筋肉が高エネルギー効率である仕組みを分子レベルで解明
発表者
- 樋口 秀男(東京大学大学院理学系研究科 物理学専攻 教授)
- 茅 元司(東京大学大学院理学系研究科 物理学専攻 助教)
発表概要
東京大学の茅元司助教と樋口秀男教授(大学院理学系研究科 物理学専攻)は筋肉の収縮を司るタンパク質ミオシン1分子の弾性と力発生中の運動距離を測定しました. その結果,ミオシンはエネルギー効率を上げるためのエコ的な分子特性“押し縮めると柔らかくなる性質”をもっていることが明らかとなりました. この仕組みによって,筋肉は非常に高いエネルギー効率と速い運動が実現できることが解明されました.
発表内容
研究の背景と研究目的
筋肉(骨格筋)は身体の運動に重要なばかりでなく,会話するために口を動かす,記述するために指を動かす,感情表現やものを見るために目を動かすなど我々のコミュニケーションにも重要な組織です. この筋肉の運動を担っている素子はミオシンと呼ばれるタンパク質であり,その大きさは数十ナノメートル(数ミリメートルの十万分の1)たらずです. 筋肉が収縮するとき,ミオシンはアクチンというタンパク質と結合し,アクチン繊維を動かします. このとき,ミオシン分子に内在するバネ的な構造部位を伸ばすことにより力を発生します(図1). このミオシン分子のエネルギー効率は,マイクロモーターのエネルギー効率(1%)や車のエネルギー効率(15%)に比べて非常に高く,約50%です. サイズが小さくなると摩擦によるエネルギー損失の割合が大きくなることが一般に知られていますが,ミオシンの大きさはマイクロモーターの千分の1たらずなのに,なぜこのように高い効率を保持できるのか大変不思議です.
そこで,高効率の理由を解明するために,我々はミオシン1分子の弾性と力発生中の運動距離(歩幅)をナノメートル・ピコニュートン精度(百万分の1ミリメートル・百億分の1グラム)で測定しました. その結果,ミオシン分子を伸ばすと硬くなり,逆に押し縮めると柔らかくなる事が世界で初めて判明しました. この結果から,ミオシンは力を発生するとき伸ばされるので,硬いバネを伸ばしたときのように大きな力を出すことができます. 一方,力を出し終えた後は,紐のように柔らかくなって他の分子の力発生の邪魔にならないことでエネルギー効率を上げでいます. このようにミオシンは,エコ的な仕組みをもっていることが初めてわかりました.
研究で開発した新しい手法
実験では,ウサギの骨格筋からミオシン分子および,アクチン分子を精製しました. ミオシン1分子の弾性を測定するために,ミオシン1分子をアクチン線維に結合した後,アクチン線維の両端に結合したプラスチック粒子にレーザー光を当てて左右に力を加えました(図1). ミオシンの伸び縮み距離は,アクチンに結合した粒子の発する蛍光の位置から測定しました. この蛍光を用いて弾性を測定する方法は世界初であるのと同時に,開発した装置の位置精度0.3ナノメートルは蛍光分子を用いた測定においても世界最高の精度です.
研究で得られた結果と知見
ミオシン分子が引伸ばされた時には,図2の(ア)の領域のように力が急激に増加するのに対して,押し縮められたときは図2の(イ)の領域のように力が殆ど変化しないことがわかりました. それでは,ミオシンのどの部分が伸びたり縮んだりするのでしょうか? ミオシンは,図2に示すように紐状の部位とバネ的な性質をもつ楕円状の部位から構成されています. したがって,ミオシンが引っ張られた時には,紐状の部位が伸びきって硬くなり,楕円状の部位のみがわずかに伸ばされて,大きな力を出します. 一方押された時には,細い紐状の部位が容易に屈曲するため,力が殆ど変化しないと理解できます.
これまでの実験ではエネルギー源であるATP(アデノシン三リン酸)を入れずに弾性的性質を調べました. 次に,ATPを入れると,ミオシンは階段状の変位と力を発生をしました(図3). 変位1段の高さはミオシンの歩幅に相当し,約8ナノメートルであることが初めてわかりました(図3).
以上の結果を踏まえて筋肉の収縮のモデルを考えました(図4). ミオシン分子は,アクチン線維に結合して,これを8ナノメートル動かします.この際ミオシン分子は,バネ的な構造部位が硬いバネのようになって伸ばされるため,大きな力を出すことが出来ます(図4の右側のミオシン). ミオシンが再び力を出すためには,一度アクチンから離れる必要があります. しかし,アクチンから外れるまえに,他のミオシンがアクチン線維を動かすために,このミオシンは押し縮められます(図4の左側のミオシン). 押し縮められたときミオシンの紐状部位は柔らかいので抵抗にならず,エネルギーの無駄が小さく高エネルギー効率が可能となります. このミオシンの高エネルギー効率により,筋肉はより大きな力を出しかつ速く動く事ができます.
研究の波及効果
ミオシン分子は骨格筋の他に心筋や平滑筋はもとより,神経などすべての細胞に含まれおり,細胞運動には欠かせない分子です. したがって,本研究で得られたミオシンの高エネルギー効率原理が他の細胞にも利用されていると考えられます. またミオシンだけに留まらず,ミオシンと似た構造を持つ分子が細胞分裂を引き起こす際にも,“押し縮められると柔らかくなる性質”によって,高エネルギー効率で分裂を行うことが予想されます.
また,先天性の心筋肥大症は,ミオシンの紐状の部位に異常がおこることが知られていました. 今回の結果を基にすると,その原因は弾性特性の異常による力の低下等が原因であると予想されます.
現在のマイクロマシンは,エネルギー効率が非常に低いので,本研究で得られた高エネルギー効率の仕組みを応用することによって,効率を上げることが出来ると考えられます.
損傷した筋肉の力を補うために高分子で作られた人工筋肉の開発が進められていますが,現在のところエネルギー効率が非常に低いのが問題です. より効率を高くし,発生力も大きくするために,本研究で得られた筋肉の分子の仕組みが参考となるでしょう.
研究経費
- 科学研究費補助金(文部科学省)特定領域研究 課題番号:16083201
- ナノシステム内情報伝達の制御メカニズム
- 科学研究費補助金(文部科学省)特定領域研究 課題番号:16083101
- 生体ナノシステムの制御:総括班
- 戦略的創造研究推進事業(科学技術振興機構)
- 研究領域「生命現象の解明と応用に資する新しい計測・分析基盤技術」
- 研究課題「In vivoナノイメージング技術の開発と生体運動機構の解明」
- 科学研究費補助金(日本学術振興会)若手研究(B) 課題番号:20740238
- 研究課題「骨格筋ミオシン1分子から多分子への階層化に伴うシステム機能発現の解明」
発表雑誌
Science 2010年8月6日号
- 論文著者とタイトル
- Motoshi Kaya and Hideo Higuchi. “Non-linear elasticity and an 8 nm working stroke of single myosin molecules in myofilaments.”