む藻類など、多様な生物群が含まれます。
太古の地球では、ある真核生物が光合成をする細菌(現在のシアノバクテリアに近いと考えられる)を細胞内に取り込み、安定に維持することに成功し、太陽エネルギーを生体エネルギーへと変換する場となる細胞内小器官(すなわち葉緑体)が誕生したと考えられています。 このように、別の系統の生物が細胞内に取り込んで維持する過程を「細胞内共生」と呼び、シアノバクテリア様の細菌を細胞内共生によって取り込むこと(一次共生)で生まれた光合成真核生物を一次植物と呼びます。 さらに、このような植物細胞を、別の真核生物が細胞内に取り込むこと(二次共生)により、二次植物が生まれました。
一次植物には、緑色植物、灰色藻、紅藻という三つの系統が含まれます。 緑色植物には普段目にすることの多い陸上植物や、クラミドモナスやボルボックスなどの緑藻類が含まれ、紅藻の仲間にはアサクサノリやテングサなど、日本の食文化に深い関連を持つ生物がいます。 また、緑藻と紅藻の中には二次共生によって他の真核生物の細胞内で葉緑体へと進化したものも知られています。 緑藻由来の葉緑体を持つ二次植物には、緑色の葉緑体を持つにもかかわらず、緑色植物とは似ても似つかない「ぐにゃぐにゃ」した独特の細胞を持つミドリムシ類が含まれます。 また、紅藻由来の葉緑体を持つ二次植物としてはワカメやコンブ、ケイ藻などの藻類が身近な生き物としてよく知られています。
現在知られているミドリムシ藻類は、古くから研究の盛んなミドリムシという種の他にも、淡水や海水に生息する様々な種を含みますが、これらは全て単一起源の緑藻に由来する葉緑体を持っています。 つまり、ミドリムシ藻類の祖先において只一回だけ二次共生が起こり、現存する種は全てその葉緑体を保持し続けてきたということになります。 また、二次共生を経験する以前のミドリムシ類の祖先は、細菌や他の藻類を補食して生活する、葉緑体を持たない原生動物であっただろうと考えられています。 しかし近年、ミドリムシの全遺伝子(ゲノム)情報の中に、この祖先的原生生物にも葉緑体の祖先である緑藻にも似ていない遺伝子が報告され始め、ミドリムシが「祖先的生物」と「二次共生した緑藻類」の単純な「足し算」として考えていいのだろうか?という問題が浮上してきました。
(2)この研究が新しく明らかにしようとした点
私たちは、ミドリムシ(学名Euglena gracilis)(図1)の細胞核のゲノム情報を対象にして、東京大学医科学研究所のスーパーコンピュータを使った大規模分子系統解析プログラムを独自に構築し、祖先的原生動物、共生藻類、その他に由来すると考えられる遺伝子のグループに振り分ける解析を行いました。 そして、この「その他」の遺伝子がどのような進化的由来を持つかを検証し、太古のゲノムハイブリッド進化の痕跡とも言うべき遺伝情報を抽出することを試みました。
(3)この研究で得られた結果、知見
その結果、ミドリムシの核ゲノム(祖先的原生動物に由来する)には、他の光合成をする藻類の持つ遺伝子と類似性を持つ遺伝子が多く保存されており、その中でも、紅藻に由来する葉緑体を持つ二次植物(ここでは紅色系二次植物と呼びます)と進化的に起源が近いと考えられる遺伝子が複数見つかってきました。 ミドリムシの非常に近縁な非光合成原生生物の中には、普段他の藻類を餌として補食して生活するものが知られていることから、これらの遺伝子は、恐らくミドリムシの近い祖先生物において、餌として補食された他の藻類から遺伝子が移動してきたこと(遺伝子水平伝達)により獲得された可能性が高いと考えられます。 また、中には葉緑体の機能とも深く関連すると考えられる遺伝子も含まれていることから、機能的に重要な遺伝子が選択的に保持されてきた可能性も考えられます。
それでは、この遺伝子水平伝達という進化的イベントは一体いつ頃起こったのでしょうか。 もしこれが、ミドリムシの祖先がまだ二次共生によって葉緑体を獲得していない太古の時代に起こったのだとすれば、この祖先生物は、水平伝達によって獲得した紅色系二次植物の遺伝子を、自分の核ゲノム中に吸収し、さらに緑藻由来の葉緑体を獲得した後でも、その遺伝子を保持し続けて、いわば「紅色系遺伝子」と「緑色系遺伝子」という「2色」の遺伝子群を同時に持ちながら使い分けていたとも考えられることになります。 このようなことが本当に起こり得たのでしょうか?
そこで、ミドリムシに非常に近縁であるものの、葉緑体を持たず、他の藻類を補食して生活するフトヒゲムシ(学名Peranema trichophorum)という生物を用いて、細胞内で発現している遺伝子の断片を網羅的に集めて配列を解読したデータセットを新たに構築しました。 そして、ミドリムシが現在持っている緑藻由来の葉緑体を獲得する以前に分岐したと考えられるこの原生動物において、ミドリムシと同じように紅色系二次植物に由来する遺伝子を持っているかを調べたところ、ミドリムシ(緑色)とフトヒゲムシ(無色)との両者に共通する非常によく似た遺伝子が発見され、それらが分子系統学的に同一起源を持つことが明らかになりました。
こうした結果は、ミドリムシ類の祖先の、まだ緑藻由来の葉緑体を獲得する前の進化段階にある原生動物に「紅色系」二次植物が取り込まれ、その段階で「紅色系遺伝子」がミドリムシの祖先のゲノムへと移動してきたことを示唆しています。 その時の、まだ「緑色」になる前のミドリムシの祖先は、あたかも現在の「紅色系」二次植物のようにふるまって光合成をする「紅い」ミドリムシ(『アカムシ』)だったのかもしれません。 しかし、この『アカムシ』もその後、緑藻のなかまを細胞内に取り込んで「紅色」から「緑色」への進化を遂げ、現在の「緑色」のミドリムシのような藻類へとさらなる進化を遂げたのではないかと考えられます(図2)。 見た目は単純に見えるミドリムシも、様々な試行錯誤、紆余曲折の末に自分に一番ぴったり合う葉緑体を選び出した苦労人(苦労虫?)なのかもしれません。
(4)研究の波及効果、今後の課題
本研究ではミドリムシという小さな単細胞真核生物のゲノム進化のダイナミクスの一端を明らかにすることができました。 この成果は、地球上の全二酸化炭素吸収量の約半分を担う藻類の進化と多様性を理解する上で重要なだけでなく、本質的には我々ヒトを含む真核生物のゲノムがどのように複雑に進化して来たか、その過程で遺伝子水平伝達や細胞内共生といった「他者との遭遇」がどのような役割を果たして来たか、という普遍的問題を考える上で欠かせない知見です。
現存する生物のゲノム情報自体は静的なものです。 しかし、本研究ではこれらを注意深く読み解くことによって、遺伝子の水平伝達や細胞内共生といったダイナミックな事象がどのように、どの進化段階で起こってきたかを示す言わば「遺伝子化石」とも呼べるような情報を発見することができました。 我々人類は、自然界の多様性の、まだごくごくほんの一部を理解したにすぎません。 今後はさらに多くのゲノム情報、生物種に対象を広げ、より多くの「遺伝子化石」を丁寧な手法と慎重な議論により比較解析することによって、過去に起こった進化的ダイナミクスをより正確に推測できるようになると考えられます。
なお本研究は、東京大学大学院理学系研究科とダルハウジー大学(カナダ)、神戸大学、ハインリヒ・ハイネ大学デュッセルドルフ校(ドイツ)との共同研究で行われ、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センターのスーパーコンピュータを利用しました。 また、文部科学省の科学研究費補助金(挑戦的萌芽研究、課題番号21657024、代表者 野崎久義)および日本学術振興会特別研究員制度、優秀若手研究者海外派遣事業(丸山真一朗)の支援を受けました。
(5)論文の参照情報
- Maruyama S, Matsuzaki M, Misawa K, Nozaki H: Cyanobacterial contribution to the genomes of the plastid-lacking protists. BMC Evol Biol 2009, 9(1):197.
- Ahmadinejad N, Dagan T, Martin W: Genome history in the symbiotic hybrid Euglena gracilis. Gene 2007, 402(1-2):35-39.
- Leander BS: Did trypanosomatid parasites have photosynthetic ancestors? Trends Microbiol 2004, 12(6):251-258.
発表雑誌
- 著者
- Shinichiro Maruyama, Toshinobu Suzaki, Andreas PM Weber, John M Archibald and Hisayoshi Nozaki
- タイトル
- Eukaryote-to-eukaryote gene transfer gives rise to genome mosaicism in euglenids
- 雑誌名
- BMC Evolutionary Biology 2011, 11:105
- doi:10.1186/1471-2148-11-105
- http://www.biomedcentral.com/1471-2148/11/105