2010/1/19

原子同士が反発しそうなのに切れない新しい化学結合の構築

- 異形のケイ素—ケイ素結合である‘阿修羅結合’の開発 -

発表者

  • 狩野 直和(東京大学大学院理学系研究科化学専攻 准教授)
  • 川島 隆幸(東京大学大学院理学系研究科化学専攻 教授)
  • 永瀬 茂(自然科学研究機構分子科学研究所理論分子科学第一研究部門 教授)

発表概要

自然界では正電荷と負電荷は引きつけ合い、正電荷同士・負電荷同士は反発する。今回、二つの負電荷を有し、5配位状態をとるケイ素原子同士の結合を持つ化合物を世界で初めて合成することに成功した。この結合は、原子が密集することでの立体反発と負電荷同士の電子反発によって容易に切れそうであるにもかかわらず、極めて安定であった。一般的な4配位ケイ素同士の結合とは異なる性質を持つことから、局所的に高密度な新しいケイ素材料の基本骨格としての利用が期待される。

発表内容

図1

図1:正電荷を帯びた部分(赤色)と負電荷を帯びた部分(青色)は互いに引き合おうとするのに対して、正電荷同士や負電荷同士を帯びた部分は反発し合う。

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図2

図2:二分子求核置換反応(SN2反応)の模式図。4配位の中心炭素に負電荷を持つ求核剤(Nu?)が攻撃して5配位炭素アニオン種の遷移状態を形成し、そこから一つの置換基(L)が脱離することで、最終的に置換基Lが置換基Nuに置き換わった化合物が形成される。途中のアニオン性5配位炭素化学種は一般に不安定であり、単離出来ない。

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図3

図3:一般的な4配位ケイ素化合物(左)と5配位シリカート(中)と5配位ジシリカート(右)の模式図。ほとんどのケイ素化合物においてケイ素は一般的に4配位構造をとるが、安定な5配位状態をとるシリカートも知られている。シリカートの多くは、二つの四面体を組み合わせた三方両錐構造の中心にケイ素が位置し、置換基が頂点を占める配座をとる。本研究で合成したジシリカートは、二つのシリカートをケイ素原子同士でつなげたものとなる。

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図4

図4:ジアニオン性5配位ケイ素?ケイ素化合物(ジシリカート)を合成する化学反応式。4配位ケイ素化合物と単体リチウムを反応させることで、ジシリカートが得られる。反応後に水処理をすると、水を含んだ状態で単離できる。形式的に二つの5配位ケイ素に負電荷が存在することとなる。

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図5

図5:X線結晶構造解析によって明らかにしたケイ素を含むジアニオン部分の結晶構造(左図)。中心の二つのケイ素原子(黄色)はそれぞれ二つの酸素原子(赤色)と二つの炭素原子(灰色)に結合している。緑色は置換基部分のフッ素原子を表している。右図は原子半径を考慮したジアニオン部分の分子模型を別方向から見た様子。中心のケイ素原子(黄色)が置換基に囲まれて外側からほとんど見えなくなっている様子と、配位子がぶつからないように配置されている様子がわかる。

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図6

図6:興福寺の阿修羅像(写真提供:興福寺)。三つの顔と六本の手を持つ三面六臂の姿を持ち、二本の足で立つ像。

(1)これまでの研究でわかっていた点

化学結合は原子同士を結びつけて物質を構成する基本的要素であり、化学物質の性質を決定する要素の一つである。原子と原子をつなぐ結合の周りが混雑している場合や、枝分かれが多い構造の場合には、立体的な反発によって結合が解離しやすくなることが知られている。また、自然界における原理として、正電荷と負電荷は引きつけ合い、正電荷同士・負電荷同士は反発する(図1)。各原子がそれぞれ結合する原子の数(配位数(注1))に着目すると、有機化合物を構成する炭素は、最小で一つ、最大で四つの原子と結合できる。炭素原子が通常よりも多くの原子と結合した状態である5配位状態は、炭素原子の周りが混雑した特殊な状態である。有機化合物における5配位炭素化学種は、二分子求核置換反応(注2)における遷移状態として存在し、求核剤がアニオン(注3)種の場合には炭素上に負電荷が局在する状態で通常は表される(図2)。しかし、置換基の一つと中心炭素原子の間の結合が切れて置換基が脱離してしまうために、5配位炭素化学種を安定な形では取り出せない。同様の構造を持つアニオン性5配位ケイ素化合物はシリカート(注4)と呼ばれ、形式的にケイ素が5価の超原子価(注5)状態となり、置換基の脱離反応が進行するために一般的に不安定である(図3)。と言うのも、半導体材料の単結晶シリコンが4配位ケイ素同士の結合が規則正しく繰り返されたダイヤモンド構造をとることからもわかるように、ケイ素はほとんどの場合に四つの原子と結合する性質を持つためである。二つのシリカートの5配位ケイ素原子同士が直接結合した化合物は、通常のシリカートの状態の不安定性に加えて、二つのケイ素原子団の間に働く電子反発と立体反発の要素によって、不安定になると予想される。もしもそのような化合物を創ることが出来たとしても容易に結合が切れてしまうと思われるため、そのような結合はこれまでに存在すら議論されていなかった。

これまでにいくつかの安定な5配位ケイ素化合物が合成されてきたが、ケイ素?ケイ素結合を持つものはほとんどなかった。我々のグループでは、通常よりも多くの原子と結合した原子が関与する新結合を創り出す研究をしており、これまでに結晶状態で5配位ケイ素同士の結合を持つ中性化合物を合成した。しかし、溶液中では置換基がケイ素原子から脱離して4配位状態となってしまい、5配位状態を維持した結合の構築には成功していなかった(Organometallics, 24, 2823 (2005))。

(2)この研究が新しく明らかにしようとした点

今回、立体的にも電子的にも原子同士が反発する可能性のある新しい結合として、5配位シリカートのケイ素原子同士の結合を創り出した。未知なる結合を実際に創り、その結合状態がどの程度安定に存在し得るのかを追求することで、自然界での原理である反発をどこまで抑え込めるのかを明らかにしようとした。炭素では5配位状態を実現するのが非常に困難であるため、周期表で炭素のすぐ下に位置するケイ素を利用して、新結合を作った。さらに、結合の基本的な性質を明らかにすることで、将来的に新材料の開発に役立つような性質を見出そうとした。この研究は、ケイ素を使った「究極の結合」を創り出すことへのチャレンジである。

(3)そのために新しく開発した方法、機材等

二つの隣り合ったケイ素原子上に形式的に負電荷が存在して電子的に反発することが懸念されるため、結合を安定化するには置換基上に電荷を分散して電子反発を軽減する必要がある。そのために、全元素中で最大の電気陰性度を有するフッ素原子を多数持つ配位子を利用し、負電荷を置換基の方へと引き寄せて分散させようとした。

未知なる結合を作り出すには、どのような合成方法を採用するかが問題となる。本研究では、ケイ素に対して二つの配位子を先に導入した4価4配位のケイ素化合物を、単体リチウムで還元するという単純な方法を用いた。この方法は、4価4配位のケイ素?ケイ素結合を持つ化合物の合成に用いられる方法だが、一般的にはケイ素原子に結合した原子の一つが脱離してケイ素が4配位状態となるため、5配位ケイ素化合物の合成には使われていなかった。この置換基と合成方法を採用したことが、この研究の成功の鍵となった。

(4)この研究で得られた結果、知見

今回、二つの負電荷を有し、5配位状態をとるケイ素原子同士の結合を持つ化合物(ジシリカート)を、世界で初めて安定に合成することに成功した(図4)。結合が切れやすそうであるという直感的な印象とは逆に、この結合は極めて安定であることがわかった。例えば、水中で100℃に加熱してもケイ素?ケイ素結合は切れない。固体状態で248℃に加熱しても分解せず、昇華することがわかった。酸素に対しても安定で、空気中で容易に扱うことが出来る。

分子構造を見ると、置換基の四つの原子と結合した二つのケイ素原子が結合を形成しており、その結合の長さ(2.3647(9)A)は一般的なケイ素?ケイ素結合の長さとほとんど変わらない(図5)。また、ケイ素?ケイ素結合の周辺は、ケイ素が覆われてしまうほど極めて混雑しているにもかかわらず、置換基同士が反発を避けている様子がわかった。この結合が安定である理由としては、ケイ素の結合半径が炭素よりも長いことで立体反発を避ける配座をとれること、ケイ素原子の軌道がお互いに十分に重なりあっていること、負電荷が配位子に分散してケイ素原子間の電子反発が抑えられていることが考えられる。実際、負電荷は配位子部分に局在化していることを理論計算により明らかにした。

この化合物は水とは反応しないが、塩酸を加えるとケイ素?ケイ素結合が保持されたまま、酸素上がプロトン化された中性化合物が得られた。塩基を加えると、再びまた元のジアニオン性化合物へと戻った。また、電子を一つ放出するという酸化特性を持つこともわかった。一般的なケイ素?ケイ素結合を持つ化合物よりも、より長い波長の紫外(UV)光を吸収する性質を示すことも明らかとなった。

一般的な中性の4配位ケイ素同士の結合を持つ化合物と比較すると、この化合物は塩基性、酸化特性、長波長領域吸光性の三つの特徴的な性質(面)を持ち、中心部分となるケイ素同士の結合から八つの原子が手足のように伸びた異形な化学結合であることから、「阿修羅結合」と命名した(図6)。

(5)研究の波及効果

単結晶シリコンや従来の有機ケイ素材料の多くは、4価4配位状態の中性のケイ素同士の結合を基盤として構築されてきた。本研究において5価5配位ケイ素同士の結合を有するジアニオン性化合物が実は安定であり、中性化合物とは異なる性質を持つことを明らかにしたことで、このケイ素?ケイ素結合を骨格部分の構成要素とする新しいケイ素材料の開発が期待される。特に、一般的な遷移金属錯体における金属?金属間結合よりも短く、安定な結合であるため、局所的に高密度な材料への応用が期待される。

炭素やケイ素では、同じ元素が多数連結した構造をとることで多様な性質が発現している。連結する5配位ケイ素原子の数を2から3、4と増やしていき、シリカート部位からなるケイ素ナノワイヤーを構築すれば、優れた導電性高分子を作り出せる可能性がある。二つのケイ素原子の周辺に原子が密集するため、高密度のデンドリマー等の構成要素としても利用できるかも知れない。

(6)今後の課題

現時点では二つの5配位ケイ素をつなぐことしかできていないが、5配位ケイ素間の結合を延伸したシリコンナノワイヤーを構築することや、異なる構成元素からなる類似の結合を創ることが、今後の課題である。

(7)論文の参照情報

この研究成果は、東京大学大学院理学系研究科(川島隆幸教授、狩野直和准教授)の研究グループと、分子科学研究所理論分子科学第一研究部門(永瀬茂教授)の研究グループの共同研究によって得られたものであり、ネイチャー出版グループ(NPG)発行のNature Chemistry誌のオンライン版および冊子版で公開される。

この研究は、日本証券奨学財団研究調査助成、山田科学振興財団研究援助、東京大学グローバルCOEプログラム「理工連携による化学イノベーション」(文部科学省)、科学研究費補助金(文部科学省)特定領域研究(18066017)、科学研究費補助金(文部科学省)学術創成研究費(17GS0207)、科学研究費補助金(日本学術振興会)特別研究員奨励費(07J06461)、文部科学省受託研究「次世代ナノ統合シミュレーションソフトウエアの研究開発」を用いて行われた。

用語解説

注1 配位数
中心原子に直接結合している原子の数。 
注2 二分子求核置換反応
アニオン等の求核試薬が4配位炭素の脱離する置換基の背面から攻撃して、一旦5配位炭素化学種の遷移状態を形成し、その状態から一つの置換基が炭素から脱離することで、最終的に炭素に結合していた置換基の一つが置き換わる反応のことを言う。 
注3 アニオン
陰イオンのこと。負電荷を持つイオンであり、二つの負電荷を持つ場合にはジアニオンと言う。 
注4 シリカート
シリケートとも言う。ケイ素原子を中心として五つまたは六つの原子が結合し、全体として負電荷を持つ化合物のことを言う。なお、ケイ素が四つの酸素で囲まれた四面体構造をとるケイ酸塩鉱物のことを指す場合も多い。 
注5 超原子価
分子やイオンにおいて形式的に原子の最外殻に帰属する電子数が8よりも多く、オクテット則を満たさないことを言う。