匂いの好みはフェロモンにより制御される
発表者
- 飯野 雄一(東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻 教授)
- 山田 康嗣(東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻 特任助教)
発表概要
今回我々は、線虫C.エレガンスにおいて、匂いの好みが周囲の仲間の数によって変化することを発見し、その具体的なメカニズムの一端を明らかにした。 周囲の仲間の数は、仲間から放出されるフェロモンの量により認識される。 また、線虫の匂いの嗜好性はSNET-1(スネット1)と名付けたホルモン様の小さいタンパク質により増強されることがわかった。 SNET-1の合成は仲間の放出したフェロモンによって抑えられ、一度細胞外に放出されたSNET-1は、タンパク質分解酵素NEP-2(ネプリライシン)により分解されることで機能が調整される。
発表内容
自然界において、動物は生活するのに適した条件の場所に集合、繁殖し、その場所での個体数を増やしていく。 しかしながら、周囲の仲間が多くなりすぎると、各個体がより広い範囲に拡散しようとする傾向が現れる。 この性質が備わっていることにより、将来的に餌などが枯渇した場合に備えて様々な場所での生存の可能性を探ることができ、種全体にとって利益となる(図1)。 こういった動物の本能を制御するような神経回路の働きや、遺伝的に備わっている性質について、今まで詳細に解析された例は少ない。 我々は線虫C.エレガンス(注1)が集団内での仲間の数を感知し、仲間が多い環境に育つと、本来好きなはずの匂いが嫌いになってしまうことを発見した(図2)。 この匂いの嗜好性の変化が、集団内の仲間の数に依存した拡散を行うための一つの具体的なメカニズムであると考え、解析を行った。
線虫は耐性幼虫(注2)を形成する際に、周囲の仲間の数をフェロモン(注3)の濃度により知る。 匂いの好みに関する場合も同様に、フェロモンの濃度から周囲の仲間の多さを判断していることがわかった。 つまり、周囲にフェロモンが蓄積している場合には、本来好きな匂いが嫌いになる。 この匂いの嗜好性がフェロモンによって決定される分子メカニズムについて、順遺伝学的解析(注4)を行った。 その結果、ホルモン様ペプチド(注5)であるSNET-1と細胞外のペプチダーゼ(タンパク質分解酵素)であるNEP-2(ネプリライシンホモログ(注6))がこの現象に関わっていることを発見した。 SNET-1は匂いが好きになるように働くが、フェロモンの存在によって合成が抑制され、内分泌される量が減少する。 また、NEP-2はSNET-1を分解することによってその働きを抑制し、匂いの嗜好性が変化しやすくする(図3)。
以上のように、「周囲の仲間の多さの情報がフェロモン濃度として受容され、体内でペプチドシグナルとして伝えられることにより匂いの好みを調整する」という機構が明らかになった。 自然界で、種全体の繁栄に有効な、複雑な行動のメカニズムを分子レベルで明らかにした結果であり、生態学、行動生物学、分子生物学など広い分野に対して影響を与える成果を示したと考える。
発表雑誌
Science 9月24日号
用語解説
- 注1: 線虫C.エレガンス
- C. elegans 。土壌中に生息する、体長1mm程度の非寄生性の線虫。1970年代以降、遺伝学を使えるモデル生物として盛んに使われている。 ↑
- 注2: 耐性幼虫
- 線虫は幼虫期に餌が少なく、仲間が多く、温度が高いなど、厳しい環境にさらされると、耐性幼虫(ダウアー幼虫)と呼ばれる形態になることが知られている。一度耐性幼虫になると、厚い皮に覆われ、周囲が成長に適した環境になるまで成長を止める。 ↑
- 注3: フェロモン
- 同種の仲間に対して、個体間で情報を伝えるために使われる生理活性物質。線虫はアスカロシドと呼ばれる糖フェロモンを生涯にわたり放出する。幼虫期に耐性幼虫になるかが決まる際、アスカロシドの量により周囲の仲間の数を感知する。 ↑
- 注4: 順遺伝学的解析
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未知の生理現象に関わる遺伝子を同定するための手法。大雑把にその方法を説明すると、以下の3つの段階よりなる。
- ゲノムに対して、化学物質等を用いてランダムに変異を導入する。
- 作製した変異体の集団の中から、目的の異常を示す変異体を選択する。
- 獲得した変異体の異常について、どの遺伝子の変異が原因となっているかを明らかにする。
- 注5: ペプチド
- 数十アミノ酸以下からなる小さなタンパク質を指す。 ↑
- 注6: ネプリライシン
- 哺乳類において、細胞膜を貫通する膜タンパク質であり、細胞外に露出した部分でペプチドを分解することが知られる。脳、腎臓などに多く発現し、近年アルツハイマー病の原因となるアミロイドβペプチドをよく分解することから注目されている。 ↑