2010/6/2

雄しべの裏表の決定機構の解明

- 雄しべは葉からどのように進化してきたのか?ゲーテの洞察を遺伝子の言葉で説明する -

発表者

  • 平野 博之(東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 教授)

発表概要

雄しべは、進化的には葉が変形したものと考えられている。これまで、雄しべのどの部分が表と裏に相当するのかは、全く不明であった。私たちは、イネの変異体と遺伝子の研究から、雄しべの表と裏(学術的には、向軸側と背軸側(注1))を決定する機構を明らかにした。

発表内容

図1

図1:雄しべの構造

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図2

図2:雄しべと葉の発生過程における裏表の決定機構

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花びらや雄しべ、めしべなどの花の各器官は、もともと葉であったものが、進化の過程で変形してきたものと考えられています。この考えは、200年以上前に、詩人としても有名な、ドイツの自然科学者ゲーテによって提唱されました。そして、現在、植物の遺伝子研究により、この考えが正しいことが証明されてきました。また、がく片や花びらなどの表と裏は、葉と同じ遺伝子の働きによって決定されていこともわかっています。花びらなどは、扁平な形をしているので、葉と同じと言われても、比較的受け入れやすいと思います。しかし、雄しべは、扁平というよりは棒状の器官です。「葉」という基本形から、どのように変形したのでしょうか?また、雄しべの裏表はどのように決定されているのでしょうか?そもそも、雄しべには裏表があるのでしょうか?

私たちは、イネのロル変異体という、雄しべの形態が異常となった変異体と葉の裏表に関与する遺伝子の働きを調べ、雄しべの裏表を決定する機構を解明しました。雄しべは、花糸といわれる棒状の部分と葯から構成されています(図1)。葯は2つの「半葯」という単位に分割され、「半葯」はそれぞれ2つの花粉?(かふんのう)からできています。花粉?の中で、花粉が作られます。葉が形成される際には、発生初期に葉の丸い原基の中で、裏表の性質(極性)が決定され、表と裏の境界部分が伸長することにより、扁平な葉の形になっていきます。雄しべが形成されるときにも、発生初期には葉と同じように裏表の極性(注1)が決定されます。しかし、その後、その極性は大きく変化し、向きの異なる2つの軸へと転換していくことがわかりました(図2)。転換後の極性は、半葯が単位となり半葯同士は、裏側を背中合わせにして発生を続けます。これまで、裏表の極性は一度決定されるとその後は不変だと考えられてきました。私たちが見いだした葯の発生過程において、裏表の極性が転換することは、大きな発見といえます。さらに、発生が進むと、半葯内の表と裏の境界領域が伸長して、これをもとに花粉?が形成されることがわかりました。この花粉?が形成される発生パターンは、表と裏の境界領域が伸長して扁平な葉が形成されることと、よく類似しています。したがって、形態が大きく異なる器官であっても、発生メカニズムには普遍性があることがわかります。

さて、これまでのシロイヌナズナなどの研究で、表を作る遺伝子が機能を失った変異体では、その境界が作られないため扁平になることができず、棒状の葉が形成されることがわかっています。裏表の極性が異常となったロル変異体では、葯が全く作られない棒状の雄しべができることがあります。このことは、裏表の極性の決定が、葯の発生に重要な働きをしていることを示しています。さらに、私たちは、野生型においても、雄しべの花糸の部分では表側がつくられず、すべて裏側になっていることを明らかにしました。花糸は、もともとは「葉」としての性質を持っているにもかかわらず、表側を失ってしまったため、扁平ではなく、円筒状、棒状の形態になるわけです。

以上のように、雄しべは葉が変形したものであり、その裏表の決定機構も葉と共通点があります。しかし、その機構は複雑であり、葯の発生時には、裏表の極性が転換し、半葯を単位とした新たな極性が作られます。また、花糸は、表側の性質を完全に失うことにより、扁平にならずに棒状になると考えられます。すなわち、同じ雄しべの中でも、花粉を作る葯とそれを支える花糸では、表と裏の決定が独立に制御されていることが明らかとなりました。

本研究は、文部科学省科学研究費補助金(特定領域研究「植物メリステム」や基盤研究B)などの研究助成を受けて行われました。

発表雑誌

プラント・セル (Plant Cell) :5月号に掲載。(6月15日発行)(オンライン公開、5月29日)
Toriba, T., Suzaki, T. Yamaguchi, T. Ohmori, Y., Tsukaya, H., and Hirano, H.-Y.: Distinct regulation of adaxial-abaxial polarity in anther patterning in rice.

用語解説

注1 向軸・背軸
植物の構造は軸を中心に考える。花の場合、中心軸に向かう側を向軸、その反対側を背軸といい、向軸側が表、背軸側が裏に相当する。植物形態学の専門用語だが、ここでは、一般にわかりやすいように「表」と「裏」と呼ぶことにした。 
注2 裏表の極性
磁石のS極・N極のように、特定の方向に沿って、表と裏の性質が配置されていること