2010/3/17

生殖の中枢制御の鍵を握るキスペプチン遺伝子の多様性とその進化

発表者

  • 岡 良隆(東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 教授)
  • 三谷 優太(東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 修士課程2年)
  • 神田 真司(東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 博士課程3年) 他

発表概要

脳が生殖を制御するときに鍵を握るペプチド(注1)として私たちがメダカの脳で最近見出し発表したキスペプチン(注2)の遺伝子にはさらに多様性があることを今回発見した。この成果は、脊椎動物の進化において生殖調節のしくみや遺伝子機能に多様性が生まれる機構に新たな洞察を加えることが期待される。

発表内容

図1

図1:生殖の中枢制御を担う経路は脊椎動物でほぼ共通しているが、ここでは私たちがモデル実験動物として扱っている魚類を例として、それを図示する。1970年代に視床下部で発見されたペプチドホルモンであるGnRH(生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン)が視床下部のGnRHニューロンで作られて脳下垂体に運ばれ、そこで放出されて脳下垂体からの生殖腺刺激ホルモンの放出を促し、放出されたホルモンが体中を巡る血液中に入る。そしてそれが生殖腺(雌の場合には卵巣)に到達して卵巣からのエストロゲンなどの性ステロイドホルモン分泌を促す。このホルモンはさらに卵巣の発達や二次性徴を促すはたらきをもつが、ここでそれに加えて重要なことは、エストロゲンなどのホルモンが脳の血管にも入って視床下部に到達することである。そして、エストロゲンは視床下部にはたらきかけて、ときにはGnRHニューロンにもっとGnRHを作って放出するように命令したり、逆にGnRHを作りすぎないように抑制したりする。こうした現象を、システム工学の考え方を用いて「フィードバック制御」とよび、前者を正のフィードバック、後者を負のフィードバックと呼ぶ。

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図2

図2:雌メダカの卵巣を取り除く手術をしたときのkiss1 およびkiss2 遺伝子発現の変化。この手術により視床下部のNVTとよばれる部位(赤紫色の点線枠)のkiss1 遺伝子発現はほとんどなくなるが、NRLとよばれる部位(黄色の枠)のkiss2 遺伝子発現は変化しない。

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図3

図3:脊椎動物におけるkiss1 およびkiss2 遺伝子の多様性について進化の系統樹の中にまとめてみた。赤丸がkiss1 遺伝子、青三角がkiss2 遺伝子を示す。祖先型脊椎動物はkiss1kiss2 の両方をもっていたと考えられるが、進化の途上で、あるものはkiss2 を失い(代表がヒトを含めたほ乳類;ただし、カモノハシのような原始的な哺乳類では双方が残っていることに注意)、あるものはkiss2 を失い(マダイやミドリフグなど)、さらに、トリに至っては両方の遺伝子を失うと言う現象が起きている。

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動物は成長すると共に次の世代に子孫を残す準備として生殖腺を発達させる。やがて生殖腺の発達と共に生殖腺でのエストロゲンやアンドロゲンなどのホルモン分泌も盛んになり、卵や精子も成熟してくる。そして雌の場合、マウスなどでは特定の性周期で排卵が起きるようになり、季節繁殖動物のキンギョなどでは春、サケなどでは秋の産卵期に向けて卵成熟が進み、繁殖期に起きる排卵にむけて準備が進行する。こうして生殖の準備が整った雌雄が出会い、生殖を通じて次の世代へと命をつなぐ。このような太古の時代から脈々と引き継がれてきた生殖という現象は、神経系と内分泌系の巧みな協調によって見事に調節されている。ここでは、気温・水温や日長などの外界の環境要因が神経系に伝えられ、その情報が動物の自律神経系や内分泌系を巧みに調節することにより体の内的環境を整え、生殖腺の発達を促すのである。私たちはこうした神経系と内分泌系の協調のしくみに興味を持ち、特に、脳内のペプチド神経系に注目して研究してきた。そうした中で一昨年メダカの脳で発見したのがキスペプチンとその遺伝子kiss1 である。

脊椎動物の生殖は、図1に魚の例で示すように神経系と内分泌系が協調して作るHPG軸(注3)と呼ばれるシステムによって調節されると考えられている。ここでは、生殖腺から放出される性ステロイドホルモン(特に、卵巣からのエストロゲン)による「フィードバック制御」(図1の説明参照)が重要なはたらきをしている。このとき、脳にはたらきかける卵巣由来のエストロゲンは、何らかのニューロンに存在するエストロゲン受容体に結合することによってフィードバック制御を開始すると考えられる。ところが、HPG軸の中で視床下部からの情報をGnRHペプチドホルモンとして脳下垂体に伝えるGnRHニューロンそのものにはエストロゲン受容体が存在しないということがわかり、ごく最近までHPG軸においてエストロゲンの受容とGnRHニューロンに対する正負の制御を結ぶ実態は不明であった。ところが、キスペプチンの発見により、キスペプチンニューロンがそのミッシングリンクとしてはたらくのではないかという期待が昨今一気に高まってきた。

私たちはメダカを用いて一昨年キスペプチンとkiss1 遺伝子を発見し、発表したが、実はそのとき既にメダカの遺伝子データベースにおいてkiss1 遺伝子と似ているが染色体上でそれを取り巻く遺伝子が異なるような遺伝子配列を見つけており、それをkiss2 と名付けていた。しかし、私たちのメダカにおけるkiss2 発見と相前後して、2・3種の魚類でもそうした遺伝子が発見され、単純な投与実験のみに基づくが、魚類においてはkiss2 の方がkiss1 よりも生殖調節に重要な役割を果たすのではないかと報告された。私たちはメダカのkiss1 遺伝子発現が卵巣のエストロゲンに対して敏感に変化することからkiss1 が生殖調節に重要であることを既に明瞭に証明していたので、今回、kiss2kiss1 同様に生殖調節に関与するのかどうかを明らかにする実験を行った。雌メダカの卵巣を取り除くと卵巣からのエストロゲンが血中からほとんどなくなってしまうが、それに対応してkiss1 遺伝子の発現は抑えられてしまい、視床下部のkiss1 発現ニューロンはほとんど見えなくなってしまう(図2、赤紫色の点線枠で囲ったNVTと呼ばれる脳部位)。ところが、隣り合うNRLと呼ばれる脳部位のkiss2 発現ニューロンは卵巣除去メダカでも卵巣があるメダカでも全く変化しない(図2、黄色の枠で囲ったNRLと呼ばれる脳部位)。また、kiss1 ニューロンは先に述べたエストロゲン受容体をもつが、kiss2 ニューロンはもたないこともわかった。この他にも今回行った実験から、メダカにおいては、やはりkiss2 ではなくkiss1 遺伝子を発現するニューロンがエストロゲン受容体をもっていてHPG軸のフィードバック制御の担い手であること(図1)、言い換えれば生殖の調節の鍵を握っていることを初めて明確に証明した。

一方で、この実験と同時に、ここ1年以内に急激に解析の始まった他の脊椎動物におけるkiss1kiss2 の脳内発現に関する文献や、私たちが遺伝子データベースから読み取った結果を分析してみると(注4)、脊椎動物におけるkiss1kiss2 の遺伝子発現に関して大変興味深いことが新たに見えてきた(図3)。つまり、脊椎動物の進化の過程で、祖先型の脊椎動物はおそらく太古に起きた遺伝子重複等が原因でkiss1kiss2 双方の遺伝子をもっていたが、進化の途上でヒトを含むほ乳類ではkiss2 遺伝子を失ったと考えられた。この結果、現在生殖内分泌研究で主に扱われているヒトやほ乳類においてはkiss1 遺伝子しか研究の対象になっていない。しかし、図3からわかるように、脊椎動物全体を見渡すと、kiss1kiss2 の両方もしくはkiss2 のみを発現している動物もいることから、キスペプチンニューロンの機能を正しく理解するには、kiss1 をもたないマダイ、ミドリフグや、両者をもつメダカ、ゼブラフィッシュなどを調べる必要があり、実際私たちは既にそうした研究に取りかかっている。

今回の研究成果により、哺乳類だけを見ていてはわからないような、脊椎動物一般における遺伝子の多様性と遺伝子機能の進化に関する洞察が得られた。特に、生殖という動植物に普遍的に備わっている基本的かつ必須な機能に関してもこうした多様性が生まれてきたことは大変興味ある問題であり、今後モデル動物としてのメダカを中心として進化上興味ある動物も用いてキスペプチン遺伝子(kiss1kiss2 )に関する解析を進めることにより、脊椎動物一般における遺伝子機能の多様性とその進化に関してもさらに興味ある原理がわかってくることが期待される。

発表雑誌

Endocrinology, April 2010, 151(4):ページ未定doi:10.1210/en.2009-1174(オンライン版は3月5日(金)に発表されました。)
Hypothalamic kiss1 But Not kiss2 Neurons Are Involved in Estrogen Feedback in Medaka (Oryzias latipes)
Yuta Mitani*, Shinji Kanda*, Yasuhisa Akazome, Buntaro Zempo, and Yoshitaka Oka
* Y.M. and S.K. contributed equally to this work, and both should be considered first authors.

用語解説

注1 ペプチド
ペプチドは、複数のアミノ酸よりなる分子で、ホルモンや脳内生理活性物質としてはたらく。それらを作り分泌する神経細胞をペプチドニューロンとよぶ。なお、ペプチドであるキスペプチンを作るための遺伝子をkiss1 と呼び、こうした遺伝子はメダカなどの魚類ではすべて小文字の斜体で示す。 
注2 キスペプチン
オーファン受容体(遺伝子クローニングにより遺伝子の配列はわかっているが結合すべき物質が未知の受容体)として知られていたGPR54受容体に結合する物質として発見されたのがキスペプチンである。武田製薬の大瀧らによって発見された当初は、ガンの転移(metastasis)を抑制する活性が注目されたためメタスチン(metastin)と呼ばれた。その後、メタスチンが脳下垂体生殖腺刺激ホルモンの強力な分泌促進作用をもつことや、思春期の生殖腺刺激ホルモン分泌開始に重要であることなどが報告され、生殖神経内分泌の研究分野でにわかに注目を浴びている。このペプチドがヒトではkiss1 遺伝子産物であるということと、このkiss1 と言う名称がfirst kissを連想させること、kiss1 遺伝子の発見がハーシーチョコレート(キスチョコレートという製品で有名)工場のあるペンシルバニア州ハーシーのペンシルバニア大学のチームにより行われたこと、などの理由からkissの名前を取って、現在ではメタスチンおよびメタスチン活性をもつペプチド断片を総称してキスペプチン(kisspeptin)と呼んでいる。 
注3 HPG軸
視床下部(Hypothalamus)-脳下垂体(Pituitary)-生殖腺(Gonad)が形成する生殖の調節経路で、それぞれの頭文字を取ってHPG軸と呼ばれる。詳細は図1の説明を参照のこと。 
注4
Akazome, Y. , Kanda, S., Okubo, K., and Oka, Y. (2010) Functional and evolutionary insights into vertebrate kisspeptin systems from studies of fish brain. Special Issue of the Journal of Fish Biology; Reproductive Physiology STATE-OF-THE-SCIENCE, Journal of Fish Biology 76: 161-182.