2010/5/19

全光学的分子配向制御に成功!

レーザー電場のみで分子の頭と尻尾も区別して揃える新技術を開発

発表者

  • 酒井 広文(東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 准教授)

発表概要

気体分子の頭と尻尾を区別して揃える配向制御を、静電場を用いずに非共鳴2波長レーザー電場のみを用いる全光学的手法によって実現することに初めて成功した。

発表内容

図1

図1:実験系の概略図。分子配向用のYAGレーザーの基本波と第2高調波の偏光方向は互いに平行かつ検出器面に平行とし、プローブ用のTi:sapphireレーザー光の偏光方向は、多光子イオン化率の角度依存性の影響を避けるため、検出器面に垂直としている。

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図2

図2:CO+フラグメント(左側)とS+フラグメント(右側)の2次元イオン画像。上段の画像[(a)及び(b)]は、2波長間の相対位相が0のときに観測されたものであり、下段[(c)及び(d)]は、2波長間の相対位相がπのときに観測されたものである。相対位相を変えることにより、分子配向が制御されている様子が分かる(詳細は(4)この研究で得られた結果及び知見欄を参照のこと)。

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図3

図3:2波長レーザー光の相対位相の関数として観測した分子配向度‹cosθ2D›。赤丸と黒四角■は、それぞれCO+フラグメントとS+フラグメントに対する配向度‹cosθ2D›の観測値を示す。赤の実線と黒の点線は、観測値に対する最小2乗フィットの結果である。CO+フラグメントとS+フラグメントの‹cosθ2D›が、2πを周期として互いに逆位相で変化している様子が分かる。

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気体分子中の個々の分子は高速で回転しており、そのような分子試料を用いて実験を行っても、分子の向きに依存する効果については空間的に平均された結果しか得られない。したがって、気体分子の向きを揃えることは、レーザー光と分子の相互作用や化学反応ダイナミクスの研究を始め、分子構造の異方性に由来するさまざまな効果を研究する上で本質的に重要であり、世界の研究グループが分子の配向を制御する新しい技術の開発とその高度化に鎬を削っている。分子の頭と尻尾も区別して向きを揃える配向制御に関しては、既存の全ての手法が分子の永久双極子と静電場の相互作用を用いて頭と尻尾の向きを決めていた。今回、静電場を用いることなく非共鳴2波長レーザー電場(注1)のみを用いる全光学的手法によって配向制御を実現することに初めて成功した。本成果は、酒井広文研究室の修士課程(当時)の元大学院生 小田啓太、日田真史(以上2名は同等貢献)、及び助教の峰本紳一郎との共同研究によるものであり、米国物理学会発行のPhysical Review Letters誌に掲載予定である。

(1)これまでの研究で分かっていた点

近年、汎用性の高い気体分子の操作技術として、高強度レーザー電場とそれによって分子中に誘起された双極子モーメント(注2)との相互作用、すなわち、分子軸がレーザーの偏光方向を向くように働くトルクを利用する手法が主流となっている。特に、分子の頭と尻尾を区別する配向の実現には、レーザー電場と誘起双極子モーメントの相互作用に加え、静電場と永久双極子モーメントの相互作用を併用して分子の向きを決める必要があった。酒井広文研究室では先に1次元的および3次元的な分子配向制御(注3)に初めて成功したのに続き、最近では、ピーク強度付近で200 フェムト秒(フェムト秒=10-15 秒)程度の超高速で急峻に遮断されるようなパルスをプラズマシャッターと呼ばれる手法を用いて整形する技術を開発し、レーザー電場の存在しない条件下で分子配向を実現することにも初めて成功した(Goban et al . Phys. Rev. Lett. 101, 013001 (2008))。

(2)この研究で新たに実現しようとしたこと

上述したように、既存の全ての分子配向制御手法では、分子の頭と尻尾の向きを決めるのに分子の永久双極子と静電場の相互作用を利用していた。最近のレーザー電場の存在しない条件下での分子配向の実現は、高強度レーザー電場が配向した分子試料を用いた応用実験における物理的あるいは化学的な現象に影響を及ぼす可能性を除去できる重要な成果であるが、配向分子の向きが静電場を生成するための電極により制約されたり、永久双極子の小さな非対称分子を配向させることは困難であった。また、静電場をレーザー電場と同様に200 フェムト秒程度の超高速で遮断することは困難なので、静電場を併用する手法では、完全にフィールドフリーな条件下での分子配向制御を実現することはできない。そこで本研究では、将来静電場も存在しない完全にフィールドフリーな条件下での配向制御の実現にもつながるレーザー電場のみを用いる全光学的手法によって分子配向制御を実現することを目標に研究を行った。

(3)そのために新しく開発した手法

酒井広文研究室ではさきに、分子の回転周期よりも十分長いパルス幅をもつ高強度非共鳴2波長レーザー電場を用いて断熱的に分子配向を実現する手法を提案していた(T. Kanai and H. Sakai, J. Chem. Phys. 115, 5492 (2001))。この手法では、使用するレーザーの周波数がパルス幅の逆数よりも十分大きな場合には、分子の永久双極子モーメントとレーザー電場との相互作用はパルス幅にわたって平均するとゼロとなる。本手法で分子の配向に寄与しているのは分子の超分極率(注4)の異方性とレーザー電場の3乗の積に比例する相互作用、すなわち、それによって形成されるポテンシャルの非対称性である。この手法が実現すれば、配向分子の向きをレーザー光の偏光方向(注5)や2波長間の相対位相(注6)によって自由に制御できるため、静電場を併用する従来の手法と比べ、分子配向の制御性が格段に高まると期待される。

(4)この研究で得られた結果及び知見

上記の手法に基づいて、2波長レーザー電場を用いてOCS(硫化カルボニル)分子を配向制御することに初めて成功した。実験の概略はつぎのとおりである。高強度2波長レーザー電場には、ナノ秒Nd:YAGレーザーの基本波(波長λ= 1064 nm)とその第2高調波(λ = 532 nm)を用いた。1/2波長板を用いて2波長の偏光方向を平行にして実験に使用した。2波長間の相対位相は溶融石英板の回転により制御した。2波長レーザー光を色消しレンズで集光し、真空チェンバーの相互作用領域に導いた。分子試料にはHeで5%希釈されたOCS分子を用い、パルスバルブを用いて超音速分子線として供給した。分子が配向している様子は、2次元イオン画像化装置を用いて観測した。2波長レーザー光のピーク強度付近で高強度フェムト秒Ti:sapphireレーザーパルスを集光照射することにより、OCS分子を多価イオン化し、クーロン反発力による超高速の解離によって生成されるフラグメントイオンの角度分布を観測した。観測されるフラグメントイオンの分布は、解離直前の分子の向きを反映している。2波長レーザー光の偏光方向は検出器面に平行にし、Ti:sapphireレーザー光のそれは、多光子イオン化率の角度依存性の影響を避ける為、検出器面に垂直にした。2次元検出器はマイクロチャンネルプレートと蛍光板で構成されており、蛍光板のイメージをCCDカメラで撮影した(解説図1)。

最も大きな配向度が観測されたときの相対位相差を便宜的にφ=0とするとき、CO+フラグメントのイオン画像は、上側の強度が高くなっているのに対し、S+フラグメントのイオン画像は、下側の強度が高くなっていることが確認できた(解説図2)。また、φ=πのときは、φ=0のときと逆に、CO+フラグメントのイオン画像は、下側の強度が高くなっているのに対し、S+フラグメントのイオン画像は、上側の強度が高くなっていることが確認できた(解説図2)。さらに、配向度の指標である‹cosθ2D›(θ2Dは、2波長レーザー光の偏光方向と分子軸のなす角の検出器面への射影)を、相対位相差 の関数として測定すると、CO+フラグメントとS+フラグメントの‹cosθ2D›が、2πを周期として互いに逆位相で変化している様子が確認できた(解説図3)。これらの観測結果は、高強度非共鳴2波長レーザー電場を用いて、OCS分子の配向制御が実現していることの明確な証拠と解釈することができる。さらに、C6H5I(ヨードベンゼン)分子を試料とし、初期回転温度を下げることによって、C6H5I分子が配向していることを示す証拠を得ることもできた。このことは、本手法が非共鳴過程を利用していることによる汎用性を実証するものである。

(5)研究の波及効果

本成果は分子の配向制御の手法として、静電場を使用しない初めての手法が開発されたことを意味し、その意義は、極めて大きい。化学反応における立体ダイナミクス、分子内電子の立体ダイナミクス、アト秒科学、表面科学、分子スイッチなどへの応用が期待される。さらに、本手法で達成された配向度を数値シミュレーションの結果と比較することにより、これまで理論化学計算でしか評価することができなかった分子の超分極率を初めて実験的に評価できる手法として利用できる可能性があり、理論化学計算で得られた結果の妥当性の評価にも役立つと期待される。

(6)今後の課題

今後の課題は大きく分けて二つある。

  1. 今回全光学的分子配向制御の実証に初めて成功したが、配向度は必ずしも高くない。これは、回転量子状態がBoltzmann分布しているthermal ensembleでは、永久双極子モーメントの方向が互いに逆方向を向く状態が混在していることが原因である。酒井広文研究室が、配向した分子試料を用いた分子内電子の立体ダイナミクスに関する研究の推進を目指しているのを始めとし、今後、配向した分子試料を用いた応用研究へと展開するためには、配向度の高い分子試料の生成が不可欠である。初期回転量子状態を選別した試料を用意することにより、非共鳴2波長レーザー電場を用いる全光学的手法により高い配向度の実現を期待することができる。
  2. 上述した全光学的分子配向制御の実験は、ナノ秒レーザーパルスを用いて、いわゆる断熱領域で行われたものであり、分子配向はナノ秒レーザー電場中で実現する。次なる課題は完全にフィールドフリーな条件下で分子配向を実現することである。この目的を実現するために、酒井広文研究室では先に、ピーク強度付近で急峻に遮断される高強度非共鳴2波長レーザー電場を用いる手法を新たに提案し、数値計算により、この手法の有効性を明らかにするとともにその背景となる物理について考察した(M. Muramatsu, et al., Phys. Rev. A 79, 011403(R) (2009))。今後、2波長レーザー光に対するプラズマシャッター技術を開発し、完全にフィールドフリーな条件下での分子配向制御の実現を目指す。

この研究は、以下の補助金の支援を受けて行われたものである。ここに記して謝意を表する。

  • 科学研究費補助金(文部科学省)、特別推進研究(課題番号21000003)「配向制御技術で拓く分子の新しい量子相の物理学」
  • 科学研究費補助金(日本学術振興会)、基盤研究(A)(課題番号19204041)「配列または配向した分子中からの高次高調波発生」
  • 文部科学省「光・量子科学研究拠点形成に向けた基盤技術開発 最先端の光の創成を目指したネットワーク研究拠点プログラム」

発表雑誌

本成果は、米国物理学会が発行するPhysical Review Letters誌の2010年5月28日号に掲載された。

Keita Oda, Masafumi Hita, Shinichirou Minemoto, and Hirofumi Sakai,
“All-Optical Molecular Orientation,” Physical Review Letters 104, 213901(2010).
(K. O. and M. H. contributed equally to this work.)

用語解説

注1 共鳴過程と非共鳴過程
分子の二つのエネルギー準位間のエネルギー差に等しい光子エネルギーをもつ光との相互作用を共鳴過程と呼び、両者のエネルギーが異なる場合を非共鳴過程と呼ぶ。 
注2 双極子と双極子モーメント
有限の距離だけ離れた正負の電荷の一対を一般に双極子と呼ぶ。OCS分子やNO分子のように、非対称な分子は結合の性質に起因する固有の双極子をもち、これを永久双極子と呼ぶ。また、強いレーザー電場によって分子中に生じた電荷の偏りに起因するものを誘起双極子と呼ぶ。双極子モーメントは、双極子の大きさと向きを表すベクトル量である。 
注3 1次元的および3次元的制御
3次元空間に固定した座標系から、分子に固定した座標系がどのように回転したかを表すために用いられる3つの角度をオイラー角と呼ぶ。このオイラー角の一つを制御することを1次元的制御と呼び、三つとも制御することを3次元的制御と呼ぶ。 
注4 分極率と超分極率
分子が電場中に置かれたときに、分子中の電子の変位に起因して分極する度合いを表す量。分子中に誘起される双極子モーメントのうち、電場に比例する成分の比例係数が分極率であり、電場の2乗以上(ここでは2乗)に比例する成分の比例係数が超分極率である。電場との相互作用エネルギーは、それぞれ分極率と電場の2乗の積、及び超分極率と電場の3乗の積で与えられる。 
注5 偏光
レーザー光の進行方向に垂直な面内で、電場が直線運動および楕円運動をするとき、その光をそれぞれ直線偏光および楕円偏光と呼ぶ。 
注6 相対位相
波長(周波数)の異なる二つの光の振動電場間の位相差を相対位相と呼ぶ。